日本の屋根裏人のワイコマ日記です

日本の屋根と云われる北アルプスの山々は、世界遺産の富士山に次ぐ名峰の数々、この素晴らしい環境の麓から発信する日記です。

明日は 松本サリン事件から30年

2024年06月26日 08時02分09秒 | Weblog
今朝は気温20度、最高気温は28度とか30年前の明日の
夜も暑い日でした。
暦を見ますと、今日は、雷記念日でした その理由は
時は930年(延長8年)に平安京の清涼殿に落雷があり
その落雷で大納言の藤原清貴が亡くなった。この落雷
は政治的な策略によって太宰府に左遷されそこで亡く
なった菅原道真のたたりであると信じられ、道真公は
名誉を回復した。またこれにより、菅原道真は雷の神
「天神」と同一視されるようになったとの事です。

1994年(平成6年)6月27日に長野県松本市でオウム
真理教により引き起こされたテロ事件。
朝日新聞の報道をお借りしますと・・・
1994年6月に長野県松本市で猛毒のサリンがまかれ、
8人が死亡、約600人が重軽症を負った事件で、朝日新聞
は、捜査の動きを時系列に記した警察庁の内部文書を
情報開示請求で入手した。県警の捜査で、事件の22日
後にオウム真理教の関連会社が浮上していたことが判明
した。
一連の事件でオウム関与の可能性が浮かんだ具体的日付
が明らかになった。ただ、この後はオウムに対する本格
的捜査に至らないまま、翌年3月に地下鉄サリン事件の
発生を許した。
開示されたのは「松本サリン事件の捜査概要」と題す
るA4判10枚。事件の約1年8カ月後の96年2月に警察庁
刑事局捜査1課が作成した。
事件は94年6月27日深夜に発生。文書によると、長野
県警は翌28日に令状を請求し、28日夜から検証と捜索
差し押さえを開始した。検証は7月5日まで毎日行われた。
文書では黒塗りにされているが、捜索などは現場そばの
第1通報者の男性の自宅などに対するものとみられる。
捜査や報道は当時、この男性に集中したが、その後に
男性の関与はなく被害者と判明した。
事件6日後の7月3日、県警科学捜査研究所などの鑑定で
「サリンと推定される物質が検出され」、事件に使われ
たのがサリンとみられることが判明。県警はこの日か
ら、サリンの生成に必要な薬品の販路の捜査を開始し、
7月5日に薬物捜査班を設置して捜査員を関係先に派遣
した。
事件発生から22日後の7月19日には、最初のオウム関連
会社が浮上した。8月31日と9月26日にも別のオウム関
連会社が浮かんだ。この3回の「浮上」の具体的内容は
黒塗りとされているが、サリン原材料の流通ルートの
捜査からそれぞれの会社が判明したとみられる
第一通報者の河野義行さんを重要参考人とし、6月28日
に家宅捜索を行い薬品類など二十数点を押収。その後も
連日にわたる取り調べを行った。この際当時松本簡易
裁判所所属であった判事松丸伸一郎が捜索令状を発行
しているが、本来過失罪で請求するところを、手違い
により殺人未遂罪として発行していた。
約一年近くこの事件の犯人として冤罪を被った河野さん
に多くの同情が集まったのは言うまでもない。

写真は、先月の近くの学校の運動会の様子です。
個人を特定できないくらいの写真だけを掲載してます











都合により、本日もコメント欄はお休みさせて頂きます


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