昨日の読売新聞に「江戸しぐさ」という記事があった。
その中に「傘かしげ」というものがあり、なんぞや!?と読み進める。
雨の日、二人の人が傘をさしてすれ違うというシチュエーション。
お互いが気持ちよく、濡れずに行き交うにはどうしたらよいか。
それは、お互いがすれ違う瞬間、傘を外側に傾けて行き交うこと・・
1人だけが傘を傾けても意味がない。
これから起ころうとしていることを想像し
相手のことを気遣う・・というお互いの思いやりがなければ成立しない。
両者が傘を傾けてこそ意味があるのだ。
首をかしげるように、傘をかしげる(傾ける)、
「傘かしげ」・・粋な表現である。
このように江戸時代の人々が人間関係を円滑に営むために
しとやかにお互いを気遣う気持ちをしぐさで示す、という習慣があった。
なんとも美しいと思う。
静かな動きの中に、日本古来の心配りと物事に対して察する気持ちが
漂っているようだ。
他者に対して「察する」という行為は日本独特のものかもしれない。
しかし今日、日本では欧米の影響化のもと、
自分を表現すること、自己主張することが今日の社会では重要とされつつある。
もちろん自己を表現すること、
自分の考えをしっかり持ち、意見することはとても大切なことだ。
だが、そればかりを強調しすぎることによって
他者に対する洞察力というか、思いやり、心を読み、察するということが
少し薄れてきているように感じる。
昨晩、NHKの「義経」を見た。
ついに平清盛死す・・
その清盛の最期を看取った宗盛が父の死を告げに
集まっている他の親族達のもとへ向かう。
しかし彼は一同を前に何一つ言葉にしない。
宗盛はただ悲しみと無念さ、
それを受け入れようとする苦渋に満ちた表情をしただけだ。
目には涙を浮かべ体を震わせる。
その様子を見た親族達は、また一言も言葉を発しない。
宗盛の表情、所作から、状況を瞬間に汲み取るのだ。
そして、それぞれの思いを言葉ではなく
表情によって表現するのだ。
悲しみを噛みしめる、涙をこらえる・・
そのようにして感情を押し殺そうとする。
理性と感情の中での交錯。
そこには静寂が横たわる・・
それは実に静かなワンシーンだった。
しかしどんな言葉を交わすよりも
私には悲しみがひしひしと伝わってきた、
とても印象的で忘れられないシーンだった。
日本的で美しいと感じた。
かつてこのような奥ゆかしい表現が日本にはあった。
日本語という言語も複雑だが美しい。
とても奥深く表現の幅が広いと思う。
もう1度、原点に振り返り、そのような日本文化に触れ、
「日本人に生まれて良かった」という誇りを抱きたい。