ゆうちゃんの独り言

モーツァルトが大好きで毎日欠かさず聴いています。人生の生き方は仏教で毎日般若心経を唱え、時間を見つけて寺巡です。 合掌

ウィーン室内合奏団でモーツァルトを聴いて(紀尾井ホール)♪♪

2008-03-30 13:04:34 | Weblog
 先日、四谷の紀尾井ホールで開催されたウィーン室内合奏団の演奏を聴いてきました。この
日は日本公演の最終日に当たっていたので、多くの方が紀尾井ホールに来ていました。初めて
紀尾井ホールを訪れましたが、立派なホールだと思いました。

 さて、当日の演奏内容ですが、モーツァルト:ディベルティメントニ長調K.136、モー
ツァルト:クラリネット五重奏曲イ長調K.581、シューベルト:八重奏曲ヘ長調
D.803の3曲でした。

 個人的に興味があったのは勿論モーツァルトです。モーツァルトの2曲の中で何と言っても
クラリネット五重奏曲の演奏は見事でした。クラリネットのゲラルト=アロイス・パッヒンガ
ーの演奏を初めて聴きましたが、テクニックが抜群であるのと、演奏内容が非常に丁寧で心の
動きを的確に音に表現する事ができる演奏家だと思いました。

 久しぶりにクラリネットの名手に出会った感じです。特に弱音の表現の仕方が言葉で表現し
ようのない素晴らしいものでした。ただただ脱帽といった感じでした。大満足でした。

 モーツァルトのもう1曲のディベルティメントニ長調ですが、イタリア旅行から戻ってから
書かれたものであるから、イタリア的に明るく心がゆったりと出来る名作だと思います。演奏
ですが、最初の曲であることも影響してか、出足は普通でしたが楽章を追う毎にだんだんメン
バーのエンジンがかかって来た印象を持ちました。全体的に柔らかいウィーンの音だと思った
次第です。

 今回のウィーン室内合奏団ですが、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の名コンサート・
マスターとして敬愛された故ゲアハルト・ヘッツェルが、ウィーン・フィルのトップ・メンバ
ーを集めて1970年に結成した団体です。

 以来、メンバーの交代がありますが、ウィーン伝統の響きは確実に伝承されていると思いま
す。今回の来日のメンバーは、ヨゼフ・ヘル(第1ヴァイオリン) 、純ケラー(第2ヴァイオ
リン) 、トバイアス・リー(ヴィオラ) 、タマーシュ・ヴァルガ(チェロ) 、ヘルベルト・
マイエル(コントラバス) 、ゲラルト=アロイス・パッヒンガー(クラリネット) 、ミヒャ
エル・ウェルバ(ファゴット) 、エリック・ターヴィリガー(ホルン)でした。特にクラリネ
ットのゲラルト=アロイス・パッヒンガーはメンバーの中でも光っていました。

 休憩後の演奏はシューベルトの八重奏曲ヘ長調でしたが、名曲のモーツァルトを聴いた後に
シューベルトははっきり言って聴けません。昔は良い曲だと思った時期がありましたが、今回
久し振りに聴き、音楽の全体的な構成や、音の流れに違和感を覚えました。

 聴いていて水がさらさらと流れるようなものではなく、無理やりにあるいは人工的にわざと
流しているような感じを受けました。シューベルトファンには申し訳ないですが、モーツァル
トと比較するとちょっと差がある感じを受けました。

 アンコールはJ.シュトラウスニ世のポルカ「クラップヘンの森で」と「トリッチ・トラッ
チ・ポルカ」でした。とても楽しい曲で久し振りにウィーンの雰囲気を味わいました。

殺生に関して

2008-03-30 13:03:00 | Weblog
 仏教の世界で我々のような在俗者は、5戒を守るべきとされています。この5戒とは、
「不殺生」「不偸盗」「不邪淫」「不妄語」「不飲酒」のことを指します。これらは生き物を
殺さない、盗みをしない、夫婦間以外の性関係はもたない、嘘を言わない、酒を飲まないこと
を言っていますが、これらの中で守られているものは一つもありません。これだから凡夫は成
仏できないのだと思います。

 これらの中で一番大変なのは不殺生だと個人的に考えます。人間が生きていくためにどうし
ても食べなければなりませんが、この食べる行為自体の裏にはそれまで命のあったものからそ
の命を奪っている事実があります。

 幸いなことにその命を奪う行為に携わっていないのでその瞬間の想いが分かりませんが、い
くら仕事であるからといっても気分が良いとはいえないものと思われます。

 人間がこの世界のなかで最も偉い存在だからどのようなことをしても良いのだというもので
はないと思います。人間もこの宇宙の中では微々たる存在価値しかないのです。自然界という
大きな枠組みの中で、人間というひとつの生物としての小さな命を継続しているに過ぎないの
です。

 しかし人間は生きていくためには、動物や魚や野菜等を食べなければなりません。その際に
どのような気持ちで食べているかが大きな問題だと思います。毎日の食事際に改めてお膳の内
容を見てみると、そこには多くの命が並んでいます。私の好きな新鮮なマグロやカツオやアジ
の刺身ですが、それまで生きていた魚をなんと残酷なことに舌鼓を打ちながら美味しいと思い
ながら食べているのです。

 ここでしっかりと考えなければならないのは、多くの命を以って人間が生きて行けるのです。
そのことを考えると、必要以上の命を無駄にしないことが重要なポイントとなるのだと思いま
す。

 牛や豚のような動物から、魚、さらに草木のような植物に至るまで、それぞれの中で命を次
の世代に受け継ぐようなサイクルを持っています。我々はそのサイクルの一部を分断させ、人
間という生き物の命を継続させているのです。この仕組みを冷静に考えると、我々の命を保つ
ためにそれらの命を頂戴していることになります。

 ですから、食事の前には「頂きます」の言葉が出るのです。自然と出てしまうこの「頂きま
す」の中には、非常に重い言葉の意味があるのです。頂くのはこれらの命を頂いているのです。
「殺生」と言う言葉の意味は、生きているものの命をむやみやたらに無駄にすることを指しま
す。

 ですから殺生でないようにするには、これらの命を頂くときには感謝の気持ちをもって、そ
れらの命を我々の中に取り込み、さらにそれらを意味のあるものにしなければなりません。常
にこのような考え方にたち、命をいただけばそれは殺生には当たらないのです。

 したがって食べもしない物を注文しそれらを残すと言った事が本当の殺生に当たります。全
ての物の命に感謝し、頂いた命を自らと共に生かして行くことが重要なのです。

 どうぞ、皆さんも食事をする際には、食卓に並んでいる多くの命に対して感謝の気持ちを込
めて命を頂きますと言っていただきたいと思います。

                                       合掌