ゆうちゃんの独り言

モーツァルトが大好きで毎日欠かさず聴いています。人生の生き方は仏教で毎日般若心経を唱え、時間を見つけて寺巡です。 合掌

■ 宮沢明子のモーツァルト演奏講座に参加して(銀座ヤマハ)♪♪

2008-05-25 23:09:42 | Weblog


 先月ですが、銀座のヤマハで開催された宮沢明子のモーツァルト講座に参加しました。先
週のメルマガにも書きましたが、宮沢明子は尊敬するピアニストでありどのような考え方を
もってピアノを弾くのかが興味のあるところです。また今回のような公開講座を通じて、こ
のような考え方を知ることが可能となります。

 当日の参加者は50名程でそのほとんどが中年の女性でした。時々思うのはこのような講
座に参加する人の殆どが女性であることです。男性は私を含めて数人でした。世の中の男性
はこのような講座に興味がないのか、あるいは興味があっても出かけないのかのどちらかだ
と思いますが、最近クラシックコンサートに出かけても女性が常に多いような気がします。
時間とお金があるからかも知れませんね。

 さて、今回の公開講座ですがパリ時代におけるモーツァルトのピアノソナタに関しての内
容でした。モーツァルト大好きに人間としては、宮沢明子がモーツァルトをどのような観点
から見ているのかを知りたいと思いました。

 内容に関しては殆どが賛同する内容であり、特に違和感を持ちませんでしたが、講座の中
で弾いたモーツァルトのピアノソナタの作品を聴きながら、ふと思ったことがありました。
最も大きい違和感は、アクセントのつけ方と強弱の面で顕著に現れ、このような弾き方がモ
ーツァルトなの?と思う点がかなりありました。

 第二楽章はどの曲もよかったのですが、その他の楽章での表現に気になるものがありまし
た。それは独特の弾き方であり、標準的なモーツァルトではないような感じさえ受けました。
これらの根底には宮沢明子の生き方というか人生観が顕著に現れていると思います。

 自分の考えをはっきりと述べる話し方が、そのまま演奏の中にもでているのだと思います。
また、個性の強いピアニストだとも思います。モーツァルトの特徴である、躍動感や歌心、
さらにお洒落な表現等が重要だと思いますが、宮沢明子の演奏からはもっと違う次元の音楽
が流れ出しているように思われました。

 これらは、モーツァルトの解釈の違いだと思いますが、正直言って宮沢明子のモーツァル
トは男性的な感じが特に強く感じられます。個人的にはモーツァルトは男性女性でなく中性
的な感覚だと思っているので、余計に強く違和感を感じるのかも知れません。

 このようにいろいろな形のモーツァルトを聴くことにより、モーツァルトをもっと深く理
解できるといいなぁと思います。日程は未定ですが、次回は「ウィーン時代のソナタ」の講
座が開催されるようです。時間が合えば参加したいと思いました。

■ 老いることの喜びと生き方!!

2008-05-25 23:08:09 | Weblog


 人間は生まれた瞬間から死という最終ゴールに向かって生きる定めを持っています。若い
ころは死ぬという意味すら考えずに毎日生きていましたが、今思うともう少し考えながら生
きていれば確実に異なった人生を歩んでいたと思います。

 悲しいかなこの事実に気がついたときには、既に遅しの状態なのが殆どです。しかし、そ
こで諦めてしまうと先には進みません。例え手遅れ状態であっても前向きにチャレンジしな
がら進む過程の中からある生き方というか、漠然としたものが浮かび上がってくるのではな
いかと思います。

 若いころは自分自身に自信が持てず、常に周りの人が賢く見えました。なんて自分は出来
が悪いのだろうと悩んだものでした。その時に周りの人も同じ悩みを持っていたとは気づく
余裕もない状態でした。

 常に糸がピンと張っているような状態で、ゆとりがなかったように思います。このような
中で失敗をしたりまたちょっとだけ上手くいったことなどの経験を通して、少しずつ要領が
よくなってどうにか一人前として生きられるようになるのだと思います。

 辛い仕事でも、それをやり遂げたときの充実感を味わいたくて頑張っていた頃が、人生の
中で一番輝いていた時期だと思います。一般的に言う心身ともに充実していた時で、年齢的
にいうと40歳の後半までの時期が該当すると思います。

 それが50歳を過ぎるようになると急に気力が弱ってきます。いままで頑張れたことが、
長続きしなくなるのです。これは体の中からの正直な信号だと思います。世の中では60歳
を超えても経営の第一線で活躍している人がいます。とても尊敬しますが、これらの人の周
りにはこの人を手助けするブレーンがいるからこそ出来るのであって、すべて一人で行える
人はいないと思います。

 歳をとったら取ったなりに周りの協力を得ながら、昔のような行動を実践することは可能
と思いますが、悲しいかなこのような環境に身をおくことが許されるのは極一握りの人だけ
だと思います。

 凡夫は凡夫なりに自分の力を上手く工夫しながら対応しなければならないのです。限られ
たリソースを如何にして最大限の効果を出すようにするかが勝負だと思います。すなわち若
いときにように体力勝負で行うことは不可能になるので、どうしても取捨選択をしなければ
なりません。やりたいことの中から優先順位を考えながら処理をしていかなければならない
のです。

 昔であれば同時に2つのことを平行処理しながら対応することが出来ましたが、今は無理
です。したがって優先順位に従って着実に進む方法を取らざるを得ないのです。ことを進め
ながら昔ならこの辺で手を休めて、異なるもうひとつの事を処理できたのになぁと焦る気持
ちが出てきます。

 焦れば焦るほど効率が下がるので困ったものです。あれこれと過去のことを考えることは
禁物とわかっていても、悲しいかな凡夫は過去を振り返ってしまうのです。お釈迦様は、こ
の辺のことを次のように説いています。「過去を追うな、未来を願うな。過去は過ぎ去った
ものであり、未来はまだ到っていない。今なすべきことを努力してなせ」

 一番重要なのは、生きている正に今を考えて行動することだと言っているのです。あたり
まえのことですが、なかなかこのようにクリアな考え方で対応出来ないのが普通の人だと思
います。

 過去のよき時代を思い浮かべ、過去はこのようだったのにとか、実現もしない都合の良い
未来のことを考えて気を紛らわせることが通常です。今という最も大切な時を考えることが
重要なのにも拘らず全力投球をしないのは最低の行為です。生きている今の瞬間を前向きに
取り組みながら行動することが大切なのです。

 このようなことが分かり始めるのが残念ながら50歳を超えてからなのです。だからこそ
老いるということは大切なのかも知れません。今まで気がつかなかったことが分かり、残り
の人生を有意義に生きることができるのですから、老いることは捨てたものではないと最近
思うようになりました。

 老いる喜びを感じながら、残された時間を確実に過ごしていくことの素晴らしさを味わう
ことができるのですから、老いることは最高だと思うようになりました。

■ 「殺生」と「忘己利他(もうこりた)」の生き方!!

2008-05-25 23:05:48 | Weblog

 ミャンマーでのハリケーンによる被害や中国での大きな地震が発生したことにより、尊い
命が亡くなりました。これらの大災害に対して世界各国から支援の手が差し伸べられていま
す。これらの根本にあるのはボランティアの精神だと思います。相手が困っているときには
助けるという考え方です。

 これに関して仏教の天台宗の教えの中に「忘己利他(もうこりた)」という言葉がありま
す。天台宗の開祖である最澄が書いた「山家学生式(さんげがくしょうしき)」)(六条式
とも呼ばれています)に、「悪事は自分で引き受け、良い事は他人に与える」「己を忘れて
他を利するは慈悲の極みなり」という内容のものです。

 一般的に我々は、多かれ少なかれ自分本位に考え行動します。まずは自分の事として考え
自分を守るあるいは維持するようなことを考えながら何事にも対応するのが当たり前のこと
だと普通の人間は思います。

 しかし、最澄は、自分のことはさることながら、他の人のために尽くすことが最高の慈悲
であると言っているのです。普通は自分のことも出来ないのに、他人の事まで出来るはずが
ないと思うのが道理です。それを周りの幸せのために生きることが自らの幸せであると言っ
ているのです。

 この言葉に出会ったときには、理解できなかったのですが最近になって、このようなこと
を行うことによって人間として救われるようなことに繋がると思うようになりました。もっ
と綺麗で理想的な表現で言うならば、お互いがお互いの幸せのために力を出し合ってはじめ
て世の中みんなの幸せが得られるのだと思います。

 これと近い位置づけにあるあるいは関連するものとして、「殺生」があるのではないかと
思います。殺生とは、命あるものを殺して生かすということです。人間は生きるためにいろ
いろな生きものの命を絶って自分たちが生きるようにしています。命が奪われる側からする
と人間に命を与えることによりさらに別な形で生きることになります。

 この関係が先ほどの自分を捨てて他のために行動することと似ているような気がしている
のです。人間としてさらに生きるために、他人に対して自分の力を尽くすことにより、とも
に生きることになるのではないかと思います。

 今の世の中を考えた場合に、多くの人が自分のことだけしか考えないような行動をとって
います。もっと他人のことを考えながら生きることが出来ると、世の中は急激に変化し、と
ても住み易い世の中になると思います。

 ほんの少しでもよいと思いますが、他人のことを優先にして行動することが仮に一日に一
回実践できたとすると、今生きている世の中が確実に変化してきます。大袈裟にするのでは
なく、もっと簡単なことからでもいいのかも知れません。

 例えば「おはようございます」と言った朝の挨拶でも効果があると思います。何かを変え
るためには、心で思っていることを行動に出さないと意味がありません。心で思ったことを
行動に出すことは意外と難しいものですが、ちょっと踏み出した瞬間から周りの環境はその
影響を受けて変わって行くものです。

 仏教では、自分の身の回りに起こることを「縁」といっていますが、縁には必ず因果関係
があります。自ら行動することにより積極的にこの縁を変えていくことが出来るかも知れま
せん。

 受身よりも攻める行動が自らを変える力になることは間違いありません。立ち止まってい
るのではなく、自ら行動を起こし、積極的に変えていくことが今とても必要とされているの
だと思います。

 自分の身の回りの家庭や近所、さらに仕事場やもっと大きな社会をも変えることができる
と思います。そのためには「殺生」と「忘己利他」の考え方を再度思い、行動する勇気を持
つことが大切だと思います。あなたが変わると社会が変わるのです。