ゆうちゃんの独り言

モーツァルトが大好きで毎日欠かさず聴いています。人生の生き方は仏教で毎日般若心経を唱え、時間を見つけて寺巡です。 合掌

■ 映画「クララ・シューマン 愛の協奏曲」を観て♪♪

2009-08-29 14:48:47 | Weblog
 
 先日映画館で久しぶりに映画を観た。前回は単身赴任で三重に行っている時であったので、
ちょうど5年振りのことになる。もともと人の多いところに出掛けるのは好きではないが、
映画のタイトルからして、どうしても観たいものであったが、混んでいたらどうしようかと
不安に思いながら出掛けた。

 午後7時からの上映だったので、上映の30分前に着くように行ったが、何とがらがらで
532席ある劇場であったが、その晩に一緒に観賞した人は全体で30名程度であった。ま
た、シートもゆったりとしており、今までの映画館の中ではもっとも設備が充実していた。

 さて、映画の内容であるが作曲家ロベルト・シューマンとその妻クララ・シューマンと若
き作曲家のヨハネス・ブラームスの間に繰り広げられる、敬愛と嫉妬とそして音楽的な才能
を通じての賛美の世界が描かれているものであった。

 シューマンよりもブラームスの方が音楽的な才能はあると個人的に思います。シューマン
の音楽は、後期になればなるほど音楽の展開方法が極端な発想に基づいたものになるため、
私のような凡夫には付いて行けないかあるいは、理解できない内容のものが多い。

 モーツァルトのように音楽の流れが自然ではなく、常に異なる次元へ飛躍するような感じ
を受ける。ただ小さなピアノ作品には、素晴らしいものがあり大好きである。

 最期はライン川に身を投げたとの話は昔から知っていましたが、映像として作られた映画
作品を通じて受ける印象は、想像以上のものがあった。狂気の世界の中で作られた音楽作品
であることが分かり、別の意味での哀しさを感じた。

 だんだんと狂気のレベルが高くなる中で、ロベルトを献身的な対応で惜しみなく続ける妻
クララの行動には頭が下がります。このような献身的な行動の基本に、人間としての献身愛
があるのだと思いました。

 以前に本を通してクララの音楽的な才能の高さや純粋な生き方に関して知りましたが、普
通の人間には出来ないものだと思っている。ブラームスがクララに憧れる真意が良く分かる。
またクララもブラームスの才能を十分に理解しており、相互に魅かれるものがあったとされ
ている。

 ロベルト自身もブラームスの才能を認め、機会ある毎に自分の後継者であることを周りに
紹介するなど、この3人の間の人間的な関係は非常にデリケートで、また複雑な力関係が働
いていた。

 ロベルトの死後、ブラームスはクララに求愛するが決してブラームスと結ばれることなく、
相互の敬愛のもとの関係が続いたとのことです。映画の中でベッドシーンがありましたが、
ブラームスは「僕はきみとは寝ないよ。それでも、きみをこの腕でずっと抱き続ける。命が
尽きるまで。きみが死んだら後を追う。死の世界へお供する」と囁く場面を見ながら、クラ
ラを抱かないブラームスに対して、本当の心はどうなのか聞いてみたい気がしました。あま
りにも純粋すぎる話は窮屈で、人間とは思えない神のレベルだと思う凡夫の私です。

 その後、クララとブラームスの友情は、クララの生涯の最期まで続き、クララの死後から
数ヵ月後に、生前の約束通りブラームスもまた黄泉の国へと旅立っていったとのことです。

 映画の中でのブラームスは、陽気な青年として描かれていましたが、本来のブラームスは
内向的な性格であったと言われているので、少し戸惑いました。映画「アマデウス」程では
ないですが、少し角度の異なる視点から捉えて表現したブラームスであると思いました。

 私であれば、もう少し気難しい雰囲気を出しながら、クララに接するような描き方をした
と思います。この映画の監督ならびに脚本が、ヨハネス・ブラームスの叔父から連なるブラ
ームス家の末裔に当たるヘルマ・サンダース=ブラームスであることを考えると、このよう
な表現になるのかと思った次第です。

 最終的な感想ですが、もっと泥臭い人間を描き出せば、さらに大きな感動が得られたと思
います。全体的に清潔で純粋さが根底にある作品でした。お勧め度は「普通」といったとこ
ろです。

 映画館を出て少し歩いたところに立ち呑み屋があり、ちょっと誘惑に負けそうになりまし
たが、横目でみながら帰宅しました。正直な気持ち、やはりモーツァルトが最高です。その
次がブラームスだと思います。