この日曜日は、東京アカデミーオーケストラ第36回定期演奏会に出かけ、モーツァルト
のピアノ協奏曲を聴いてきました。
東京アカデミーオーケストラは、1991年に結成された室内オーケストラで、早稲田大
学交響楽団や慶應義塾ワグネル・ソサィエティー・オーケストラ等の大学オーケストラ首席
経験者が中心となって組織され、これまでに指揮者を置かずに活動を続けてきたオーケスト
ラとのことです。
今回、初めてこのオーケストラを聴くきっかけとなったのは、今回の演奏会でモーツァル
トのピアノ協奏曲第21番を弾くピアニスト久元祐子の存在があります。昔からレクチャー
を交えたミニコンサートや、カルチャーセンターでの講義を行うなど、他のピアニストと異
なる活動を続けている音楽家として尊敬していました。
また今回の演奏会は、先月のN響の演奏会を聴きに行った際に演奏会場の入り口で配布し
ているコンサートチラシの中に入っていたのを見つけ、わざわざ横浜の青葉台にあるPHILIA
HALLへ出かけたのです。
演奏曲目は、前半がハイドン:交響曲第48番ハ長調「マリア・テレジア」とモーツァル
ト:ピアノ協奏曲第21番ハ長調KV467、後半がメンデルスゾーン:交響曲第4番イ長
調「イタリア」でした。
1曲目のハイドンの交響曲でしたが、個人的に全体の流れについて行けない感じを受けま
した。この傾向はハイドン全ての交響曲に言えます。まとまりがない感じと、モーツァルト
のように滑らかに流れる音楽となっていなからです。
ハイドンは交響曲を104曲も作ったようですが、これらの曲を聴いても共感が得られな
いのは、聴く側の個人的な問題かも知れませんが、ハイドンはどうもいただけません。
2曲目は、久元祐子によるモーツァルトのピアノ協奏曲でしたが、第一楽章はオーケスト
ラとピアノの対話が少しギクシャクしているようで、どうなることかと心配しながら聴いて
いましたが、途中で久元が主導権をとり、オーケストラを引っ張った関係でまとまりがつい
た感じがしました。
第二楽章以降は、弦楽器が鳴るようになりモーツァルトらしさが出てきました。特にチェ
ロのパートは良く鳴っていたと思います。ただし、管楽器のパート(特にフルートとホルン)
の音色が全体の楽想と上手く溶け合わない感じを受けました。
さらに、カデンツァですが、今回はリパッティのものを使用するとのことで耳を澄ませて
聴きました。このカデンツァは初めて聴くものでしたが、全体的に生き生きとし、さらに堂
々としたももで、どちらかというと男性的な内容のものでした。
カデンツァを弾く久元ですが、オーケストラとの掛け合いの内容と打って変わり、ピアノ
が自由にまた滑らかにメロディを奏でるのを聴きながら、新鮮で新しいモーツァルトの一面
を見た感じがしました。
後半は、メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」でした。指揮者のいないオーケス
トラの演奏を聴きながら、感じたことは、指揮者の存在の大きさです。指揮者の必要性の有
無ではなく、音楽をより高度にまた内容を充実させるためにも、このオーケストラには指揮
者が必要と感じました。
オーケストラの技術レベルは高いものを感じましたが、全体のバランスや感情の自由な動
きが少なく、単純にいうと音楽の面白さを十分に発揮出来ていないと感じました。プログラ
ムやホームページを見ると指揮者をわざと置かないで音楽を作り出すことを念頭において活
動しているようですが、プロの音楽家であっても指揮者を置かずに演奏することには難しさ
があると思いますので、個人的には置かないことに対する疑問を感じました。いろいろな指
揮者のもとで、いろいろな音楽を作り出しながら成長することが重要だと思っています。
さらに感じたことは、今回の演奏はアンコール曲であるモーツァルト:歌劇「フィガロの
結婚」序曲を含め4曲演奏されましたが、曲ごとにコンサートマスターが変わっていました。
演奏内容が良かったのは、モーツァルトの2曲であり、これらの曲のときはともに女性のコ
ンサートマスターでした。女性の方が全体をまとめやすいのでしょうか?
今回の演奏会は、オーケストラにおける指揮者の重要性に関して、真面目に考えるきっか
けとなりました。