ゆうちゃんの独り言

モーツァルトが大好きで毎日欠かさず聴いています。人生の生き方は仏教で毎日般若心経を唱え、時間を見つけて寺巡です。 合掌

■ 東京アカデミーオーケストラ第36回定期演奏会を聴いて♪♪

2009-11-08 23:16:35 | Weblog
 
 この日曜日は、東京アカデミーオーケストラ第36回定期演奏会に出かけ、モーツァルト
のピアノ協奏曲を聴いてきました。 

 東京アカデミーオーケストラは、1991年に結成された室内オーケストラで、早稲田大
学交響楽団や慶應義塾ワグネル・ソサィエティー・オーケストラ等の大学オーケストラ首席
経験者が中心となって組織され、これまでに指揮者を置かずに活動を続けてきたオーケスト
ラとのことです。

 今回、初めてこのオーケストラを聴くきっかけとなったのは、今回の演奏会でモーツァル
トのピアノ協奏曲第21番を弾くピアニスト久元祐子の存在があります。昔からレクチャー
を交えたミニコンサートや、カルチャーセンターでの講義を行うなど、他のピアニストと異
なる活動を続けている音楽家として尊敬していました。

 また今回の演奏会は、先月のN響の演奏会を聴きに行った際に演奏会場の入り口で配布し
ているコンサートチラシの中に入っていたのを見つけ、わざわざ横浜の青葉台にあるPHILIA
HALLへ出かけたのです。

 演奏曲目は、前半がハイドン:交響曲第48番ハ長調「マリア・テレジア」とモーツァル
ト:ピアノ協奏曲第21番ハ長調KV467、後半がメンデルスゾーン:交響曲第4番イ長
調「イタリア」でした。

 1曲目のハイドンの交響曲でしたが、個人的に全体の流れについて行けない感じを受けま
した。この傾向はハイドン全ての交響曲に言えます。まとまりがない感じと、モーツァルト
のように滑らかに流れる音楽となっていなからです。

 ハイドンは交響曲を104曲も作ったようですが、これらの曲を聴いても共感が得られな
いのは、聴く側の個人的な問題かも知れませんが、ハイドンはどうもいただけません。

 2曲目は、久元祐子によるモーツァルトのピアノ協奏曲でしたが、第一楽章はオーケスト
ラとピアノの対話が少しギクシャクしているようで、どうなることかと心配しながら聴いて
いましたが、途中で久元が主導権をとり、オーケストラを引っ張った関係でまとまりがつい
た感じがしました。

 第二楽章以降は、弦楽器が鳴るようになりモーツァルトらしさが出てきました。特にチェ
ロのパートは良く鳴っていたと思います。ただし、管楽器のパート(特にフルートとホルン)
の音色が全体の楽想と上手く溶け合わない感じを受けました。

 さらに、カデンツァですが、今回はリパッティのものを使用するとのことで耳を澄ませて
聴きました。このカデンツァは初めて聴くものでしたが、全体的に生き生きとし、さらに堂
々としたももで、どちらかというと男性的な内容のものでした。

 カデンツァを弾く久元ですが、オーケストラとの掛け合いの内容と打って変わり、ピアノ
が自由にまた滑らかにメロディを奏でるのを聴きながら、新鮮で新しいモーツァルトの一面
を見た感じがしました。

 後半は、メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」でした。指揮者のいないオーケス
トラの演奏を聴きながら、感じたことは、指揮者の存在の大きさです。指揮者の必要性の有
無ではなく、音楽をより高度にまた内容を充実させるためにも、このオーケストラには指揮
者が必要と感じました。

 オーケストラの技術レベルは高いものを感じましたが、全体のバランスや感情の自由な動
きが少なく、単純にいうと音楽の面白さを十分に発揮出来ていないと感じました。プログラ
ムやホームページを見ると指揮者をわざと置かないで音楽を作り出すことを念頭において活
動しているようですが、プロの音楽家であっても指揮者を置かずに演奏することには難しさ
があると思いますので、個人的には置かないことに対する疑問を感じました。いろいろな指
揮者のもとで、いろいろな音楽を作り出しながら成長することが重要だと思っています。

 さらに感じたことは、今回の演奏はアンコール曲であるモーツァルト:歌劇「フィガロの
結婚」序曲を含め4曲演奏されましたが、曲ごとにコンサートマスターが変わっていました。
演奏内容が良かったのは、モーツァルトの2曲であり、これらの曲のときはともに女性のコ
ンサートマスターでした。女性の方が全体をまとめやすいのでしょうか?

 今回の演奏会は、オーケストラにおける指揮者の重要性に関して、真面目に考えるきっか
けとなりました。

■ 人生と加齢と体力低下!!

2009-11-08 11:34:51 | Weblog

 人間、誰でも歳をとると体のどこかが悪くなるものです。私は30歳を過ぎたころに受診
した健康診断で、コレステロール値が高いと診断され、それ以来30年近く薬を飲み続けて
生きています。コレステロールを下げる薬がなければ、とうの昔に心臓発作で死んでいたと
思います。

 長期間飲み続けていても、一般的に管理値と定められている値を現時点でクリアすること
が出来ていません。あとは、適度の運動とコレステロール値を上げないないような食事療法
を確実に行う必要があります。

 若い頃は、コレステロールを上げる食べ物をなるべく取らないようにしてきましたが、人
生50年を過ぎ、残りはおまけの人生のようなものだと思うようになると、ついついいい加
減になってしまいます。本当に困ったものです。

 また、幼少のころは小児喘息で苦しい思いをしましたが、中学生になる頃には発作がでな
くなりました。それ以来これまで一度も出なかったのですが、最近加齢による体力低下によ
るものと思いますが、朝晩喘息が出るようになりました。昔、小児喘息で苦しい思いをした
記憶が蘇りました。

 幸いにも現在掛かっている医師(年齢はほぼ凡夫と同じ女医さん)からアレルギー疾患治
療薬をもらっているので、朝晩薬を飲み発作を軽減しています。薬に頼るようになると人間
も終わりかなぁと思いますが、もう少しやってみたいことがあるので、しばらくは薬の厄介
にならざるを得ないと思っています。

 先日もいつもの医者に薬をもらいに行った時の会話ですが、「喘息がでたの?そう。でも
あなたはもう齢なのだからしかたがないのよ。」と言われ、納得感と自分の年齢を改めて認
識した次第です。

 さらに「あなたは、お酒が好きだったわよねぇ。週に何回お酒を飲むの?飲みすぎは駄目
よ。お酒の飲みすぎで消化できないものは体の中に蓄積し、最終的に脂肪に変化するのでコ
レステロール値が上がるから、注意しなさい」と言われ、その時は少し反省し、お酒の量を
控えようと思うのです。

 しかし、目の前に大好きな〆鯖や鰯や秋刀魚の刺身、さらに燗酒にぴったり合う鍋がある
と、ついつい日本酒の量が増えてしまいます。我が愚妻曰く、「好きなお酒を飲んで死ねる
のだから本望でしょう」と皮肉っぽく逆説的な良い方をされると、これまたへそ曲がりの凡
夫にとって意地でも飲んでやろうと思ってしまいます。

 仏教を信じ、少しでも自分の中の仏性を高めようとしている身でありながら、情けない行
動しか取れない自分を恥じることが多々あります。これでは、良い死に方ができないなぁと
反省の日々が続いています。

 仏教や禅の本をそれなりに読んでいますが、考え方だけ身に付いて、実践が伴わない情け
ない結果となっています。しかし、気分が乗っている時とか、あるいは心が充実している時
は、般若心経を唱えたりして、一時的ですが無心の世界とでもいう状況を体験しています。

 最近はこのように歳をとって体力的にも人生的な面でもちょっと問題の状況に陥っていま
す。ただ一つだけ言えることは、人それぞれに異なったものだと思いますが、自分なりにい
ろいろな経験を通して、今の自分のある部分は形成されたと言って過言ではないと感じてい
ます。

 歳をとったらそれまでの経験を生かすことが重要であるし、また一方で、体力は必然的に
低下するのでそれに合わせた生き方を行うべきだと最近感じています。人生1回だから味が
あり、また失敗を通じて賢くなるプロセスを学ぶことが出来るのが、人生の醍醐味であるこ
とを考えると、いまのままが最高だと思います。

 歳を積み重ね加齢によるいろいろな不具合が出てきても、それを良しとして進む人生をす
べきだと思っていますし、自分には、モーツァルトと仏教があれば人生迷わず前に進むこと
が出来ると確信しています。モーツァルトと仏教に出会たことが最高の喜びです。合掌