ゆうちゃんの独り言

モーツァルトが大好きで毎日欠かさず聴いています。人生の生き方は仏教で毎日般若心経を唱え、時間を見つけて寺巡です。 合掌

■ 第1659回NHK交響楽団定期演奏会を聴いて(Cプロ初日)♪♪

2009-11-22 18:40:00 | Weblog
 
 先週の金曜日の夜に、指揮者のネルロ・サンティを生で聴くチャンスがあと何回あるかど
うか分からないので、前週に引き続き渋谷のNHKホールへ出かけNHK交響楽団定期演奏
会を聴きました。

 演奏曲目は、前半がレスピーギの交響詩「ローマの噴水」と森の神々、後半はヴェルディの歌劇
「オテロ」から「柳の歌」「アヴェ・マリア」、ストラヴィンスキーのバレエ組曲
「火の鳥」(1919年版)でした。

 レスピーギという作曲家ですが、始めはヴァイオリンやヴィオラの演奏者として活動した
が、その後は作曲に転向した音楽家です。作品としては、「ローマ三部作」と呼ばれる一連
の交響詩「ローマの噴水」、「ローマの松」、「ローマの祭り」やリュートのための古風な
舞曲とアリアの組曲が有名です。

 今回は「ローマ三部作」の中から交響詩「ローマの噴水」が演奏されましたが、個人的に
波長が合わない作曲家です。このように好き嫌いがはっきりしてしまうと、音楽を聴く姿勢
にも影響がでてしまうのではないかと、個人的に心配してしまいますが、別に音楽評論で生
活して行く訳でもないので、気楽に感じた内容を述べています。

 「ローマの噴水」ですが、繊細なタッチで噴水を中心とした心理的な風景描写を音で表現
したものだと思いますが、凡人にはこれらの音からレスピーギが思い描いた情景が浮かんで
こないのです。自分の想像性のなさを嘆きたくなるような感じで聴きました。

 もっとも理解に苦しんだのは、2曲目の森の神々です。どちらかというとフランス音楽の
かったるさが出ているような楽想で、ソプラノのアドリアーナ・マルフィージがいくら名歌
手と言われても、聴く側からしたらこの音楽は正直言ってどのように聴いたらよいか分から
ないものでした。

 前半の演奏を聴き、失望感で一杯となったので後半はどのようになるのか心配でしたが、
後半の1曲目であるヴェルディの 歌劇「オテロ」から「柳の歌」「アヴェ・マリア」は、
素晴らしい内容でした。

 特に「アヴェ・マリア」は、最高の出来栄えで、前半のレスピーギを歌った同じプラノ歌
手とは思えないほど、声と言い表現する内容の技術面と心理面が見事に融合して、素晴らし
い演奏でした。

 聴きながら自分も同化してしまうような名演奏だったと思います。声の柔らかさと安定し
た音程、さらに心に響く歌い方は流石名歌手だと思わせるものが多くありました。

 後半の最後の曲はストラヴィンスキーのバレエ組曲「火の鳥」(1919年版)でしたが、
これもしっかりとした演奏構成で組み立てられており、N響の演奏能力の高さを示した内容
でした。個人的には、指揮者のネルロ・サンティがストラヴィンスキーの作品に挑戦するな
ど、考えても見なかったことなので、意外性を持ちながら聴いた次第です。

 前月のアンドレ・プレヴィンや今回のネルロ・サンティのように、かなりの高齢なった指
揮者の演奏会は、次の機会を期待できないような感じを受けるので、今回のように2週連続
でN響を聴きに行くことになるのです。今後とも良い演奏を聴かせて欲しいものです。

■ お互いを理解するために!!

2009-11-22 13:25:45 | Weblog

 育った環境が異なれば、それだけ相手の状況を理解するのに苦労するのは当然のことだと
思いますが、自分がこれだけ相手に対して良くしているのに、理解してくれないのは何故だ
ろうと感じることがあるのは、誰もが経験していることと思います。

 そのようなときにどうしたら良いのでしょうか?簡単なのは、相手が理解してくれないの
は相手に問題があるのだから、今後は当たり障りなく適当に対応するという逃げの姿勢に入
ることです。

 一見、正しいようで納得ができるものですが、本当にそうなのかどうか迷いが生じます。
自分の事は自分が一番良く知っていると思いがちですが、自分が置かれている状況を理解し
ていないことがよくありますし、相手も同じ状況だと思います。

 であるならば、お互いに歩み寄ることが最も大切なことなのですが、残念ながら人間は自
分を正当化する方法をいろいろと考えます。所謂、保身という自分中心の世界感の考え方で
す。自分を可愛がることが出来ないものは、他人を想いやることが出来ないのも正しいこと
だと思いますが保身はいけません。

 しかし、自分を守ったところで、本来の進むべき道が開かれるわけではありませんし、こ
の世の中で、自分ひとりで物事を進めることはできないからです。たとえノーベル賞をとる
ような素晴らしい能力を持っていたとしても、一人では生きられないのです。

 ではどうしたら良いかというと、自分の周りの人との関係を円滑にする最低限の術を身に
つける必要があります。それには自分にとって苦手な相手であったとしても、最低限の対応
をすべきなのです。具体的には、まず相手を褒めることだと思います。

 決して八方美人になれとは言っていません。どんな人でも必ず良いところがあるのですが、
人間は哀しいかな相手の欠点や厭なところに目が行ってしまうのが普通です。

 そして、そこで感じたことでその人の全てを判断してしまうのです。その基準を変えない
限り、その人との関係をより良くすることが出来ません。相手に対してそのような行動に出
れば、反対に相手も自分に対して同様の対応をして来るのです。

 こちらが好意的な対応をすれば、自ずと相手も同じ対応に出てきます。仮に相手が好意的
に出てこなくても、こちらは常に好意的な姿勢を出し続ける必要があります。こちら側から
の好意的な対応が無くなった段階で、相手との関係は単純に終わってしまい、元の状態に戻
ってしまうという最悪の状態は避けるべきです。

 人間は、他力によって生きているという考え方に共感し、それに基づいて行動することが
出来れば、自分以上に他人に対する接し方が自ずと変わるので、必然的に相手の対応も変わ
るはずです。

 さらに、相手が直ぐに変わらなくても変わるまで待つという忍耐力が特に必要となります。
自分のためでなく、他人のために自分を捧げるといった利他的な考え方をする人が多くなれ
ば、この世の中はオセロゲームのように、ある時一挙に変化する大きな現象が起こると思っ
ています。

 その日が来るまで、ひたすら自利でなく利他のために自分を生かすことが重要だと思って
いるこの頃です。合掌