ゆうちゃんの独り言

モーツァルトが大好きで毎日欠かさず聴いています。人生の生き方は仏教で毎日般若心経を唱え、時間を見つけて寺巡です。 合掌

■ 幸せの飽和と意識!!

2010-01-10 11:18:10 | Weblog
 一昨年のリーマン・ショック以来、世界の景気は後退し、日本でもデフレスパイラル現象
が生じ、多くの業界で先行きが不透明になって来ています。このような状況の中で、我々が
唯一対応できることは、節約を含めた消費を減らす行動です。

 1980年代後半から始まったバブル経済の時期は、誰もが右肩上がりの状況が続く訳が
ないと思いながらも、その時の大きな流れの中で禁断の果実を味わっていたのです。何事も
金で解決がつくことから、自らの立ち位置を誤解し、あたかもその状況が相応しいものだと
思いながら、物の購入に走った時期でした。

 バブル期は自分の欲しい物が何でも手に入れられたので、戦後の物が無い時期から見ると
天国のような錯覚を覚えたに違いありません。そして物を得ることで、自分は幸せだと感じ
る日本人が殆どでした。

 物が無かったと言うひもじい経験をしている戦前派は、物の価値が分かるのですが、これ
らの経験がない戦後派はこの本質の点で見極めが弱いのです。また、戦前生まれの人と戦後
生まれの人の価値観が、ここで大きく変わったのではないかと思います。

 このようなバブル時代に育った若者が、今は親となり子供を面倒見るようになって、今の
世の中は激変しました。何が変わったかというと、自分の子供たちにいとも簡単に物を与え、
さらに常に最善の道を選ぶようにレールを敷き、子供に選択権を与えないような育て方をし
てきたのです。

 失敗を経験させない生き方が最も危険です。安全な生き方が最も危険である事に何故気づ
かないのか残念で仕方ありません。自然界の動物の育て方に見習う必要があります。

 これらの背景には、常に今よりも幸せのレベルを上げることが必須だと考えているのだと
思います。というのも、今の親はバブルの時期に最もその恩恵を受けた世代であるから、自
分自身がまず現状の幸せレベルを上げたいとの想いが強いのだと思います。

 常に成長することが重要だと今の世の中で言われていますが、その意味をもっと真剣に考
える必要があると思います。極端な言い方をすれば、今の親はまず自分があって、その次に
子供があるのです。昔の親は、自分よりも子供の事を考え行動していました。今の親は、行
動の順番を変える必要があるのです。

 一方で今の若者を批判する事がありますが、最終的な問題は学校教育にあるとの残念な結
論がよく引き出されています。個人的には、教育は学校ではなく家庭での教育が最も重要と
考えます。

 もっと言えば親が子供をきちんと教育していないことが、今の日本を弱くしているのだと
思っています。言葉を変えて言えば今の親は、こどもを教育する基本部分を持っていないの
で、子供を指導することが出来ないとも言えます。

 確かに便利なものを手に入れることは大切かも知れません、また美味しい物を食べるのも
時には必要だと思いますが、最も重要なことは人間としてどのように生きるのか、何を価値
観として持って生きるのかという基本的なところが欠けていることが、不幸なことだと思っ
ています。

 成長が極端に遅くなった時代の生き方として、物に執着するのではなく人間としての生き
方に執着するような方向に転換すべきだと思います。60歳を間近にしている凡夫にとって
は、日本全体が貧しかった時期を少しだけ経験しているので、物の価値もある程度分かりま
すし、それ以上に物が全てではないとの考えが染みついています。

 物が中心の幸せは、飽和状態が必ず来ますが、心の幸せは飽和しません。毎日が幸せを感
じる生き方は十分に可能であることを今の親は再認識し、この考えに従って自分の子供を再
教育して欲しいと思います。

 このような時代であるからこそ、もっと人間としての幸せが何かを真剣に考えてほしいと
思うのです。特に今の親の意識を変えることが、日本を変える大きな要因になると考えてい
ます。政権交代以前の大きな日本の問題であると認識しています。

 凡夫の浅はかな考えで、失礼いたしました。 合掌

■ 第1664回NHK交響楽団定期演奏会を聴いて(Aプロ初日)♪♪

2010-01-10 09:47:29 | Weblog
 土曜日に今年はじめてのN響定期公演を聴いてきました。当初の指揮者はローレンス・フ
ォスターでしたが、本人の健康上の理由により来日不可能となり、尾高忠明がその代役を務
めました。

 演奏曲目ですが、毎年恒例のウィーンフィル・ニューイヤーコンサートのような内容で、
前半がウィーンナーワルツ、後半はR. シュトラウスの曲でした。詳細な曲目は、ヨハン・
シュトラウスII世の作品から、喜歌劇「こうもり」序曲、常動曲作品257、アンネン・ポ
ルカ作品117、ポルカ「観光列車」作品281、皇帝円舞曲作品437とヨーゼフ・シュ
トラウスのワルツ「天体の音楽」作品235でした。曲の内容としては、ヨーゼフ・シュト
ラウスのワルツ「天体の音楽」が気に入りました。

 これらの曲を聴いた率直な感想ですが、音が良くないことでした。理由は分かりませが、
ワルツなのに聴いていて楽しくないのです。もっと言えば、心や体が音楽に合わせて同調す
るような状況にならないのです。

 自分でもとても不思議でしたが、よくよく音楽を聴きながら考えると、生意気な言い方で
すがウィーンの雰囲気が伝わってこないのです。日本人だからワルツの演奏が出来ないとは
言いませんが、体に染みついたあるいは自分の中に流れている血が騒ぐようなことがないか
らだと思います。

 さらに、ワルツを演奏するため必要となる演奏基礎技術が日本のオーケストラは少し弱い
のかも知れません。兎に角、ワルツを6曲聴きましたが、表面上の楽しさだけで、心の残る
ものがなかったのが実情でした。

 他人がどう判断しようと関係ありませんが、当日の会場にいた多くの聴衆も私と同じよう
な感想をもっていたと、演奏後の拍手の大きさを聴きながら感じました。日本の聴衆のレベ
ルが上がった証拠だと勝手に思った次第です。

 前半の演奏が終了後15分の休憩時間に、コーヒーを飲みながら後半もこのような退屈な
演奏であれば、今日の演奏会は来なかった方が良かったと思うほどの内容でした。

 後半は、2曲ともR. シュトラウスの曲で、最初のブルレスケはどちらかというと小規模
のピアノ協奏曲のようなものだと思いました。今回のピアニストは、若林顕で個人的には初
めての演奏家でした。演奏は素晴らしいと思いましたが、全体の楽想がいまいちだったとい
うのが本音です。

 曲の展開が円滑でなく、ばらばらのパートをつなぎ合わせて取りあえず一つの曲にしたよ
うな感じを受けました。ただ、時々ブラームスのピアノ協奏曲第2番のイメージが湧いてく
るような場面もあり、これから新たな展開部に入るのかなぁと期待しましたが、またもとの
流れに戻ってしまいました。全体的に、曲の完成度が低い感じがしました。ただし、ティン
パニとピアノの掛け合いの仕組みは大変に面白かったです。

 2曲目は歌劇「ばらの騎士」組曲で、R. シュトラウス自身が作ったのではないとの説が
あるようですが、個人的には今回の演奏会の中では最も完成度が高い曲であり、さらに演奏
内容もよかったと思います。

 R. シュトラウスの特徴が十分に発揮されたもので、管楽器がバリバリと吹きまくったり、
多彩な打楽器が登場し叩くなど、今回の演奏会の不満を解消するようなパワーで演奏してい
ました。劇的に終わる曲を聴くと聴衆は、それにつられて感動しがちですが、今回もその傾
向が強くでており最大の拍手で終わりました。良いことかどうか分かりませんが・・・