ゆうちゃんの独り言

モーツァルトが大好きで毎日欠かさず聴いています。人生の生き方は仏教で毎日般若心経を唱え、時間を見つけて寺巡です。 合掌

■ 死生観に関して!!

2010-06-06 11:25:11 | Weblog

 先日、山折哲雄著の日本人と「死の準備」という角川SS新書を読みました。久しぶりに
充実した内容の本を読んだ感じがしました。いままで漠然としていた死ぬことに関してその
意味を明確にし、現在の日本人に欠けている死生観を分析した内容です。若いころにこのよ
うな本に出会っていたら、少しは人生の生き方が変わったのではないかと思える内容です。

 昔は人間の死は自宅で迎えるのが全体の8割程度あったものが、最近は病院でその人の死
を迎えるのが8割を超えているといいます。それは、命を少しでも現代の医学で延命させる
試みを行う結果から生じるものです。

 昔は自然に命が枯れて行くように死を迎えるのが普通であったことが、中途半端に科学が
進歩したものだから命を延ばすことが正しいことで、どのような場合でも延命させるという
考え方が余りにも定着したことから、結果的に多くの人が苦しみをともなって旅立って行く
ような場面が多くなった感じがします。

 医者の使命は少しでも生きながらえるようにすることなのでしょうか?原因が病気なのか
不慮の事故なのかは別にして、一つの事実としては、人間は必ず死を迎えるのです。どんな
に頑張っても遺伝子上の制約で120歳程度までしか人間は生きられないのです。

 有限の命であるのに、死に直面すると医者は使命感に従ってどうして延命させるのかわか
りません。極端な考え方ですが、自然に死なせることも一つの大きな生き方であると思いま
す。しかし、いざそのような場面に直面するとほとんどの人が延命を選択する行動になると
思います。

 いま日本人に欠けているのは自分の死に方を考えていないことだと思います。そろそろ還
暦に近づいている自分を考えると、人生の半分以上はすでに終わりあとは自分の人生を如何
に悔いが残らないようにするかを考えながら自分の残りの人生を設計し、それに従って生き
ることだと思います。この死を目標とした人生設計が出来ていないことと、死というものを
きちんと自分の中で整理し認識することが出来ていないことが最も大きな問題だと思うので
す。

 これらは自分の身の回りで死という現実に接する機会が極端に少なくなっていることと、
死生観に関する教育が行われていないことに起因しています。学校教育で死生観を全て身に
付けることは難しいことです。家庭でこそ行うべきものだと思いますが、昔のように自宅で
最期を迎える割合が極端に少なくなってきていることが原因で、人の死に方を身近で体験で
きないことが問題です。

 死にゆく姿をしっかりと見せることが年寄りの仕事であり、それを観ながら死とは生きる
とはを考え自分の番が来たらそれらを実践し、次の世代に繋げることが大切なことだと思い
ます。そのためにも自分の死生観を確立する必要があります。生きることの意味やその根底
にあるものをしっかりと考える宗教が必要だと思うのですがいかがでしょうか?  合掌

■ 第1676回NHK交響楽団定期演奏会を聴いて(Aプロ初日)♪♪

2010-06-06 00:26:18 | Weblog
 昨日の土曜日にN響の定期演奏会に行って来ました。指揮はウラディーミル・アシュケナージで演奏曲目が全てドヴォルザークで、前半がチェロ独奏デーヴィッド・コーエンによるチェロ協奏曲ロ短調作品104、後半が交響曲第8番ト長調作品88でした。

アシュケナージが指揮した演奏会で、いままでに満足した演奏会はほとんどなかったので期待せずに出掛けましたが、今回は従来と異なりN響の歴史の中でも記録に残る名演奏であったと思います。このような場を共有することができたことは、幸せだと正直に思う程の内容でした。

前半のチェロ協奏曲ですが、独奏者のデイヴィッド・コーエンが素晴らしい演奏を披露し、優れたチェリストであることを証明したような内容の演奏会でした。コーエンは、ベルギーのトュルネで生まれ、9歳にしてベルギー王立管弦楽団とソロデビューを果たすなど幼少のころからその才能を発揮していた演奏家です。特にユーディ・メニューインとロストロポーヴィッチから直接指導を通じて、持ち味の音楽性にさらに磨きをかけ、素晴らしい演奏家に成長しました。

今回の演奏会においても、とても美しい音色とともに心がこもった音楽の流れに、ただただ聴き入るだけでした。彼の楽器は1735年製ドミニクス・モンタニャーナで、小さな音から大きな音まで滑らかに流れ出るだけでなく、どこか上品さがこもっている感じを受けました。

バックで演奏したN響ですが、バランスが取れた演奏で久しぶりに満足できる内容でした。鳴りやまぬ拍手にコーエンは、カタロニア民謡「鳥の歌」をアンコールとして演奏しました。大きなNHKホールの隅々にまで「鳥の歌」が浸み渡るように流れ、時間を忘れ何故か極楽浄土に居るような錯覚さえ受けました。この世のものとは思えぬ不思議な音色に包まれ至福の時を過ごしました。

後半は、交響曲第8番ト長調で、曲の構成とその内容から一般的に良い演奏に恵まれる曲ですが、指揮がアシュケナージなので、諦めていましたが、今回の演奏は、非の打ちどころがないような充実した演奏でした。特に全体のバランスが完璧であったことと、全ての音がきちんと聴くことが出来たのは、取りも直さずバランスが取れていることを示しています。

管楽器のトランペットから木管楽器のクラリネットへ音がスムーズにフェードアウトしたり、ホルンが全体の演奏をメリハリを付けるように支えたり、またチェロとビオラが中低音部分で音の膨らみをサポートしたりと、それは素晴らしい内容でした。管楽器ではトランペットとホルン、木管楽器ではクラリネットとフルートの出来が特に良かったと思いましたし、弦楽器も従来以上に素晴らしい内容でした。

指揮者のアシュケナージですが、従来は演奏内容がいまいちなのですが、今回だけは脱帽しました。何しろ全体の構成においてバランスが取れていたことにより、聴く側の心にいろいろな感動を引き起こすことが出来たと思います。いままでにいろいろな指揮者による交響曲第8番を聴きましたが、今回の演奏が最も素晴らしい内容であったと断言できる出来栄えでした。幸いにも後日に放送するために収録が行われていたので、確実に録画しようと思いました。

久しぶりに感動した演奏会で、N響の実力を見せつけられました。皆さんも後日放送される番組で、今回の演奏の素晴らしさを味わっていただければ幸いです。久しぶりに満足感とともにNHKホールを後にしました。