先日、山折哲雄著の日本人と「死の準備」という角川SS新書を読みました。久しぶりに
充実した内容の本を読んだ感じがしました。いままで漠然としていた死ぬことに関してその
意味を明確にし、現在の日本人に欠けている死生観を分析した内容です。若いころにこのよ
うな本に出会っていたら、少しは人生の生き方が変わったのではないかと思える内容です。
昔は人間の死は自宅で迎えるのが全体の8割程度あったものが、最近は病院でその人の死
を迎えるのが8割を超えているといいます。それは、命を少しでも現代の医学で延命させる
試みを行う結果から生じるものです。
昔は自然に命が枯れて行くように死を迎えるのが普通であったことが、中途半端に科学が
進歩したものだから命を延ばすことが正しいことで、どのような場合でも延命させるという
考え方が余りにも定着したことから、結果的に多くの人が苦しみをともなって旅立って行く
ような場面が多くなった感じがします。
医者の使命は少しでも生きながらえるようにすることなのでしょうか?原因が病気なのか
不慮の事故なのかは別にして、一つの事実としては、人間は必ず死を迎えるのです。どんな
に頑張っても遺伝子上の制約で120歳程度までしか人間は生きられないのです。
有限の命であるのに、死に直面すると医者は使命感に従ってどうして延命させるのかわか
りません。極端な考え方ですが、自然に死なせることも一つの大きな生き方であると思いま
す。しかし、いざそのような場面に直面するとほとんどの人が延命を選択する行動になると
思います。
いま日本人に欠けているのは自分の死に方を考えていないことだと思います。そろそろ還
暦に近づいている自分を考えると、人生の半分以上はすでに終わりあとは自分の人生を如何
に悔いが残らないようにするかを考えながら自分の残りの人生を設計し、それに従って生き
ることだと思います。この死を目標とした人生設計が出来ていないことと、死というものを
きちんと自分の中で整理し認識することが出来ていないことが最も大きな問題だと思うので
す。
これらは自分の身の回りで死という現実に接する機会が極端に少なくなっていることと、
死生観に関する教育が行われていないことに起因しています。学校教育で死生観を全て身に
付けることは難しいことです。家庭でこそ行うべきものだと思いますが、昔のように自宅で
最期を迎える割合が極端に少なくなってきていることが原因で、人の死に方を身近で体験で
きないことが問題です。
死にゆく姿をしっかりと見せることが年寄りの仕事であり、それを観ながら死とは生きる
とはを考え自分の番が来たらそれらを実践し、次の世代に繋げることが大切なことだと思い
ます。そのためにも自分の死生観を確立する必要があります。生きることの意味やその根底
にあるものをしっかりと考える宗教が必要だと思うのですがいかがでしょうか? 合掌