翌日(19日)は 北陸自動車道を南下 金沢に立ち寄りました。
金沢城公園
2001年(平成13)菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓が復元、日本古来の伝統工法に寄り建設されています。(明治以降の木造城郭としては全国最大の規模)
加賀百万石前田家の祖、前田利家は 尾張荒子(現名古屋市中川区荒子町)の出なのですね。織田信長に従い、大名としての基を築きました。(秀吉と柴田勝家の戦いの後、秀吉と提携し、天正11年(1583) 金沢城に入城)
広い公園内は未整備の所も多く、いもり坂口から上がると急に視界が広がり 五十間長屋が見渡せたのは圧巻でした。伝統木造工法・土塀の 海鼠壁 も見事でした。金沢城の石垣もいろいろな石積み技法が使われており、 "石垣めぐり場内ルート" もあります。
重要文化財に指定されている現在の石川門は、天明8年(1778) に再建されました。金沢城の裏門になります。この門を通り抜け 兼六園の桂坂口に入ります。
兼六園 は江戸時代の代表的な林泉回遊式大庭園の特徴をそのまま残しています。金沢城の城郭として城に属した庭です。日本の三大庭園と言われるだけに 庭園内の樹木 (松) は落ち着きがあり どっしりと根を張っていました。多くの観光客が散策しており ツァ・グループに説明しているのを 近くに寄って、耳を大きくして聞いておりました。
[徽軫灯籠](ことじとうろう)
霞ヶ池の北岸に配された兼六園を代表する景観です。徽軫灯籠は足が二股になっていて、琴の糸を支える琴柱(ことじ)に似ているのでその名が付いたと言われています。この灯籠は水面を照らすための雪見灯籠が変化したもので、高さは2.67m。かたわらのモミジの古木、曲水に架かる虹橋と一体となって優れた風景を醸し出しています。 (ホームページより抜粋)
城内・園内 ゆっくり散策して、帰路に着きました。再び 東海北陸道に戻り多くのトンネルを抜けて木曽川を渡り 一宮に着いた途端、暑い! 昨日・今日と真夏日だったようです。(日本海は爽やか涼しかったのに・・) 見どころ満載、充実の二日間でした。 2日間 運転ありがとう! 次回はどこへ行こうかな?
金沢城公園
2001年(平成13)菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓が復元、日本古来の伝統工法に寄り建設されています。(明治以降の木造城郭としては全国最大の規模)
加賀百万石前田家の祖、前田利家は 尾張荒子(現名古屋市中川区荒子町)の出なのですね。織田信長に従い、大名としての基を築きました。(秀吉と柴田勝家の戦いの後、秀吉と提携し、天正11年(1583) 金沢城に入城)
広い公園内は未整備の所も多く、いもり坂口から上がると急に視界が広がり 五十間長屋が見渡せたのは圧巻でした。伝統木造工法・土塀の 海鼠壁 も見事でした。金沢城の石垣もいろいろな石積み技法が使われており、 "石垣めぐり場内ルート" もあります。
重要文化財に指定されている現在の石川門は、天明8年(1778) に再建されました。金沢城の裏門になります。この門を通り抜け 兼六園の桂坂口に入ります。
兼六園 は江戸時代の代表的な林泉回遊式大庭園の特徴をそのまま残しています。金沢城の城郭として城に属した庭です。日本の三大庭園と言われるだけに 庭園内の樹木 (松) は落ち着きがあり どっしりと根を張っていました。多くの観光客が散策しており ツァ・グループに説明しているのを 近くに寄って、耳を大きくして聞いておりました。
[徽軫灯籠](ことじとうろう)
霞ヶ池の北岸に配された兼六園を代表する景観です。徽軫灯籠は足が二股になっていて、琴の糸を支える琴柱(ことじ)に似ているのでその名が付いたと言われています。この灯籠は水面を照らすための雪見灯籠が変化したもので、高さは2.67m。かたわらのモミジの古木、曲水に架かる虹橋と一体となって優れた風景を醸し出しています。 (ホームページより抜粋)
城内・園内 ゆっくり散策して、帰路に着きました。再び 東海北陸道に戻り多くのトンネルを抜けて木曽川を渡り 一宮に着いた途端、暑い! 昨日・今日と真夏日だったようです。(日本海は爽やか涼しかったのに・・) 見どころ満載、充実の二日間でした。 2日間 運転ありがとう! 次回はどこへ行こうかな?