yoyo独り言

日常の思いつくままを、
心の整理場所として・・

エンドーさんからのお手紙

2016年06月16日 | セネガル便り
エンドーさんが緊急帰国され 「セネガル便り」 は終わりました。
文具他 支援して頂いた方には 本当にお礼申し上げます。
体調が優れないまま、日本での生活を始められ
お手紙・年賀状を頂いていたのですが、
ブログに掲載せずにおりました。
個別に連絡を頂いた方には エンドーさんの了解を得て
近況や連絡先を伝えていました。

今日(15日)、エンドーさんからお手紙が届き、
皆様にもお知らせしたくて文面をそのまま載せます。
もしエンドーさんに直接伝えたい、連絡したいという方がいられましたら
この欄の左下にある「メッセージを送る」にご連絡ください。
エンドーさんに伝え、了解が得られましたら 連絡先をお知らせします。

お久しぶりです。
お元気で過ごされていますか?
ええ~ 日本帰国後。約1年が過ぎ、私のその後の状況報告を。
昨年、今年と 3度の入院、その内2回は手術と・・
いろいろ目まぐるしい動きがありました。
もともと帰国理由が身体を壊しての事。
これらは私的に長年のセネガルでの田舎暮らし、
活動するにしても 生活をするにしても 常に緊張を強いられての疲れ、
それさえも気づいていない自分の身体、
更に、日本帰国が出来た事への安心感。
ここが大きかった。 つまり気の緩み・・・かな 情けない。
ええ~先は術後ですから 6月の梅雨入りを超えられればもう大丈夫です。
今は出逢った相模原の皆様に導かれ 今の私が居ます。

セネガル便りの中で 協力してくださった仲間達、mixさん、
yoyoさん その他支援して下さった皆様、
有り難うございました。
2016年6月13日 小雨   エンドー



10年一昔  2006年6月16日
ハワイへ出発です。

セネガル便り-645-

2015年05月18日 | セネガル便り


セネガル便りNo653 届きました。
突然の帰国・・・前回3月29日では その予定は全く有りませんでした。
が、私達は外国人登録証書更新の為、5年に1回DAKARの警察署に行く必要が有り、
その書類の中に健康診断が有り、医者に驚かれました。
これでは書けない・・・と
その理由とは、長年村での生活(環境)の中、
私の身体が悲鳴を上げていたと言う事です。
簡単に言うと、私の皮膚及び肉体等、皺々になり、
もう老人のようになっていました。
それは村人にも言われてはいました。
又身体の中でバチバチ、何か音が聞こえてもいました。
が、私自身それが何なのか解っていなかったのです。
で、警察署に行く為、知人宅(宿泊日本人)を尋ねた時、
"どうしたの?・・・" そこから一連の帰国への展開となりました。
この人には、宿泊・食事・病院・薬品・・等 全て助けられました。
この人がいなければ、帰国して 今の私が有りませんでした。
何度目かの助かった命です。
もう生きろ と言う事ですね。
今 元気です。
2015年5月17日(日)  エンドー

長旅を経て・・・

2015年05月12日 | セネガル便り


2月17日に送った小包、そろそろ到着する頃(2~3か月かかります。)
と思っていたのですが・・・
エンドーさんの突然の帰国のお知らせ!
小包はどうなるのだろうと案じておりましたが
今日、返送されてきました。
何かひどい状態・・・
セネガル往復ですからね・・・
2005年から 文具の支援をしています。
最初はセネガル支援団体を経由して送り
いつの頃か 船便で送っています。
時間はかかりますが、今までのは全部届いています。
届いた時は原型をとどめないくらい酷い時も有ったようです。
でも、届いています。
中身のチェックが有るのかしら?
正直に申告していますから 問題は有りません。

送った時はこのような状態でした。



届かない場合は 「破棄」 とチェックをしていますから
何故戻ってきたのかはわかりません。
日数で言えば 帰りは航空便だったような・・・
「破棄」のチェックが有ったので 返送料は無料でした。
(航空便なら・・・払えない~~~)
「宛先人不明」 となっています。
と言う事は エンドーさんその頃には 自宅に居なかった?
セネガルで入院?されていたのでしょうか?

文具を届けて頂いている皆様すみません。
暫く文具を送るのは見合わせます。
エンドーさんから連絡があれば
又ブログに掲載します。
この10年余、
いろいろな方から文具・他を届けて頂き
本当に有難うございました。

セネガル郊外の村の子供達にとって素晴らしプレゼントに
なったと思います。

yoyoもとてもやりがいのある活動でした。
2個の荷物、どうしましょうかねぇ~~~

セネガル便り-653-

2015年05月11日 | セネガル便り


セネガル便り・・・その後
2015年4月25日 日本到着(羽田)
久しぶりの日本、何もかもに震えています。
先ず日本人・・・・ 顔が白い!
そして誰を見ても同じ顔に見える。
これはすぐ慣れるんだろうなぁ~~
で、そういったものは後にして、心配している事でしょう。
数日間ホテル暮らし・・・
住むところとしてアパート、今ここに居ます。

で、 突然の帰国、お世話になっているセネガル便りの皆様には
納得がいかないでしょう・・・
私自身まだうまく説明が出来ていないのですが、
ドクターストップですね。
セネガルの医師によれば(及び日本の医師) 
今すぐ終わっても不思議ではないそうです。
ここは後で説明します。
もっと言えばこのままいけば
飛行機の上空気圧に耐えられ無くなるとの事、
よって私の住むクールアブドーンドイ村には
僅かな時間、村人との挨拶も慌ただしく
機内における手荷物1つで帰国しました。
ええ、やり残したことも有ります。
しかし、後悔は有りません。納得です。
先ずは私、布団と電気(ランプ)と目覚まし時計からスタートです。
セネガル便りの皆様・・・
いつもここから・・・
元気です。  エンドー
2015年5月5日

突然のお便り、国内から・・
yooyも驚いています。
前回のお便り(3月29日)では
帰国の予定等何も書かれてはおりませんでした。
よほど緊迫した事態になっているのでは・・?
何か治療を受けられるのでしょうか?
又、セネガルには戻られるのかしら?
送った荷物が到着するころなんだけど・・
誰かに託しているのでしょうか?
???  ですが
健康が第一です。
「マラリア」 から生還したように
元気を取り戻してくださいね。
エンドーさんの日本の住所を知りたい方は

yoyo*goo.jp

*を@に変えて メールをください。
自分の住所 電話番号
どのようなお知り合いかも記入して頂ければ
そのままエンドーさんにお知らせします。
早く元気になって欲しいです。

セネガル便り-652-

2015年04月27日 | セネガル便り
正直に言えば、その時々により
「あっ! もう駄目かな、ここまでなんだ」 と思う時も有ります。
そういう事は今も続いていますが、その度に何とか繋がっています。
ここを説明しますと、朝、目覚めますと
「あれ! まだ生きている、まだ大丈夫なんだ・・・」
そういう瞬間が何回か有ります。不思議です。
例えば今こうやって笑って話せていますが・・
それは、人間ってそこを意識しますとどういう訳か
テンションが上がり、元気が出る、可能になります、これ本当ですよ。
まぁ まだ 余裕が有るって事でしょうね。
何か危ない話になって来ましたが・・・
セネガル便りには相応しくないでしょう。
でも私にとっての懐かしの歌、
あの澄み切った男性、女性の声、そこに繋がっているのです。
日常 いつも何をどうやって食べるか・・
常にお腹がぐうぐう鳴っている状態の私です。
ヘッヘッヘッ・・・
何か初めて言いましたね。そこも私が選んだ事ですから・・。
(セネガルの田舎での私の生活はそういう事です。)
村で生活する現地の人達、大半の人も同じです。
でも彼達は笑って生活しています。
日本を知っている私からすれば厳しいだろうなぁとは思います。
ですから今の私なんです。
方法は違っても その可能性を何とか導きたい、そこに向かっているのです
出来なかったら・・・? もう運しかないです。
それに挑んでいるのです。馬鹿でしょう・・
どうもすみません。
エンドー

ええ~ 私の中では、「大丈夫?」 と言ってくれる人は沢山有ります。
でも言うだけでなくそれを実行する人、少ないです。
セネガル便りを支援してくださっている方々、その仲間達、yoyoさん
私、いい人々と出逢っています。 嬉しいです。

♪ あ~あおい山脈~~輝く嶺の~~
懐かしさ 見れば涙かま~た~にじむ・・

ですからね・・有難うございます。
さぁ~~ 今日も生きるぞ!   エンドー

2015年3月21日

セネガル便り-651-

2015年04月26日 | セネガル便り
セネガル便り No638~No639 届きました。
それと「懐かしの歌」CDも届きました。(3月19日)
早速 プレイヤーを・・・
お約束の 涙ぼろぼろになるかな?・・・と。
いっや~ 澄み切った声、日本の古い歌声、歌い方・・・
ず~っと 心臓がドキドキ鳴りっぱなし。
懐かしい歌詞、曲、
これらは私の小学校時代に聴いたか、習ったものですね。
で、この心臓の鼓動、響きは 私にとって何だろうと考えていましたら
懐かしさは勿論なんですが、恋しさなんですよね。
だって 私の日常、当たり前なんですが、
プール語かウオロフ語かフランス語で会話しています。
家の中に居る時だけ、日本語を頭の中で考えています。
そう言った事が2年~3年位でしたら、
まだ 非日常と楽しむ事が出来ると思いますが、
もう約15年ですから、同じセネガルの田舎の村にて・・・・
そこにこだわるつもりは無いのですが・・・
こうして 「懐かしの想い出」 として
ふるさと・あおげば尊し・小さい秋みつけた・富士山・青い山脈・・
等聴かされたら、何をどうやっても適わない・・
「あっ!やられた」 「私をどうしろと言うのだ」
例 ふるさと 如何に在ますの「います」は
住んでいるではなく尊敬語で
「どうしていらっしゃるのでしょうか、お父さん、お母さん?」
という意味(歌のルーツを尋ねてより)
そう言った事、私にも思い当たりました。
又、青い山脈 ♪ 若く明るい歌声に・・・・
この軽快なリズム、弾むような声、
♪ 古い上着よさようなら、さみしい夢よさようなら・・
もう訳が分からないうちに内に勇気が出てきます。
そして何が有っても頑張ろうという気持ちにもなりました。



このCDを送ったのですが
喜んでもらえて嬉しいです。
海外に長期に滞在していると
日本語そのものが懐かしく、そのイントネーションが
耳に心地よく響いていくのでしょうね。



セネガル便り-650-

2015年04月17日 | セネガル便り
中日新聞の中の "被災地に行こう、東日本大震災4年」
えっ! もう4年・・・
そこには宮城県石巻市の田代島「猫の島」
石巻港から船で約40分・・もちろんわかりますよ、懐かしい。

帰仙沼の秋刀魚は世界一、わぁ~~秋刀魚だって
"ちくしょう・・" あっ 今私、素に戻りました。

2011年 2012年 2015年 陸前高田 写真付き・・・
細かい所を除けば だいぶ復興して来ています。

見ていると あれ! 何か豊北の被災地の新聞が多いな・・・
あっ そうか 3月11日だからか・・なるほど
皆頑張っているな、でも まだ 復興途中です。
まだまだです。
2013年3月23日 エンドー

セネガル便り-649-

2015年04月16日 | セネガル便り
"セネガル便りNo645" 届きました。
それからセネガル便り 2015年3月21日の便発 No638~No639 は間違いです。
No644 が正しいです。 やっぱり私頭が変になっています。申し訳ございません。
あ~~~あ どうしよう・・・・
全然気になさらないで・・・
yooyはそんな間違いしょっちゅうです。
全て歳のせいにして 堂々と生きております。


気を取り直して、新校舎の完成の件、まぁ結果として成し遂げた・・
そこはホットしています。
だって目的意識を引き出す、そこから資金調達、
いくら正しい正論主張したとしても、足並みなど揃いません。
そこを我慢して、我慢して 繋げていく・・・・・
もう泣きそうになります。
だからと言って目的意識を保つ為に使用許可なしに届いた支援物資をも使用しています。
投げ出す訳にもいきません。
出来なかった場合、何といってセネガル便りの皆様にお詫びすればよいのか?
そこまで考えていました。
大いなるプレッシャーでした。
資金調達途中も目標まで達しなかったら・・・。
いや~あ 厳しかったです。
って 今は過ぎた事ですから 少し笑って生活していたいです。
申し訳ありません。
又、気力がわき出るまで。
ひとつ言える事は、私が調達したものではなく、そのお手伝いをしただけです。
調達したのは村の人達です。
ですから作ってもらったより、自分達で作ったという意識が大きいです。
そう、それでいいんです。そこは私の勝ちでいいと思っています。

エンドーの頑張り・・・
いいえ、皆様から送られてくる文類の名前で有ったり、その後ろに見えるご家族の理解、
又、yoyoさんから忘れた頃に届く "涙ぼろぼろ" になる想い出の歌(CD)で有ったり
そういうものが私の後3盾(モチベーション) になっています。
ですからNo645に写っている新校舎は皆様と共に完成させたものです。

セネガル便り-648-

2015年04月12日 | セネガル便り


写真はホームで咲き始めている「フリージア」です。

あ~あ~ タバスキ そして そろそろ今年の雨期、終了になります。
この雨期、セネガルの天気予報?
私、都会(Dakar) は知りません。
ですから都会では有るのかも知れません。
田舎の話をします。
田舎でもテレビ・ラジオが有る人も居ます。
ですからそこも何とも言えません。
私、及び一般の村人には、テレビ・ラジオは有りませんので
そういった人達の話をします。
あっ! 一般の村人もラジオくらい有るかな
私だ!無いのは・・・

以前に送った CDラジカセ は
ラジオの機能も有ります。
セネガルラジオ局の周波数はわかりませんが
一度試してみてください。
場所によっては、海外向けの日本放送も受信できるかも・・・


雨、どうやって雨が降るのを知るのか?
それは空、まぁ当たり前ですが
セネガルの田舎の空は広い。
見た目に周囲約20Km 遥か遠くですと30Km位の空が見えます。
詳しく言うと 白い雲はあまり見えないそうですが、
黒雲(灰色) 雨雲は良く見えます。
更にその雨雲の下、地上から上の部分に湯気、霧のような物が
見えたら そこは雨が降っていると言う事です。
この雨雲と風の向きを判断しますと
割と簡単に知る事が出来ます。
意地悪を少し言えば、こういったものは、一度雨に打たれると
次から慎重になります。
もっと言えば、雨に打たれて衣服が濡れてそのまま職場に行って
机の上にて事務仕事をする人、
田舎では誰も居ませんから・・・。
そのまま着て乾かすだけです。
で、そろそろ雨期終了と言いましたが
それは時期的なものと雨の力(威力)。
弱まる日本の雨のよう・・しとしと と。
セネガルの雨、風と共に強いですから。
まぁ "雨脚を避ける 二つ" と言いますと
「空を見て歩く。歩調を合わせる」
のと 慣れですね。
あぁ~あ やっぱり最後はそこですね。
どうもすみません。

2014年 10月 12日  エンドー

セネガル便り-647-

2015年04月11日 | セネガル便り
いつものように近くの長老(責任者ママド・バ氏)
に呼ばれ、いつものように洗面器(大)の食器皿に羊肉・・・
正確には 山羊肉 ですね.
に、玉ねぎ・じゃがいも・と米。
それも5家族分ですから5皿、
勿論1人ではなく 5~6人で、
それでも多い!
あっ 今回は私にとって素敵な事が有りました。
その5皿の中の一皿に肉と玉ねぎ、じゃがいも 
そして汁状の物がありました。(日本の汁掛け御飯のようなもの)
これでは 手掴みの私では食べられません。
その時、さぁ~っと私を外して 他の物を差し出したのです。
勿論皆は手掴みのまま、彼達はそれで食べれるんです。
何か嬉しいじゃありませんか・・。
黙ってこれはエンドーには無理だと分かって
暗黙の了解での行動力・・・
セネガルにも障碍者は居ます。が、
この国では往々にしてそれを受け入れ、
障碍者として見ていません。
困っている人が居れば、それをすう~っと助けます。
ごく自然に・・・
これ素晴らしい文化だと思います。
そういったものに近い、又一つセネガルの魅力を見つけました。
セネガル滞在14年で今更・・まぁまぁまぁ・・・
例えば、あれは外国人のエンドーではなく
それを受け入れて、セネガル人としてのエンドーへ向けて
行動力(瞬間) 遠慮も無く 力み緊張感も無く
言葉も無く、示し合わすでも無く・・・
上手く表現できないのですが
強いて言えば ごく自然に。
いや~~ここまで来るのに14年かかったと言う事です。
あれっ! 何の話だっけ?