「どうしたんですか、急に」運転席を覗きこんだ老婦人が、怒ったように言った。
「申し訳ありません、人が出てきたものですから」と、運転手が深々と頭を下げた。
あきれたようにため息をついた老婦人が前を見ると、車のすぐ前にあるマンホールの蓋が、裏返しになってはずれているのが見えた。
と、黒い手袋をはめた手が、ポッカリと口を開けた暗い穴の奥から、にょきりと伸びてきた。
ソラは、助手席の後ろにしがみつくようにして、前を見ていた。マンホールの中から顔を出したのは、サングラスをかけたイヴァンに間違いなかった。
イヴァンは、狭いマンホールの中から、窮屈そうに肩をすぼめて外に出てきた。泥だらけになったイヴァンは、スーツの汚れを手で払いながら、停車している車にちらりと目を向けた。
サングラスのつるを片手でつまんだイヴァンは、半ばまではずして下にずらすと、上目遣いに車の中を覗きこみながら、申し訳なさそうに小さくお辞儀をした。
すると、マンホールの中から、ニョキリとまた腕が伸びてきた。
片腕をぐいと伸ばし、顔をのぞかせたのは、ニコライだった。片方の肩まで外に出したニコライは、巨体には窮屈すぎるマンホールに引っかかり、声は聞こえなかったが、苦しそうな表情を浮かべて、イヴァンに助けを求めているようだった。
もう一度、車に向かってペコリと頭を下げたイヴァンは、くるりと背中を向け、ニコライが伸ばしている腕を両手でつかむと、満身の力をこめ、スポンとニコライの体を外に持ち上げた。
両足が地面より高く浮き上がるほど、ニコライが勢いよく外に飛び出してきた。車に乗っている誰もが、その様子に目を奪われ、あっけにとられていた。ニコライは、宙に弾んだ風船のようにフワリと地面に着地すると、汚れた背広の内ポケットからサングラスを取り出し、車に背を向けてそっとかけた。
マンホールの蓋を元に戻したイヴァンが、顔を上げてニコライと二言三言話すと、二人そろって車に向き直り、深々と頭を下げて、そのまま車の後ろへ歩き去っていった。
「さぁ、早く行きましょう」
老婦人が言うと、運転手がすべるように車を走らせた。
助手席に抱きついていたソラは、どっしりと後部座席に座り直すと、思い出したようにグイッと体をひねって、リアガラスの外を見た。すると、車に背を向けていたはずのイヴァンとニコライが、こちらを向いて立ち止まり、小さく軍人のような敬礼をして、またくるりと背を向けた。
びっくりしたソラは、肩をすぼめて前を向き、席に座り直した。
車は、交通量の多い国道に入る手前だった。交差点の信号が赤に変わり、車は静かに停止した。
「もう少しで病院だよ、ウミ……」と、ソラが元気づけるように言った。
「ごめんなさいね。窮屈だろうけど、もう少し我慢していてちょうだい」と、老婦人が前を向いたまま言った。
「申し訳ありません、人が出てきたものですから」と、運転手が深々と頭を下げた。
あきれたようにため息をついた老婦人が前を見ると、車のすぐ前にあるマンホールの蓋が、裏返しになってはずれているのが見えた。
と、黒い手袋をはめた手が、ポッカリと口を開けた暗い穴の奥から、にょきりと伸びてきた。
ソラは、助手席の後ろにしがみつくようにして、前を見ていた。マンホールの中から顔を出したのは、サングラスをかけたイヴァンに間違いなかった。
イヴァンは、狭いマンホールの中から、窮屈そうに肩をすぼめて外に出てきた。泥だらけになったイヴァンは、スーツの汚れを手で払いながら、停車している車にちらりと目を向けた。
サングラスのつるを片手でつまんだイヴァンは、半ばまではずして下にずらすと、上目遣いに車の中を覗きこみながら、申し訳なさそうに小さくお辞儀をした。
すると、マンホールの中から、ニョキリとまた腕が伸びてきた。
片腕をぐいと伸ばし、顔をのぞかせたのは、ニコライだった。片方の肩まで外に出したニコライは、巨体には窮屈すぎるマンホールに引っかかり、声は聞こえなかったが、苦しそうな表情を浮かべて、イヴァンに助けを求めているようだった。
もう一度、車に向かってペコリと頭を下げたイヴァンは、くるりと背中を向け、ニコライが伸ばしている腕を両手でつかむと、満身の力をこめ、スポンとニコライの体を外に持ち上げた。
両足が地面より高く浮き上がるほど、ニコライが勢いよく外に飛び出してきた。車に乗っている誰もが、その様子に目を奪われ、あっけにとられていた。ニコライは、宙に弾んだ風船のようにフワリと地面に着地すると、汚れた背広の内ポケットからサングラスを取り出し、車に背を向けてそっとかけた。
マンホールの蓋を元に戻したイヴァンが、顔を上げてニコライと二言三言話すと、二人そろって車に向き直り、深々と頭を下げて、そのまま車の後ろへ歩き去っていった。
「さぁ、早く行きましょう」
老婦人が言うと、運転手がすべるように車を走らせた。
助手席に抱きついていたソラは、どっしりと後部座席に座り直すと、思い出したようにグイッと体をひねって、リアガラスの外を見た。すると、車に背を向けていたはずのイヴァンとニコライが、こちらを向いて立ち止まり、小さく軍人のような敬礼をして、またくるりと背を向けた。
びっくりしたソラは、肩をすぼめて前を向き、席に座り直した。
車は、交通量の多い国道に入る手前だった。交差点の信号が赤に変わり、車は静かに停止した。
「もう少しで病院だよ、ウミ……」と、ソラが元気づけるように言った。
「ごめんなさいね。窮屈だろうけど、もう少し我慢していてちょうだい」と、老婦人が前を向いたまま言った。