11月の岐阜市議会が終了し、ようやく一段落しましたので、久々のブログ記事となります。
今議会は、議案そのものや議案外の検討事項が多く、かなり神経を使う議会になり、精神的に疲れる中身の濃い3週間でした。
議員定数や議員報酬を含む議会改革の決議、出張旅費不正自給問題とそれに伴う処分の議論、競輪場の不正発注工事問題、市長の退職金削減や未来会館の存続を求める請願の是非、市長の後援会旅行の議会中の出席の是非など、一つ一つ語れば限がないほど賛否の意見対立の中で議論が交わされました。
今朝の新聞によれば、市岐商・立命館問題を端に発する市長派と反市長派の対立のように書かれていましたが、問題はそれだけではないことを知っていただく必要があります。
もともと二元代表制の一方の代表である議会の権能を突き詰めれば、民意を反映する議会は、首長の執行権を監視し、けん制する役割を担うからです。つまり、一見する場単なる対立のように見えますが、議論を尽くしたうえで是々非々を問いながら、議会として多数決の判断をすることが議会の役割なのです。すべての判断において市民の皆さんに仰ぐようなことはできませんので、そうした判断は議会に任せられているのです。
確かにそこには感情的なもの、利害や価値観の違いが入り、判断を難しくしている面がありますが、それが政治ではないかと思います。対立すればするほど溝は深まりますが、通常はお互いの妥協点を探りながら議論を進めていくのが普通でしょう。ただ、市民の皆さんにとっては、妥協点は見えにくいということになり、対立構図のほうが話題性あり活性化されるように思うのではないでしょうか。
こうした考え方は、このブログでも何度も論じてきましたので、改めて書く必要がないかとも思います。ただ、今後議会の活性化を図ろうとすればするほど議会の権能の強化を求めざるを得ず、こうした首長と議会の対立は常態化することになります。ただ、首長の執行権をなんでも一方的に是認だけする体制翼賛的な議会であってはならないような気がするのですが、皆さんはどうお考えですか。ましてや議会そのものを牛耳ろうとする首長は、民主主義の実現者とは言えないのではないでしょうか。
以上
追記:前ブログ記事で現在の政治状況を考察して記事にするつもりでしたが、テーマが大きすぎるため、都度時間をかけて書いていきますのでお許しください。