昨日も少しバラマキといわれる政策について述べましたが、私の懸念は以下の通りです。
「例えば、バラマキともいわれる個人給付の政策が、コロナへの対応として当たり前のような政策として行われるようになっています。こうした政策の是非については、極めて慎重な対応が必要だと思のです。確かに個人としての救済としてもらう方には歓迎の声が多いのでしょう。しかし、個人の際限のない欲求が現れる時、社会の秩序は維持されるのか。そして地方自治において過度な地域間競争にさらされるのではないか。いわゆるポピュリズム、大衆社会が社会秩序の崩壊につながるようなことにならないかが心配されます。麻薬のような効能を持つ政策ともいえるのであって、政治の理念を大きく逸脱する可能性もあると思います。みなさんはどのようにお考えでしょうか。
やはり、國であろうと地方政治であろうと、政治の責任をしっかりと考えなければならないと思います。目先の政策だけにとらわれて、政治の持つ意味を理解しないことへの危惧が、今立ちはだかっているような気がしてなりません。
そういう意味では、3年間のコロナが、表面に現れない変革として、私たちの社会を変えてしまったのではないかという懸念を持っています。」
以上、思いを少しまとめてみました。
「例えば、バラマキともいわれる個人給付の政策が、コロナへの対応として当たり前のような政策として行われるようになっています。こうした政策の是非については、極めて慎重な対応が必要だと思のです。確かに個人としての救済としてもらう方には歓迎の声が多いのでしょう。しかし、個人の際限のない欲求が現れる時、社会の秩序は維持されるのか。そして地方自治において過度な地域間競争にさらされるのではないか。いわゆるポピュリズム、大衆社会が社会秩序の崩壊につながるようなことにならないかが心配されます。麻薬のような効能を持つ政策ともいえるのであって、政治の理念を大きく逸脱する可能性もあると思います。みなさんはどのようにお考えでしょうか。
やはり、國であろうと地方政治であろうと、政治の責任をしっかりと考えなければならないと思います。目先の政策だけにとらわれて、政治の持つ意味を理解しないことへの危惧が、今立ちはだかっているような気がしてなりません。
そういう意味では、3年間のコロナが、表面に現れない変革として、私たちの社会を変えてしまったのではないかという懸念を持っています。」
以上、思いを少しまとめてみました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます