浅野ゆうじの独り言

社会・政治に関連する本の感想や日々の出来事についての私なりの考え方を書いています。

行政視察(厚生委員会)

2010-10-08 09:48:25 | 国際・政治

毎年の常任委員会(厚生)の行政視察に行ってきましたので、雑感を述べます

松本 : 「健康寿命延伸都市・松本」について及び「福祉ひろば」についてです。市長が医療者ということもあり、健康寿命延伸都市とは、健康寿命を伸ばすという理念をすべての政策の縦軸として行政運営を行おうとするものです。さらに福祉という概念を中央集権的な政策で進めるのではなく、地域の公民館を中心に包括的な福祉政策を進めるというダウンサイジングの考え方で「福祉ひろば」活動を行っております。地域密着型の政策であり、参考になる部分は多々ありましたが、地域においての問題意識の啓発と、活動の中心となる人の問題があろうかと思います。各地区に職員を貼り付け、連携を取りながら活動していることも評価できますが、事業費用をどのように票買うべきかが課題であったかと思います。

高崎 : 「高齢者対策の取り組みについて」と「高崎市総合福祉センター」の現場視察を勉強してきました。合併に寄り、来名年から中核市となるために、その準備で保健所の設置も必要になってきている状況の中での視察でした。高齢者対策は認知症対策で、認知症サポーターは1万名を越し積極的に取り組んでいる福祉の中でも目玉政策であるようです。また、高崎市総合福祉センターは、子育てから障害者、高齢者までの総合的な福祉を行う中心の施設ですが、事業そのものも指定管理者委託、しかも一般企業に委託しているという福祉ではなかなか見られない業態で運営されていました。他の施設や政策との関連が分かりませんでしたので何とも言えませんが、今後新たな保健所との役割分担が課題ではあるかと思いました。

豊橋 : 子育て支援施設「子ども未来館・ここにこ」の現場視察だけとなりました。旧市民病院跡地に建てられた施設で、建設費二十数億円、年間維持費2億5千万という、駅から徒歩5分の商業地に建てられた立派な施設です。年間利用者も延べ人数で五十万人を超えるということで、ついつい岐阜市のドリームシアターと比較してしまいました。中も素晴らしい設備がそろっておりましたが、教育という視点では、少しソフト面で改善の余地はあるかなと思いましたが、これだけの施設を作ることができる都市は少ないと感じた次第です。

二泊三日のスケジュールで3箇所を駆け足で回ってきましたが、半日のそれぞれの視察と移動時間で少しハードな視察となりました。福祉において、政策として目新しいということは少ないのですが、手法としてそれぞれ特徴があり参考になります。財政問題や、合併、町の成り立ち、また街の気風など考慮しなければなりませんが、今後の政策判断に役立てたいと思っています。

以上


「透明性」とは

2010-10-04 08:49:22 | 社会・経済

昨今の事件に接すると、「透明性」ということを感じずには居られません。社会性を帯びた事柄には、絶えず透明性が求められます。特に、公に関する昨今の事件は、透明性が求められることは言うまでもないことでしょう。

尖閣諸島問題、大阪地検証拠改ざん問題、政治と金の問題など、事の透明性が求められる事件は、枚挙の暇もありません。

「透明性」は、単に真実を明らかにするということだけではなく、社会の信用、信頼性に大きく影響を及ぼすことになります。前にも少し紹介しました、山岸俊男著『安心社会から信頼社会へ~日本システムの行方』に、「安心社会の崩壊は、信頼社会を気づいていくための絶好の機会・・・・。その機会を生かすためには、新しい形の社会的知性を身につけ、そして透明性の高い社会的環境を作っていく必要があります。」とあります。

特に、権力をもつ者にとって最も戒めとなる言葉ではないかと思います。

以上


「民意の反映」とは

2010-10-02 08:48:23 | 国際・政治

地方議会での議員定数問題や住民投票条例、また名古屋市のリコール問題などを見ていますと、「民意」を反映するとはどういうことであろうかと考えさせられます。

一つの政策判断に、民意を反映させる方法は、基本的に議会であるのが間接民主主義ですが、その議会の判断が民意を反映していないとする首長または市民の意見が大勢を占めるであろうことに軋轢が生まれ、民意が反映されていないとされるところに問題があります。当然のことながら間接民主主義であるべきか、直接民主主義であるか、という問題になるでしょう。

そこで二つの切り口、「責任」と「情報判断」という側面で、間接民主主義のメリットを取り上げてみたいと思います。

政治においては、よく「責任」という問題がないがしろにされがちです。しかし、「選挙」によって責任はとらされていると考えれば当然かもしれません。一方、直接民主主義の政策ミスによる責任はだれが取るのでしょう。当然、市民です。間接民主主義も最終的に責任を取るのは市民ですが、直接の影響は形にあらわれることなく責任の所在はあいまいになってしまうのではないでしょうか。であるからこそ負託を受けた議員は、議論し、十分な審議を行う責務があります。

さらに、議員は審議の過程において、多くの市民からの様々な角度からの意見を検討し、自らの判断を下すために、「情報」の収集をしなければなりません。特定の団体や組織に偏ることなく、公平・公正な判断が求められます。そこでは、結果は別としても少数意見が尊重される議論が行われることこそ、間接民主主義の利点でもあるのです。直接民主主義は、ともすると偏った情報の中で判断を迫られ、単純に多数決の原理で物事が決まってしまう恐れがあります。また、賛成か反対の二者択一の政策決定は、リスクの大きい決定方法であるともいえます。

こうした基礎的な政治制度の中で、今の地方自治の混乱が語られているのかを疑問に思うところがあります。人気があるというようなポピュリズム的な流れがあるとしたら、極めて憂慮すべき事態ではないでしょうか。

以上