幸隆の国から

歴史の跡、自然、いい湯などを訪ねて出掛けたときの記録。
また、四季折々、日々の雑感です。

日本百名城を訪ねる・「甲府城」

2021-12-04 | お城

甲府市には「武田氏館」の他に、もう一つ、武田氏の滅亡後に築城された「甲府城」があった。

明治になり多くの城郭がそうであるように、甲府城も廃城、破却の運命となっている。

その後歴史は新しい時代になり、城の跡地をJR中央線が突っ切り分断されてしまった。

城跡はその後整備され、本丸を中心とする「舞鶴城公園」と、山手御門の「甲府市歴史公園」となり一般に開放されている。

 

本丸のあった位置から見れば、中央線の線路の反対側にある「山手御門」。

甲府城にあった三つの出入り口の一つで、山手門と山手渡櫓の門から成る。

山手門(やまのてもん)

 

山手門を入ると山手渡櫓門(やまのてわたりやぐらもん)がある。

 

ここからは、跨線橋を渡り線路の向こう側に行くと、本丸のある「舞鶴城公園」となる。

城郭内に入ると見事な石垣が現れ、いくつかの再・復元された門が往時の城の姿を見せてくれる。

 

遊亀橋から天守のあった方向を望む。

何段にも積まれた石垣が見事なこと。

 

南側の堀の石垣。

 

城郭の中には特徴のあるいくつもの門がある。

内松陰門(うちかげまつもん)。

 

鉄門(くろがねもん)。

天守曲輪から本丸に上る位置にあるがっちりとした門。

 

鍛冶曲輪門。

 

稲荷曲輪門。

 

稲荷曲輪の隅に復元された稲荷櫓。

古文書、絵図、発掘調査などにより江戸時代初期の姿で建てられたという。

 

緩やかな斜面や石段を登っていくと、本丸にたどりつく。

しっかりと残っている天守台。

 

天守台に登ると、雪を戴いた富士の山を見ることができた。

 

じっくり2時間ほとかけて曲輪を移動しながら見て歩いた。

それにしても、何か所かの石段は段差がきつく、足腰の衰えた私には堪えた。

「武田の館」に続いて「竹田城」を見学したが、築城の時代による「基本設計」の違いが見て取れた。



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