人生第二章 挑戦者

<左半身麻痺の機能回復と生活奮闘記>
脳卒中に倒れ、その後の障害、失われた機能、生活を取り戻す記録

”23/108 増上寺”(1) 

2013年05月05日 19時58分13秒 | 街歩き・道歩き
今日も天気は太陽と青空。絶好の”街歩き。道歩き”日和ですね。今日のコースは芝増上寺から東京タワーのコースでした。
芝増上寺では私の病気の回復、家内安全、無病息災、開運を祈願しました。お願いことが多いですね。
今日のおまけはこのコースを歩いてみると予定の時間より早く回れましたので芝公園を経由しまして田町に向かい歩きました。
今日の写真は逆光になってしまい良い写真が撮れませんでした。カメラマンはガッカリしていました。

■説明 - 増上寺: 出典:ウィキペディア

空海の弟子・宗叡が武蔵国貝塚(今の千代田区麹町・紀尾井町あたり)に建立した光明寺が増上寺の前身だという。その後、室町時代の明徳4年(1393年)、酉誉聖聡(ゆうよしょうそう)の時、真言宗から浄土宗に改宗した。この聖聡が、実質上の開基といえる。
中世以降、徳川家の菩提寺となるまでの歴史は必ずしも明らかでないが、通説では天正18年(1590年)、徳川家康が江戸入府の折、たまたま増上寺の前を通りかかり、源誉存応上人と対面したのが菩提寺となるきっかけだったという。貝塚から、一時日比谷へ移った増上寺は、江戸城の拡張に伴い、慶長3年(1598年)、家康によって現在地の芝へ移された。
風水学的には、寛永寺を江戸の鬼門である上野に配し、裏鬼門の芝の抑えに増上寺を移したものと考えられる。

大門駅スタート: 13:45

大門


解脱門


本殿と東京タワー


本殿より解脱門を望む


境内




本殿





5月5日 こどもの日


増上寺サイト http://www.zojoji.or.jp/index.html

増上寺は、明徳四年(1393年)、浄土宗第八祖酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって開かれました。
場所は武蔵国豊島郷貝塚、現在の千代田区平河町から麹町にかけての土地と伝えられています。
室町時代の開山から戦国時代にかけて、増上寺は浄土宗の東国の要として発展していきます。
大門から大殿本堂に至る道のりは、穢土(えど)(我々の世界)から極楽浄土に至る世界を表している。三門をくぐり煩悩を解脱し、大殿阿弥陀仏の元へと向かう。ご本尊阿弥陀仏が鎮座する大殿は西方極楽浄土の如き、方角を西に位置する。よって大殿内の荘厳は極楽の世界を視覚的にも表現した造りとなっています。

大殿に登る階段 25菩薩をあらわし、25の階段となっています。
参道から大殿前に至る階段 18段。阿弥陀仏の本願、第18願。
三門から大殿 距離にして約48間。阿弥陀仏の48願。
大門から三門 約108間。三門をくぐり108の煩悩から解脱します。






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