喉の奥に絡みつく痰が息を阻む。呼吸が浅くなり、胸が苦しくなる。
誰か気づいてくれるだろうか――。
しばらくして足音が近づく。看護師だ。
「痰の吸引をしますね。」
若い声だ。 ゴロゴロとした喉の奥の異物を早く取り除いてほしい。でも、新人なのか、なかなかうまくいかない。 機械の音とともに管が挿入される。だが、思った位置に届かないのか、空気を吸う音ばかりが聞こえる。
「もう一回やりますね……」
苦しい。早くしてほしい。けれど、声は出せない。まばたきして訴えようとしても、彼女は焦っていて気づいていない。
「すみません……あと少し……」
やっと的確な位置に届き、吸引が始まる。喉の奥から異物が引き抜かれる感覚。だが、苦しみは長かった。 新人看護師の申し訳なさそうな声がする。
「すみません、時間かかってしまって……」
私は何も言えない。ただ、目を閉じることで「もういい」と伝えるしかなかった。
看護師(新人)
私はまだ慣れていない。痰の吸引は技術が必要だとわかっている。でも、どうしてもうまくいかない。
患者さんの息遣いが荒い。早く楽にしてあげなければ。でも、思うように管が入らない。
「すみません……」
声が震える。先輩に見られていたら叱られるだろう。でも、今は目の前の患者さんのことだけを考えなくちゃ。
もう一度慎重に管を入れる。ようやく正しい位置に届いた。機械の音とともに痰が吸い取られていく。
患者さんの表情が少し和らいだ気がした。
「すみません、時間かかってしまって……」
返事はない。でも、これが精一杯だった。次はもっとスムーズにできるようにならないと。
私(別の看護師の場合)
別の日。
喉に痰が絡む。ナースコールは押せない。体も動かせない。息が詰まりそうになる。
足音が近づく。
「吸引します。」
低く落ち着いた声。ベテランの看護師だ。
管が素早く挿入され、機械の音とともに的確に痰が引き抜かれる。苦しい時間は短い。
だが、彼女の手には温かみがない。ただの作業。決められた手順をこなしているだけ。
「終わりました。」
彼女はそれだけ言って去っていく。
ありがたい。でも、どこか寂しい。私はただの「処置を受ける対象」にすぎないのだろうか。
看護師(ベテラン)
手際よく処置をする。迷いもない。時間もかからない。
「終わりました。」
患者の目をちらりと見る。何も言わないし、動かない。でも、まばたきの回数が多い気がする。
何か言いたいのか? でも私は忙しい。他の患者の処置もある。
私はすぐに次の仕事へ向かった。
患者さんがどんな気持ちだったのか、振り返る余裕もなかった。
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