明治以降、第2次大戦までは、工場で働く女性労働者は、女工さんと呼ばれていたそうですね。
昨年の秋、北部春闘共闘の総会(軽井沢)の帰りに、明治政府が肩入れした富岡製糸工場跡を見学しましたが、ここで働いてた女工さんは良家の子女が多く、比較的恵まれていたそうですが、大多数は、野麦峠で知られるような女工哀史がほとんどではなかったのでしょうか。
この舞台に出てくる川崎の紡績工場の女工さんたちも、お米のご飯が食べられるなどと言われ、沖縄など地方の農村から連れてこられた貧しい娘さんたちがほとんどだったのではないでしょうか。
どんなに働いても、女工さんたちの生活が楽になることはなく、待遇改善を要求して
たたかいに立ち上がらざるを得なかったのではないでしょうか。
写真は、老女の「すずさん」と若い女工時代の「すずさん」も一緒に記念撮影。
左端は、わらび座のいなほさん。この老女(瀬谷やほこさん)と女工さん(城谷みちさん)は、本当の親子だそうです。この若い女工さん、煙突男に想いを寄せているんですよね。ここも、一つのみどころでしたね。
観てるときは、つらくなるような気持ちでしたが、終わってみると、何か希望が見えてきたような作品でした。
なぜ、争議が解決したのか、煙突男が、その後どうなったかについて関心のある方は、インターネットで調べてみて下さい。実話だけに、なかなか興味深いですよ。
昨年の秋、北部春闘共闘の総会(軽井沢)の帰りに、明治政府が肩入れした富岡製糸工場跡を見学しましたが、ここで働いてた女工さんは良家の子女が多く、比較的恵まれていたそうですが、大多数は、野麦峠で知られるような女工哀史がほとんどではなかったのでしょうか。
この舞台に出てくる川崎の紡績工場の女工さんたちも、お米のご飯が食べられるなどと言われ、沖縄など地方の農村から連れてこられた貧しい娘さんたちがほとんどだったのではないでしょうか。
どんなに働いても、女工さんたちの生活が楽になることはなく、待遇改善を要求して
たたかいに立ち上がらざるを得なかったのではないでしょうか。
写真は、老女の「すずさん」と若い女工時代の「すずさん」も一緒に記念撮影。
左端は、わらび座のいなほさん。この老女(瀬谷やほこさん)と女工さん(城谷みちさん)は、本当の親子だそうです。この若い女工さん、煙突男に想いを寄せているんですよね。ここも、一つのみどころでしたね。
観てるときは、つらくなるような気持ちでしたが、終わってみると、何か希望が見えてきたような作品でした。
なぜ、争議が解決したのか、煙突男が、その後どうなったかについて関心のある方は、インターネットで調べてみて下さい。実話だけに、なかなか興味深いですよ。