生野銀山の入り口の門には、菊の御紋
生野銀山は戦国時代から近代にかけて活躍した日本有数の銀山!
織田信長、豊臣秀吉、徳川幕府の直轄地として、銀鉱脈が掘り進められ、明治以降は政府直轄、
一時期は皇室財産にもなったが、明治29年に三菱財閥に払い下げられた。
坑道の総延長は350km以上で 深さは880m。
朝来市指定天然記念物「金香瀬のヒカゲツツジ群落」
常緑低木、花は四月上旬頃咲き、淡黄色で少し緑色をおびている。
約1kmの見学コース 坑内の温度は年間を通じて約13℃です。
出口
35℃を越える屋外から、13℃の坑内へ入ったら寒くて震えました。
坑道内部は江戸時代採掘ゾーンと近代採掘ゾーンに分かれている。
江戸時代の坑道内部当時の作業の様子が再現されている。
「唐箕で風を送る手子」
馬蹄型鋼枠二枚合掌坑道
深くて細い穴があちこちにあり、蟻の巣のように広がっています
昭和時代の採掘の様子
太閤水
豊臣秀吉が銀山坑内の水で茶を点てたとの伝説が残っている
今は飲むことは出来 ない。
昭和時代に入ると、作業員は竪坑を上下するエレベーターで出入りした。
エレベーターは、作業員や資機材だけでなく、2tまでの鉱石を積載できた。
エレベーターを動かしていた太いワイヤーや、巻き揚げ機がそのまま残されている。
現代から また江戸時代へ
生野代官所時代の幕府による管理
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