吉備路循環無料バス🚌に乗って桃太郎伝説で有名な、吉備津彦と吉備津神社はパスして、
鳥取城を兵糧攻めで陥落した羽柴秀吉軍が、黒田官兵衞の進言による天下の奇策水攻めで有名な
備中高松城で下車
今、当時の城主清水宗治ゆかりの蓮の花が咲き誇っていた。
本丸址
清水宗治の辞世の句
「浮世をば 今こそ渡れ武士(もののふ)の名を高松の苔に残して」
本丸跡 宗治の首塚
首は、秀吉に見せたあと家臣が石井山に供養塔を造った。
明治になって本丸に移された
胴塚
胴塚の由来・・・説明板
時に天正10年(1582)6月4日、自決した高松城主、清水長左衛門宗治公の
首級なき胴体遺体は舟上のまま本丸に帰ってきた。
迎える家臣、身内の者共、抑えきれぬ涙に感極まって一同の嗚咽がおこった。
やがて回向の声に包まれ、池の下丸、この地に手厚く葬られた。
やがて回向の声に包まれ、池の下丸、この地に手厚く葬られた。
その墓穴に臨んだ公の介錯人国府市佑は己が刀で己が首を切り、そのまま落ちこんで自刃し亡き公の後を追った.。
最上稲荷の大鳥居 高さは27.5m!!建設当時は日本一の高さ
高松城址公園資料館
展示された古図や資料により、城や水攻めなどについて学ぶことができる。
資料館の方が詳しく説明してくださいます。