「飯岡土人形」をお持ちの方いますか!
旭いいおか文芸賞「海へ」の応募は今月6日に締め切られ全国各地から1670件が寄せられました。その整理の中で、地元の心の通った地元の産品を賞品の一つとして何かないものか!ということで大正から昭和にかけて雛人形としての民芸品であった「飯岡土人形」が提案されました。
そこでこの「飯岡土人形」を復刻出来ないか!関係者に当たり調査を始めています。大正から昭和20年代まで製作・販売していた武多和喜一郎さんの遺族(家具製造販売あまさけや)からあれこれ聞き取りしました。幸い現物2体を保存されていましたので写真に収めることが出来ました。
写真でもお判りのように色付かいなどで今戸人形の流れを汲むといわれていますが素朴というか野趣あふれる雛人形です。
土人形の製法・工程についてお聞きしましたので木枠の型が残っていれば復刻への道になるのではないか!
地域が衰退する現実の中で、かっての地域の産品を探り復刻へ恊働への道を探ることが震災を後世へ伝る一助と考えています。
旭いいおか文芸賞「海へ」の応募は今月6日に締め切られ全国各地から1670件が寄せられました。その整理の中で、地元の心の通った地元の産品を賞品の一つとして何かないものか!ということで大正から昭和にかけて雛人形としての民芸品であった「飯岡土人形」が提案されました。
そこでこの「飯岡土人形」を復刻出来ないか!関係者に当たり調査を始めています。大正から昭和20年代まで製作・販売していた武多和喜一郎さんの遺族(家具製造販売あまさけや)からあれこれ聞き取りしました。幸い現物2体を保存されていましたので写真に収めることが出来ました。
写真でもお判りのように色付かいなどで今戸人形の流れを汲むといわれていますが素朴というか野趣あふれる雛人形です。
土人形の製法・工程についてお聞きしましたので木枠の型が残っていれば復刻への道になるのではないか!
地域が衰退する現実の中で、かっての地域の産品を探り復刻へ恊働への道を探ることが震災を後世へ伝る一助と考えています。
その後、飯岡郷土資料館を市の文化財審議委員の先生に調べて頂いた結果、鎌田忠治先生が寄贈した「土人形」10体と阿嶋さんが寄贈した木型3体があることが判りました。資料館見学はユートピアセンターで理由を説明、鍵を借りる手続きが必要です。
近日中に見にいく予定です。これらを手掛かりに復刻を探って行きますので協力をお願いする次第です。
飯岡町史付録の文芸・芸能編(P291)に「飯岡土人形」が掲載されています。当時、平松770番地に住み屋号「今戸屋」で知られた阿嶋忠吉氏が土人形を造り木の型が残っていると記載している。
阿嶋氏の遺族で飯岡地区在住の阿嶋啓治さんに知人を介し聞いたところ、以前に飯岡郷土資料館へ木型を含め関係資料を寄贈しましたという返事でした。
知人に土人形を訪ねたところ「あ あのことか!」と言って話してくれた。
戦後間もないころは貧乏だったので土で作られた雛人形を飾っていたよ、町内では阿嶋さんが造り、甘酒屋」さんが販売、また下永井の「かきね屋」さん、それに故鎌田忠治先生が作っていたという。
当時は飯岡のドガミシモと呼ばれ県内では結構売れていたという。ドガミシモとは何のことか判らなっかので調べたところ、カミシモ「裃」の形をして土で作られた「土裃」なので呼ばれていたらしい。
今回、ネット上でも調べてみたところ「土人形」に関するページが幾つか見ることが出来ました。マニアの間では別名「ドガミシモ」とよばれるこの素朴な飯岡土人形に人気があることも判りました。