おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

駅馬車

2019-02-05 07:19:38 | 映画
駅馬車 1939年 アメリカ


監督 ジョン・フォード
出演 ジョン・ウェイン トーマス・ミッチェル
   クレア・トレヴァー ルイーズ・プラット
   ジョン・キャラダイン ドナルド・ミーク
   ジョージ・バンクロフト アンディ・ディヴァイン
   バートン・チャーチル フランシス・フォード

ストーリー
1885年頃、アリゾナのトントから今のニューメキシコのローズバーグまでの路は、荒野を駅馬車で横切って2日を要したのだが、大男のくせに臆病な馭者バックのあやつる馬車が、今その旅程へ出発しようとしている。
ルシイ・マロリーは軍隊にいる夫の許へ行くため、身重の体でヴァージニアから来た若い妻である。
ウィスキー行商のピーコックはカンサスにいる妻子の許へ帰る途中だ。
呑んだくれの医師ブーンは、宿屋から叩きだされたので瓢然とこの車に乗込む。
大賭博師のハットフィールドは、淑女ルシイに心ひかれ、危険な道中を護衛しようと同乗する。
もう1人の女ダラスは、街を流れ歩く酒場女で、町のお婆さんたちから追立てられて、やむなくこの車に乗った。
この一行を護衛するのは保安官のカーリーで、彼は脱獄囚リンゴー・キッドを捕える目的をも持っている。
次の駅までブランシャール中尉の率いる騎兵隊が送って行くことになった。
トントの町はずれで、黒鞄を大事そうに抱えた銀行家ゲートウッドが乗込んだが、ローズバーグから電報が来たので急行するという彼の言葉に、カーリーは疑いを抱いた。
荒漠たる平原を進んでいる時、前方から馬車を止めたのはリンゴー・キッドだった。

寸評
西部劇の古典的作品で、戦前の作品ながら今もって十分鑑賞に堪えうる出来栄えだ。
ひねった作品が多い昨今の西部劇に比べるとオーソドックスな感じがするし、かつての西部劇が必要としたあらゆる要素がうまく散りばめられている。
保安官とならず者が登場し、二人は友情で結ばれているという設定はキャラクターを変えて後の作品でもよく取り上げられている。
彼らを乗せた駅馬車がフォードが好んだと思われるモニュメントバレーを背景に疾走するが、その遠景をとらえたショットは旅情にあふれる美しいシルエットを描き、当時の駅馬車運行の様子を教えてくれている。
荒くれ男に混ざってレディが登場し、それに対比するようにちょっとスネた酒場女も登場する。
最初は軽蔑されていた酒場女も、やがてはレディに感謝されるという展開は予想通りなのだが、その予想通りの展開も自然で安定感がある描き方である。
皆から毛嫌いされているダラスという酒場女をリンゴー・キッドは最初からかばってやっているが、同じような境遇を感じ取ったからからなのだろうか、その不自然さをリンゴー・キッドのウェインに語らせて補っている。
騎兵隊とインディアンも登場するが、先住民族であるインディアン(ここではアパッチ族)を単純な悪者として描いているのは以前の西部劇ではよくあったことだ。
ここでもインディアンは理由もなく突然襲ってくるが、目的は略奪としか思えない描き方で構図は単純だ。
今では先住民族=悪という描き方をする作品はほとんどと言っていいくらい見受けられない。
お決まりの決闘シーンは、ジョン・ウェインのリンゴー・キッドと、トム・タイラーのルーク・プラマーを初めとする三兄弟との対決だが、すさまじいガン・ファイトはない。
長男のルークが勝ったような現れ方で倒れたところで終わり、他の二人が撃たれるシーンはない。
多くの決闘場面を見てきた者にとってはあっけない幕切れである。

一番の見どころはやはり襲われた駅馬車が疾走するシーンだ。
馭者などのアップのシーンは背景との合成と思われるが、引いたショットの迫力は今でも通じるものだ。
追うインディアンと逃げる駅馬車、それを引っ張る馬たちの走る姿。
馬に飛び移るインディアンと、そのインディアンが射殺されて馬車がその上を駆け抜ける。
リンゴーも馬から馬へと飛び移っていく(ウェイン自身かスタントなのかは知らないけれど)。
砂塵をあげて繰り広げられる一連シーンは素晴らしいの一言に尽きる。
時代を考慮すると黒澤の「七人の侍」における雨中での乱闘シーンと双璧だと思う。
騎兵隊のラッパが聞こえてくる描き方も懐かしさを覚える描き方で微笑ましい。
単純なストーリーだが駅馬車に乗り合わせた人物が時間と共に微妙に変化していく様子を描き込んでいて、それが作品に格調をもたらしている。
伏線が張られていた銀行の頭取の結末、銀のカップを持ち歩いていたハットフィールドの身分の判明がさりげなく描かれ静かなエンディングを迎える。
際立っているのは酔いどれ医者のドクを演じたトーマス・ミッチェルの存在で、役得なキャラクターを飄々と演じていて、作品に明るさとアクセントを与えている。
最後もお決まりのハッピーエンドで万々歳と言うのもオーソドックスさを感じさせた。