おくりびと 2008年 日本

監督 滝田洋二郎
出演 本木雅弘 広末涼子 山崎努
余貴美子 吉行和子 笹野高史
杉本哲太 峰岸徹 山田辰夫
ストーリー
所属していたオーケストラが解散して、失業したチェロ奏者の小林大悟。
やむなく彼は妻の美香と二人、実家である山形へと帰った。
その家は、2年前に死んだ母親が残してくれた唯一の財産だった。
新たな職を探す大悟が行きあたったのは、佐々木が経営する納棺師という仕事だった。
死者を彩り、最期のときを送り出すという業務の過酷さに、大悟は戸惑いを隠しきれない。
しかし、佐々木と事務員の百合子の持つ温もりに惹かれて、大悟は「おくりびと」となった。
故郷に戻った大悟は、幼い頃に通っていた銭湯で同級生の母親であるツヤ子との再会を果たす。
銭湯を経営するツヤ子は、廃業を勧める息子たちの声も押し切って、ひたすら働き続けていた。
やがて、大悟の仕事を知った美香は、我慢できずに実家へと帰る。
死者を扱う夫の業務が、どうしても納得できなかったのだが、それでも大悟は納棺師を辞められない。
唐突に倒れて、この世を去ったツヤ子の納棺も担当した。
どこまでも自身の仕事に誇りを持つ大悟の気持ちを、ようやく美香も理解し、二人の関係は修復した。
そんなとき、父の訃報が大悟のもとに届く。
家庭を捨てた父親には深いわだかまりを抱いていた大悟だが、佐々木や百合子からの説得を受けて、死去した老人ホームへ美香と向かう。
そこには、30年ぶりに対面する父の遺体があった・・・。
寸評
死体に触れることに戸惑いながらも、とりあえずの就職口として続けている大吾は、社長の仕事ぶりを見て、それが決して卑しい仕事ではなく荘厳な儀式であることを知る。
しかしながら世間の認識はそうではない。友人からもさげすんだ目で見られることで、世間のこの職業に対する差別意識を目の当たりにする。妻に面と向かって「汚らわしい」と言われ愕然とする。このシーンは美香がいままで明るく献身的だっただけに強烈だった。
上村がいう隙間産業である納棺師という仕事に携わる主人公たちは「人の死で飯を食ってるくせに」と罵られる。しかし、その男も全てが終ったあとは心から「ありがとう」と涙を流す。
誤解されやすい職業なのだと俄然興味がわいて映画の世界に引き込まれる。
人の死は誰であれ悲しいもので、美しい化粧を施された遺体、ルーズソックスをはかせてもらったおばあちゃん、沢山のキスマークをつけられ泣き笑いでおくられる者。
涙、涙、涙の連続で、久しぶりに泣いたなあ・・・。
しかし、全体的にはお涙頂戴映画ではなくて、冒頭の納棺の儀式のように緊張感が漂うが、すぐに笑えるオチが付くなどコミカルな展開である。それがなぜだかリアルに感じてしまうのは、実際のお葬式もそのような要素を持っているせいだと思う。
社長の佐々木は大悟の繊細な指先にその才能を見出したと思うのだが、納棺の仕事が大悟の天職と見抜いたに違いない。実際大吾を演じた本木雅弘の所作は流れるようで、実に色気があった。この色気を表現できる役者が少なくなってきていると思うので、彼は実に貴重な俳優だと思う。
また山崎務の絶妙な演技が、登場人物すべての生き様を引き出していて、コミカルなシーンを演出しながらも物語に深みを与えていたのは流石と感じた。
劇中に度々食事シーンが登場するが、それらの食材はすべて生き物だった。それらの意味は高級食材の白子を食べる場面に象徴的に描かれている。動物は動物を食べて生きながらえている。「死ねないなら食べることだ。同じ食べるなら美味いものを」と佐々木は言う。
佐々木は食べるという儀式を納棺の儀式に重ねていたのではないか。感謝しながら食べることで生き物の死を有益なものにする。
荘厳な納棺の儀式の中で、故人を敬い、そして見送る人々の悲しみを納めるからこそ、その人の死を乗り越えることができるのではないだろうか。
吉行和子がやっている銭湯に通い続けていた平田さん(笹野高史)も、見送る仕事をしている人だとわかり、彼が言う「死は門です」という言葉にジーンとくるあたりから一気にラストに向かう。幼少期に自分を捨てた父親へのわだかまりが解ける終盤は感動を呼び、温もりを持って父をおくりだしす主人公の姿は、夫婦や親子、周囲の人々の絆を感じさせた。
人の死は別れでもあると共に、残された人々の生でもあらねばならないことを教えてくれたようで、滝田洋二郎久々の作品だったと思う。

監督 滝田洋二郎
出演 本木雅弘 広末涼子 山崎努
余貴美子 吉行和子 笹野高史
杉本哲太 峰岸徹 山田辰夫
ストーリー
所属していたオーケストラが解散して、失業したチェロ奏者の小林大悟。
やむなく彼は妻の美香と二人、実家である山形へと帰った。
その家は、2年前に死んだ母親が残してくれた唯一の財産だった。
新たな職を探す大悟が行きあたったのは、佐々木が経営する納棺師という仕事だった。
死者を彩り、最期のときを送り出すという業務の過酷さに、大悟は戸惑いを隠しきれない。
しかし、佐々木と事務員の百合子の持つ温もりに惹かれて、大悟は「おくりびと」となった。
故郷に戻った大悟は、幼い頃に通っていた銭湯で同級生の母親であるツヤ子との再会を果たす。
銭湯を経営するツヤ子は、廃業を勧める息子たちの声も押し切って、ひたすら働き続けていた。
やがて、大悟の仕事を知った美香は、我慢できずに実家へと帰る。
死者を扱う夫の業務が、どうしても納得できなかったのだが、それでも大悟は納棺師を辞められない。
唐突に倒れて、この世を去ったツヤ子の納棺も担当した。
どこまでも自身の仕事に誇りを持つ大悟の気持ちを、ようやく美香も理解し、二人の関係は修復した。
そんなとき、父の訃報が大悟のもとに届く。
家庭を捨てた父親には深いわだかまりを抱いていた大悟だが、佐々木や百合子からの説得を受けて、死去した老人ホームへ美香と向かう。
そこには、30年ぶりに対面する父の遺体があった・・・。
寸評
死体に触れることに戸惑いながらも、とりあえずの就職口として続けている大吾は、社長の仕事ぶりを見て、それが決して卑しい仕事ではなく荘厳な儀式であることを知る。
しかしながら世間の認識はそうではない。友人からもさげすんだ目で見られることで、世間のこの職業に対する差別意識を目の当たりにする。妻に面と向かって「汚らわしい」と言われ愕然とする。このシーンは美香がいままで明るく献身的だっただけに強烈だった。
上村がいう隙間産業である納棺師という仕事に携わる主人公たちは「人の死で飯を食ってるくせに」と罵られる。しかし、その男も全てが終ったあとは心から「ありがとう」と涙を流す。
誤解されやすい職業なのだと俄然興味がわいて映画の世界に引き込まれる。
人の死は誰であれ悲しいもので、美しい化粧を施された遺体、ルーズソックスをはかせてもらったおばあちゃん、沢山のキスマークをつけられ泣き笑いでおくられる者。
涙、涙、涙の連続で、久しぶりに泣いたなあ・・・。
しかし、全体的にはお涙頂戴映画ではなくて、冒頭の納棺の儀式のように緊張感が漂うが、すぐに笑えるオチが付くなどコミカルな展開である。それがなぜだかリアルに感じてしまうのは、実際のお葬式もそのような要素を持っているせいだと思う。
社長の佐々木は大悟の繊細な指先にその才能を見出したと思うのだが、納棺の仕事が大悟の天職と見抜いたに違いない。実際大吾を演じた本木雅弘の所作は流れるようで、実に色気があった。この色気を表現できる役者が少なくなってきていると思うので、彼は実に貴重な俳優だと思う。
また山崎務の絶妙な演技が、登場人物すべての生き様を引き出していて、コミカルなシーンを演出しながらも物語に深みを与えていたのは流石と感じた。
劇中に度々食事シーンが登場するが、それらの食材はすべて生き物だった。それらの意味は高級食材の白子を食べる場面に象徴的に描かれている。動物は動物を食べて生きながらえている。「死ねないなら食べることだ。同じ食べるなら美味いものを」と佐々木は言う。
佐々木は食べるという儀式を納棺の儀式に重ねていたのではないか。感謝しながら食べることで生き物の死を有益なものにする。
荘厳な納棺の儀式の中で、故人を敬い、そして見送る人々の悲しみを納めるからこそ、その人の死を乗り越えることができるのではないだろうか。
吉行和子がやっている銭湯に通い続けていた平田さん(笹野高史)も、見送る仕事をしている人だとわかり、彼が言う「死は門です」という言葉にジーンとくるあたりから一気にラストに向かう。幼少期に自分を捨てた父親へのわだかまりが解ける終盤は感動を呼び、温もりを持って父をおくりだしす主人公の姿は、夫婦や親子、周囲の人々の絆を感じさせた。
人の死は別れでもあると共に、残された人々の生でもあらねばならないことを教えてくれたようで、滝田洋二郎久々の作品だったと思う。