おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

おとうと

2019-02-18 09:48:52 | 映画
「おとうと」 1960年 日本


監督 市川崑
出演 岸恵子 川口浩 田中絹代 森雅之
   仲谷昇 浜村純 岸田今日子
   土方孝哉 夏木章 友田輝 佐々木正時
   星ひかる 飛田喜佐夫 伊東光一

ストーリー
げんと碧郎は三つちがいの姉弟である。
父親は作家で、母親は二度目であり、その上手足のきかない病で殆ど寝たきりだった。
経済状態も思わしくなく、家庭は暗かった。
碧郎は友だちと二、三人で本屋で万引したのが知れて警察へあげられた。
しばらくたったある日、げんは鳥打帽の男に呼びとめられた。
男は警察の者だと名のり、碧郎や家のことを聞き、毎日のようにつけ始めた。
そんなげんを碧郎は「親がちょっと名の知られた作家でよ、弟が不良で、お母さんが継母で、自分は美人でもなくて、偏屈でこちんとしている娘だとくりゃ、たらされる資格は十分じゃないか」というのだった。
転校してからも碧郎の不良ぶりは激しかった。
乗馬にこりだし、土手からふみはずして馬の足を折ってしまった。
碧郎はその夜童貞をどこかへ捨てた。
十七になった碧郎に思わぬ不幸が訪れた。 結核にやられたのである。
湘南の療養所へ転地し、げんが附きそった。
死が近づいてくるのを知った碧郎は、げんに高島田を結うよう頼んだ。
「姉さんはもう少し優しい顔する方がいいな」といいながらも、げんの高島田を見て碧郎はうれしそうだった。
父が見舞いに来た時は、治ってから二人で行く釣の話に夢中だし、足をひきずってきた母には、今までになく優しかった。
夜の十二時に一緒にお茶を飲もうと約束して寝たげんは、夜中に手と手をつないだリボンがかすかに引かれるのを感じて目を覚ました。
「姉さんいるかい」それが碧郎の最後の言葉だった。

寸評
時代は大正末期で、その時代の雰囲気がよく出ている。
街並みや小道具に至るまでに郷愁をそそる。
しばらくすると、ここに描かれた街並みや小道具を知らない人たちばかりになってしまうだろう。
蚊帳の中で眠る碧郎、その外で蚊に刺されながら針仕事をするげんの姿などは僕の脳裏には残像としてある。
げんの使うアイロンなども今では博物館でしか目にすることが出来ないのではないか。

画面は全体的に暗い。
碧郎の家は上流階級ではないが、それでも中流以上の家庭だと思わせるのだが、当時の家がその様であったのかもしれないが、室内は非常に薄暗い。
それどころかカラー映画の割には全体的に色調は落ち着いたものである。
撮影の宮川一夫がフィルムの現像を途中で止めて編み出した色彩と聞く。
その色調が時代背景を醸し出して雰囲気を出している。

映画は家庭の中の微妙な人間関係を情緒たっぷりに描いている。
父は少しは名の売れた作家の様であるが子供には甘い。
見方によっては波風を立てたくないだけの、家庭のいざこざから逃げている人間である。
母は後妻で、リュウマチによって少し体が不自由で寝込んでいるのだが、口を開けば文句ばかり言っている。
家庭のきりもみはもっぱら気の強い姉のげんが見ている。
しかも継母からあれやこれやときつく当たられながらの生活だ。
弟は不良だが、万引きしても被害が一番小さいメモ帳にするなど、お坊ちゃまが悪ふざけをやっているという感じなのだが、それでも問題ばかりを起こして姉に後始末をしてもらっている。
姉は弟のことが気がかりでならないし、弟はそんな姉を頼りにし頭が上がらない。
何かと隙間風が吹いている家庭だが姉弟だけは仲が良い。
そんな姉弟を岸恵子と川口浩が好演している。
劇中でも言われているが、岸恵子は決して飛び切りの美人というわけではない。
しかし日本女性が持っている気品を持っていて、それを凛として表現できる女優だ。
彼女が使う乱暴な言葉はそれゆえ違和感があったが、出来の悪い弟とのやりとりを通じての姉弟愛を感じさせるには十分であった。
岸恵子も川口浩もこれが代表作ではないか。

最後は父と魚釣りの話をしようと言って別れ、嫌っていた母には優しい言葉をかけ、母も母らしく優しく接する。
げんと碧郎はピンクのリボンで結ばれるが、それはまるで近親相姦のような感じで姉げんと弟碧郎の心のつながりの深さを表す秀逸なシーンだ。
げんは碧郎を世話するのは自分以外にないと思っている。
気を取り戻したげんが身支度をして碧郎の元へ向かうラストシーンも胸を締め付ける。
市川崑、渾身の一作と言える作品だ。