「大人は判ってくれない」 1959年 フランス
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監督 フランソワ・トリュフォー
出演 ジャン=ピエール・レオ
クレール・モーリエ
アルベール・レミー
ジャン=クロード・ブリアリ
ギイ・ドゥコンブル
ジョルジュ・フラマン
ストーリー
12歳のアントワーヌには毎日がいやなことの連続で、その日も、彼は学校で立たされ、宿題を課せられた。
親子三人暮しのアパートには共かせぎの両親が帰る前に、日課の掃除が待ってい、口やかましい母親と、妻の顔色をうかがう父親とのあわただしい食事がすむと、そのあと片づけで、宿題をやる暇はなかった。
翌朝、登校の途中、親友のルネと出会うと、彼は学校へ行くのをやめ、二人で一日を遊び過した。
それはどんなに晴れ晴れとしていたことだろう。
午後に、街中で、見知らぬ男と母親が抱き合っているのを見つけ視線が合った。
その夜、母の帰宅は遅く、父との言い争いの落ち行く先は母の連れ子であるアントワーヌのことだ。
翌朝、仕方なく登校し、前日の欠席の理由を教師に追求されたとき、思わず「母が死んだのです」と答えた。
しかし、前日の欠席を知った両親が現れてウソがバレ、父は彼をなぐり、今夜話し合おうといった。
その夜、彼は家へ帰らず、ルネの叔父の印刷工場の片隅で朝を迎えた。
母は息子の反抗に驚き、学校から彼をつれもどし、風呂に入れて洗ってくれた。
精一杯優しく彼を励ますが彼は心を閉ざしてしまっていた。
翌日から平和が戻ってきたように見え、親子で映画にも行った。
ある日の作文で、アントワーヌは尊敬するバルザックの文章を丸写しにし、教師から叱られ、それを弁護したルネが停学になった。
アントワーヌはルネの家にかくれ住んだが、金持の子の大きな家での生活はアヴァンチュールだった。
寸評
僕とこの映画の出会いは1970年に開かれた大阪万博のフランス館で上映されていたのを観たのが最初だった。
当時フランス館では、自国の映画を連続上映していたので随分と通ったものだ。
いろいろ見た中で、この「大人は判ってくれない」が一番の発見だった。
それが僕とトリュフォーとのはじめての出会いとなった。
アントワーヌは学校では問題児だし、窃盗などもやらかす少年であるが、常に悪事を働いて犯罪を繰り返している不良少年ではない。
アントワーヌ少年は反抗期を迎えているのだろうが、家庭は恵まれているとは言えずその事が彼を犯行に向かわせているのかもしれない。
アパートは手狭で母親の連れ子であるアントワーヌは普段は寝袋で寝ている。
その母親は浮気をしていて、アントワーヌはその現場を目撃するが家庭でその事には触れない。
母の再婚相手である父は学歴がなく出世が見込めないので、妻は夫を見下している。
父と母はしっくりいっていないような所もあるが夫婦関係はなんとか維持しているという状況だ。
アントワーヌは食事の準備をし、ゴミ出しをするなど、宿題よりも家庭の用事を先ずこなさねばならない。
母が体を洗ってくれたり、三人で映画を見に行って楽しんだりすることもあるが、それでも余り恵まれていない環境なんだなと同情を寄せたくなる。
映画はそんなアントワーヌの行動を追い続ける。
学校での様子、学校をさぼって街をウロウロする様子、友達と一緒にいる時の様子などだが、その姿はドラマとしての演出を離れてドキュメンタリーのようでもある。
ジャンピエール・レオの自然な演技も相まって、モノトーンの映像が実に瑞々しいのだ。
ワルサをしたりウソをついたりするが、アントワーヌにも言い分はある。
しかし大人たちはアントワーヌの言い分を聞く耳を持たない。
やがてアントワーヌは両親にも見放されることになる。
そして迎えるのがラストのアントワーヌが走り続ける姿を捉えた長回しである。
あの姿からは自由を得た喜びを感じ取ることはできない。
自分を理解してくれない周りの大人たちへのイライラ感の発露だったように思う。
少年時代の大人への反感は僕にもあって、それが高じて僕は非行には走らなかったものの、母親と意思の疎通を欠いてしまったという反省がある。
トリュフォーの視線がアントワーヌの心の中に入り込んでいくようで、初公開から年数が経っていたにもかかわらず僕は初見の時に感動を覚えた。
日本初公開時の野口久光氏の傑作ポスターをトリュフォー自身が賛嘆してらしい。
そのトリュフォーが万博行事の一環として行われた、日本国際映画祭に「野生の少年」を持って来た。
本人も来るというので見に行ったのだが、作品の出来にがっかりした記憶がある。
デザイナーのピエール・カルダンとトリュフォー本人を見られたことだけが記憶に残っている。
ちなみに、日本からは篠田正浩監督の「無頼漢」が出品されたがこちらも期待はずれだった。
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監督 フランソワ・トリュフォー
出演 ジャン=ピエール・レオ
クレール・モーリエ
アルベール・レミー
ジャン=クロード・ブリアリ
ギイ・ドゥコンブル
ジョルジュ・フラマン
ストーリー
12歳のアントワーヌには毎日がいやなことの連続で、その日も、彼は学校で立たされ、宿題を課せられた。
親子三人暮しのアパートには共かせぎの両親が帰る前に、日課の掃除が待ってい、口やかましい母親と、妻の顔色をうかがう父親とのあわただしい食事がすむと、そのあと片づけで、宿題をやる暇はなかった。
翌朝、登校の途中、親友のルネと出会うと、彼は学校へ行くのをやめ、二人で一日を遊び過した。
それはどんなに晴れ晴れとしていたことだろう。
午後に、街中で、見知らぬ男と母親が抱き合っているのを見つけ視線が合った。
その夜、母の帰宅は遅く、父との言い争いの落ち行く先は母の連れ子であるアントワーヌのことだ。
翌朝、仕方なく登校し、前日の欠席の理由を教師に追求されたとき、思わず「母が死んだのです」と答えた。
しかし、前日の欠席を知った両親が現れてウソがバレ、父は彼をなぐり、今夜話し合おうといった。
その夜、彼は家へ帰らず、ルネの叔父の印刷工場の片隅で朝を迎えた。
母は息子の反抗に驚き、学校から彼をつれもどし、風呂に入れて洗ってくれた。
精一杯優しく彼を励ますが彼は心を閉ざしてしまっていた。
翌日から平和が戻ってきたように見え、親子で映画にも行った。
ある日の作文で、アントワーヌは尊敬するバルザックの文章を丸写しにし、教師から叱られ、それを弁護したルネが停学になった。
アントワーヌはルネの家にかくれ住んだが、金持の子の大きな家での生活はアヴァンチュールだった。
寸評
僕とこの映画の出会いは1970年に開かれた大阪万博のフランス館で上映されていたのを観たのが最初だった。
当時フランス館では、自国の映画を連続上映していたので随分と通ったものだ。
いろいろ見た中で、この「大人は判ってくれない」が一番の発見だった。
それが僕とトリュフォーとのはじめての出会いとなった。
アントワーヌは学校では問題児だし、窃盗などもやらかす少年であるが、常に悪事を働いて犯罪を繰り返している不良少年ではない。
アントワーヌ少年は反抗期を迎えているのだろうが、家庭は恵まれているとは言えずその事が彼を犯行に向かわせているのかもしれない。
アパートは手狭で母親の連れ子であるアントワーヌは普段は寝袋で寝ている。
その母親は浮気をしていて、アントワーヌはその現場を目撃するが家庭でその事には触れない。
母の再婚相手である父は学歴がなく出世が見込めないので、妻は夫を見下している。
父と母はしっくりいっていないような所もあるが夫婦関係はなんとか維持しているという状況だ。
アントワーヌは食事の準備をし、ゴミ出しをするなど、宿題よりも家庭の用事を先ずこなさねばならない。
母が体を洗ってくれたり、三人で映画を見に行って楽しんだりすることもあるが、それでも余り恵まれていない環境なんだなと同情を寄せたくなる。
映画はそんなアントワーヌの行動を追い続ける。
学校での様子、学校をさぼって街をウロウロする様子、友達と一緒にいる時の様子などだが、その姿はドラマとしての演出を離れてドキュメンタリーのようでもある。
ジャンピエール・レオの自然な演技も相まって、モノトーンの映像が実に瑞々しいのだ。
ワルサをしたりウソをついたりするが、アントワーヌにも言い分はある。
しかし大人たちはアントワーヌの言い分を聞く耳を持たない。
やがてアントワーヌは両親にも見放されることになる。
そして迎えるのがラストのアントワーヌが走り続ける姿を捉えた長回しである。
あの姿からは自由を得た喜びを感じ取ることはできない。
自分を理解してくれない周りの大人たちへのイライラ感の発露だったように思う。
少年時代の大人への反感は僕にもあって、それが高じて僕は非行には走らなかったものの、母親と意思の疎通を欠いてしまったという反省がある。
トリュフォーの視線がアントワーヌの心の中に入り込んでいくようで、初公開から年数が経っていたにもかかわらず僕は初見の時に感動を覚えた。
日本初公開時の野口久光氏の傑作ポスターをトリュフォー自身が賛嘆してらしい。
そのトリュフォーが万博行事の一環として行われた、日本国際映画祭に「野生の少年」を持って来た。
本人も来るというので見に行ったのだが、作品の出来にがっかりした記憶がある。
デザイナーのピエール・カルダンとトリュフォー本人を見られたことだけが記憶に残っている。
ちなみに、日本からは篠田正浩監督の「無頼漢」が出品されたがこちらも期待はずれだった。