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バイク乗りのちょっと寄り道、思った事…

吉備桃太郎伝説 2

2010-05-13 15:53:27 | ツーリング
そうなると事実を知ってみたくなるのは当然で
鬼退治の際に鬼が流した血によって真っ赤に染まったという
血吸川を横目にあの鬼ノ城を目指す事にする。
その場所は標高400m位の高所にあり
以前から何か遺跡があると言われていた所だったのだが
近年の調査で石垣と門の後が確認でき
周囲2.8kmにも及ぶまるで古代山城だった事が解かったのだ。
でもなぜ歴史から消えてしまったのか?
絵本では悪事を働く鬼をやっつける為に鬼ヶ島を目指します。
やはりここは鬼が住んでいたのか?
ヒントは血吸川にあった。

真っ赤な川は血が流れたのではなく、鉄分が酸化した赤だった事が解かってます。

その昔、ここ吉備の国は壮大な力を持った国のようであり
その理由のひとつに朝鮮半島から伝わった製鉄を行って
武器や農具を製作でき豊かな国だったようだ。
つまり強大な力を持つ吉備の国は大和朝廷から見れば目の上のタンコブであり
そこで征伐にやってきたのが朝廷の命を受けたのが吉備津彦で
大勢力の前にいかに当時先進的だった吉備国も屈したのでしょう。
勝ち将軍の吉備津彦は神社に祭られ
負け将軍の温羅は首を切られあの場所に埋められた、そう考えれば理解できる。
今の世もそうだがが、争いを起こすにはそれなりの理由が必要だ。
それは天然資源の確保とアジアの開放を謳った太平洋戦争でも
独裁政治とテロ抗議を謳ったアフガン戦争でも見れば解かります。
桃太郎の話は大和朝廷側に立った大人の事情の話だったかもしれない。

でも鬼ノ城は歴史から消えていたので今だなぞの山城だ。

桃太郎と関連付けてみたが最新の調査では
大和朝廷は朝鮮進出に失敗したので国防の為に大宰府などのように
守備的城として建築したのではないかと言われている。
そうすると今までの話とはまったく違う話ではないか?
今から1400年位前の話、ここに建設された本当の理由はどうなのか解からないが
この復元されたまるでミニミニ万里の長城のような西門から吉備の平野を見下ろすと
理由はどうあれここに住んで国をいつでも見ていたい思うのは当然のような
すばらしい景色である事は間違い事だった。



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