タイトルですが、以前は「著」と書いてましたが、厳密には
著:書いた人
作:作った人
という事なので、小説は「作」と書くのが正しい。
と、以前、出版会社の人がおっしゃってました。
という事で、今回は「アガサ・クリスティ作」ですね。
決して、「阿笠 博士 」さんではない(名探偵コナンの人)。
読んだ本は「ABC殺人事件」。
どんな人でもタイトルだけは知っているだろう有名な作品です。
このミステリーが1936年に書かれたなんて。。。
全ての構成を事前に考える力、そして全ての事柄を「最後」にまとめる構成。
最も大きいのは、書き始める時にプロットをくみ上げる能力。
ほんと、どの時代にもすごい人はいるんですね。
さて、この「ABC殺人事件」。
色々な作品にオマージュされている傑作作品ですね。
誰でも知っている作品。
読んだことが無くても「ABCの順に事件が起こるんだよね」という知識だけはある作品ですね。
某少年探偵作品でもオマージュされていたはず。。。覚えていないけど。
そういう作品を、いまさらながら読んだわけです。
で、半分ぐらい進んだところで、ちょっと考えさせられました。
なんせ、探偵ポワロが何もできないまま、そう手がかりがつかめないまま、易々とA、B、Cと殺人事件が成し遂げられます。
昨今の派手なイベントと言う感じではなく、淡々とABCが進みます。
読み手から思うと、若干落胆した感じになりました。
その感じが、あっさりした感じが感じられます。
ところが、中盤・・・つまりDのころから急に動き出します。
この進め方が絶妙。
そしてポアロが言い放つ「~のころから奇妙だと思っていた」と。
もう話の進め方が「古畑任三郎」のようです。
確かに、お話の作りは、「犯人が事前にわかっている/わかっていない」という違いはあるにしろ、中盤から推理する雰囲気。
これが、探偵もの、ミステリーものの醍醐味です。
本作は、前半が「推理できないフェーズ」であり、後半が「怒涛の推理」という両極端な構成。
最後に待っているのは、あっと驚く展開が待ちます。
ただこの展開を伏線を完全無視した流れではなく、全く疑問を持たせなく自然に矛盾なく進めているすばらしさ。
この流れをプロット時点で作り上げている作品。
ほんとに読みごたえがあります。
なんで、こういう名作を読んでこなかったのか、この年齢になって後悔しますね。
名作と言えば「電気羊はアンドロイドの夢を見るか」とか「海底二万里 」とか、読んでおかないといけないかな?。。。