賃貸住まいの高齢者

単身赴任生活が終わり、定年。でも生活できないから、、どうしよう。。

玉虫色

2020-05-01 17:29:01 | メンタル
真水(まみず)と言う表現はすごくわかりにくい
 
わかりにくい言葉を利用して人を欺く
 
世の中全体からそう感じる
 
日本の文化がそうなっているのだからしようがない
 
そこから文化を変えていかないと今のような世界大恐慌の時代には突破口は見出せない
 
「頭隠して尻隠さず」で目の前の現実を見ないようにしている
 
理論より目の前で起こってることをしっかり受け取っていない
 
本当のことを見ない
 
本当のこととは何かは自分の頭で認識しないといけない
 
本当のとはとてもシンプルなと感じる
 
他人が言ったことをただ鵜呑みにすることではない
 
それと上手な修飾語で飾られた言葉に踊られれることでもない
 
それでもそう言う事を考えられない人がいる
 
が、頭がバカなのはまだ許せる
 
でも真実を見ないで小賢しい玉虫色の文句ばかりを言っている国民はこの世の中から消えてしまった方が地球のためだと私は思う
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文化は個人の課題なのか

2020-05-01 13:09:13 | メンタル
学校を9月から開始する案はいいのですが、教育に関してはもっと沢山の課題があり、それだけが解決したとしてもまた変更を余儀なくされるかもしれません。
先だってのセンター試験の廃止だけでも学生は右往左往させられて迷惑してるのに。
しっかりと多くの課題を整理しておかないと変更に次ぐ変更では将来の大人(現在の学生)が困惑した国を任せられることになります。
 
根本的には グローバルを叫ぶのであれば、単一言語民族という特殊性を持った日本には「他国語が喋れる」がすごいこと。
大陸の国の人たちから見ると「多国語を喋れる」ということは生活の一部であり必要な日常の項目に近いもの。
日本人の算数の「九九」のようなものかもしれません。
 
であれば教育自体を根本的にガラリと変えることが望ましいかもしれませんね。
どうせ仕組み自体を変更するということは「みんな困惑」することは避けて通れない。
なぜならちょっとした変更でも大騒ぎするのですから。
いっそ大胆に将来に望ましい教育制度に変えたらどうか、と思います。
 
その視点から意識すると、9月がどうとか4月がどうとかはあまり大したことはない。
もとい、大したことではありますが、社会の年度変更にどのように連動するかも必要ですからね。
学年が9月から変わると、会社などの入社式が9月から?
決算月は変更しない?などなど
 
ならばいっそ、一括入社式も無くして、個人それぞれが適時採用される制度に変更したら?
お互いに都合のいい時期にマッチングすればなお良いことになります
そうしたら、4月も9月も吹っ飛ぶし。
などなど、大改革をする手もあります。
 
そもそも、今の教育は「人が生きる上で必要な教育」ではなくなってませんか?
かつての日本の汎用パソコンのように何で入っているのか解らないアプリが一杯あって重い
そういうパソコンは要りませんからね
そういう意味で考えたら
国民が将来にわたって強く、健全に生き抜けるための教育を大胆に改革するのを目指して欲しいですね。
それが本来の「文科省」の大きな課題では?
 
そう言うと「理想論では国は走らせられない」と一蹴されるでしょうけれど(笑)
 
「できないからできない」
「できないかもしれないけれどとにかくLets begin」
どちらを選択するかは多くの人が過去から構築してきた現在の文化に左右される気がします。
文化は個人から始まり個人に戻ってくるのでしょうね
自己反省が足りないのかも
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