「バカの壁」を書かれた有名な先生ですよね。
私が今ハマっている大好きな先生の書物です。
「遺書」というタイトルですが内容は養老さんの今までの考えをまとめた様なものです。
全体を捉えて総括すると「自然との共存が人の好ましい生活ですよ」という考えが伝わってきます。
本文の中身には昨今のコロナウィルスの出現を示唆する内容も見えていますし、その根本的な原因論も記載されています。
大変参考になりますし、私はとても賛同しました。
私もそろそろ歳をとったと言って良いのでしょうね、今の都市社会にはあまりに生命を無視した文化を感じないではいられません。
なにせスピードが速すぎる。
ただ早いだけでは無く、自分の考えを待たずに結論を出せと言わんばかりに生き苦しさを感じます。
養老さんは本の中で身体が基本だと言われています。
人体解剖の現場を生きてきた方だけに、人の死と生きる事を目の当たりにされています。
ただ、死んでいく人を見ていたのでは無く、死んだ後の人の身体を切り裂く仕事をなさっていたのです。
だから、人が死んだらどうなるのかに長い時間をかけて付き合っていたのでしょう。
そこに人の魂を感じたのか?など一般的には想像することはありますが、おそらく現場ではそういう感じ方ではなかった。
脳が死んでもまだ尚生きてるだけの身体を切り裂くことすらあったのではないでしょうか。
痛いという事を意識することのない身体の四肢や臓器がまだ生きている。
だから、内臓の移植手術というものがある。
死んでいない身体と死んだ意識。
それをどう捉えるのか?
養老さんの考えの核にあるのは「脳も唯の臓器の一つでしかないよ」ということ。
もし、脳を移植して良いならそれもありなのでしょうか?
そこについては記載はありませんが、意識とクオリアの様なやや解り難い事は考えてもしょうがないと考えていらっしゃる様です。
身体が生きかたによって様々な影響を受けて、例えば胃が痛くなったり便秘したり下痢したりする様に意識を持つ脳も生活によって変化します。
生活環境によってです。
毒キノコを食べたら胃液と一緒に履いたりする事がある様に、脳も毒の様な意識を受けると頭が麻痺するかもしれませんし、意識がストップするかもしれません。
身体は自然の中で進化してきました。
だから現在の自然を排除した都会の様な環境は良くないと言われています。
ひどく同感です。
現代の「便利な都市社会」こそが人を追い詰めていき、人を滅ぼしうることを示唆しています。
そこに原始的な疫病が流行るんだ、と。
まさに、今の自分たちの暮らしに警鐘を鳴らす出来事。
それが養老さんの予言どうりにやってきていますよね。
私自身振り返って、さらに考えを進めて見たら、そこに見えるのは「その上で滅びる方向に向かうことを選択してる自分」なのです。
一度麻薬を身体に入れた患者はそれを断ち切ることがどうしてもできない。
悲しく感じますが、そういうものなのでしょうね。
このまま都市化社会が進んで、見えている滅びの世界に近づくに従って「始まりのあるものには終わりがある」という事を実感するのです。
それがいつなのか、養老さんの言い方は面白い。
82歳になられる養老さんには、「そンな事知ったこっちゃあない。俺の死んだ後のことはお好きにどうぞ」なのです。
どんだけ頑張っても自分は自分でしかない、という事なのでしょうか。
「遺書」(養老孟司)
おそらく好き好きがあると思うので「どうでも良い」と言う方もいるでしょうけれど。
とにかく、今を生きる人には読んでみて欲しいな、と思えるお話がたくさん記載されている面白い本です。