最近、世界が滅んでしまえ、と思う様になった。
この感情は嘗ての自分では無いのかもしれない。
世界を牛耳る政治家はそんなことを思っていないと思う。
そうでないと今見てる世界中の政治家の行動はもっと違ってると感じる。
では、そういう世界の政治家は崇高な心、精神の持ち主なのか?
どうなんだろうか?
そう思った時に、更に湧き起こった感情がある。
それは、裕福な奴らには理解できない貧乏人が持つ感情がある、と。
裕福な政治家たちにはわからないのであろう。
辟易した日常で感じる この屈辱感を超えた絶望感が。
「もうけっこう」という気持ち。
「これ以上はいらない」
それはこの世の全てに向けて感じるのである。
がん治療で常に苦痛と疲労とどん底に落ちていってる感を味わいながら「未来は既に無い」と告知されたら如何か?
そういう人が、それでも世間の戦いの場に攻め込む気持ちが湧き起こるか?
死期を身近に感じ始めた人が遠い未来に希望を巡らせられるかどうか?
そのくらいの環境下に暮らしながら未来の展望を見ることが出来るか?
どうだろう。
裕福に暮らしてるから、或いはお金持ちだから生活には困らない立場だから見えない世界がある。
日々の食べ物の価格を気にしながら生きる事は、言葉だけでは理解できない。
何故なら、今日の食べ物を如何にして得るかを必死で考えるから。
それだけに集中して考えるしかできないから。
そこに集中しないと死ぬから。
それでも、世界情勢とか他人の幸せを意識出来るか?
「自分は大丈夫」という感覚があるから可能な事なのだろうと思う。
「溺れるものは藁を持つかむ」
その状態になった多くの人々の心の中を知らぬ。
藁すらも無い。
あとは沈むだけが見え始めたら、自分以外も巻き添えになっていい、とすら思う。
むしろ、これで全てを終わりにしたいとすら思う。
全部、全部終わってしまえ!
そう感じる。
その感覚は、異常なのか?
秋葉原無差別殺人の加害者の心理に似てる気がする。
西鉄バスジャックの犯人の少年の心理にも似てるかもしれない。
似て非なるものかもしれないが、近しい感情を感じる。
しかし、それは誰をもが持つ可能性のある感覚では無いか、とも思うのだ。
貧すれば愚す、と言う。
結局は安心は日常の中に合って、それは心だけの為せる術ではない。
お金はなかなか信用できない。
ならば、どうするのか?
複数の人間の問題。
人も多過ぎると弊害が多くなり過ぎて収集が付かなくなるな。
裕福な生活をしてる人間がアメリカの政治家になってる様な気がする。
ロシアや北朝鮮は凶暴な戦争力を持ってる者が支配してる。
中国も国の情報を全てコントロールできる支配者が居る。
みんな「安全」を保ちながら、である。
「安全」「安心」を担保してる。
そういう連中を、そうではない環境下に放り込んでやりたいと思う。
それが今、世界中で多くの人の心理になりつつある気がするのだ。
先進国も後進国も関係無く、である。
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