最近の世間様は造語が多い。
それもどんどん造られる。
例えば食料安全保障とかいう。
意味の分からない言葉だ。
そもそもが安全を保証することは不可能だ。
それと、食料は作れ、或いは採取、栽培しろよ、まずはそうすることが結論だろう。
だって、安全でないと作れない米なんだろうか。
安全な環境でないと作れないと言うなら、それは安全保証という言葉となる。
が、そもそも安全なことは危険な行為や危険な事が起こらないということだ。
しかし、結果、危険は日常でも充分に起こること。
安全という意味に於いて、完全な保証は不可能だ。
なのに、保証という。
安全はしっかりと注意しながら暮らす、以上終わり、であろう。
従って、食料安全保障という言葉には矛盾を感じる。
そもそもが安全保障という言葉すらオカシイからな。
ここまで、色々と言いがかり的な物言いをしたけれど、普通に考えてもおかしな言葉だと思うが如何か。
そもそも、日本国内でしっかりと農業や漁業や製造業などが稼働していれば、大丈夫なことだと感じる。
それを現代の日本人自身が放棄して、他国に頼るからいけない。
食料を安全に得るには自作すれば良い。
当たり前のことをしてればいいだけ。
それだけだろう。
言葉をわざわざ作る。
新しい言葉を造りたがる世間が感じ悪い。
贅沢で甘い暮らしを考えてる日本人の考えそのものが、食料安全保障という言葉を作り、現実から逃げてるだけだろ。
その考えを変える事が食料安全保障の遂行だろう。
当たり前のことを当たり前にすれば、そういう言葉など作る必要はないのに。
面倒にしたがる癖があるな、世間というものは。
そう思うがな。
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