休養二日目で体調はほぼ通常に戻りました。
通常がオカシイので、正常とは言い切れない気もしますが、まぁ、ひとまず安心です。
もっと正常にしたいけれど、欲張るとろくな事がないので多くは望まないことにします。
目指すは身の程を知った生活です。
私自身は今でも贅沢な生活だと感じています。
でも、そうは思わないのが今の世間様。
もっともっとと欲を出すのでは無いかしら。
生きてけるだけで満足できないのですから。
デールカーネギーの「道は開ける」の内容の中の(最低のことから考えて積み上げていく考え方)を私は想定してます。
死ぬよりマシな事は何か?
おそらくそれは手に入れてる。
ならば、もう一歩だけ高みを目指そう。
そうして考えていくと、私の生活は随分な高みの場所に居る。
ウクライナの方々も笑ったり喜んだりする生活もあるだろう。
私はそういう人達よりも更に平和な生活であり、幸せではないのか?
貧困で死にゆく子供達を持つ親の国もある。
私の子供たちはしっかり自立して生きてる。
それを「幸せ」と呼ばず何を幸せと呼ぶ?
そうして考えて行って、今に至る。
今で止まることはないので、今よりも一歩だけ高みを目指そう。
ソレでいい。
それだけでいい。
それ以上を欲張るから疲弊する。
そういう考えを親から受け継いでます。
実はね、今までもこれからも、私は私の親をとても感謝してます。
この考え方を言葉では無く、その生き方で教えてくれました。
社会的には損ばかりしてましたけれど、得てるものの次元がまるで違ったから。
お金でも権力でも、力でも得ることができないモノを何気なく教えてくれました。
きっと、世の中の本当の親はソレを知って、ソレを教えようとして、道なかばで消えていくようなそんな気がしてます。
私は私の子供たちに教えられているだろうか?
私も同様、まだまだ先がある。
なので、できなくてもまぁ、イイか。
きっと私が学んできた先がまだまだ有り、ソレを自分で学ぶ力くらいは持ってそうな気がするので(楽観笑)
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