週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#331 -’15. 口コミ評価(別荘の評価も含めて)

2015年11月21日 17時49分56秒 | 別荘生活
ネットに溢れる口コミ評価は客観的也や?と感じるのは自分だけなのか。

自分のブログを含めて沢山の物事に対して、口コミ評価されるスレッドが立ち上がっている。
対象物は身近な所では買ったり、ネットオークションで落札した物まで多種雑多です。
全てではないが、家内もネットで買い求めた物の送料が浮く時は、口コミ評価をしている。
届いたばかりなのに、尚且つ未だ殆ど使って居ない内での製品に対する評価である。
多分、欲しい物を手に入れて気持ちは高まり、送料が無料になるとくれば厳しい判断はし難い状況である。
性能や使い勝手や機能評価と言うより、表示されていたものと違いが無ければ高評価になる。
性能面などは当たり障りの無い事をアップする事になる。
購入したてで客観的な評価を下せと言うのが土台無理かもしれない。
購入したての物に対する評価は、客観的でないし評価を下すには時間が短すぎる事を斟酌せねばならない。

欲しくて欲しくて手に入れた物ほど自分の物に出来た満足感・仕合感があり主観的な評価に陥り易い。
人間誰でも当たり前のことである。
物に依っては夢にまで見て、喉から手が出る程欲しかった物をゲットできたのである。
客観的な評価を下せと言うのが間違いなのである。
手に入れた事が嬉しくて嬉しくて、その嬉しさを誰かと分かち合いたいのである。
また、自分がこれ程気に入っていた物をゲットできたと自慢したいのである。
その物に対する思い入れが有れば有るほど、客観性は薄れて色眼鏡を掛けた主観的な判断に陥るのである。
主観的な評価に陥ったからと言って非難する事はできないのである。
個人個人の評価が沢山集まれば、そこには少しづつ客観性が派生してくるのである。
沢山の口コミが集まらねば客観的な事実と少し離れているかもしれない事を念頭に置いて置かねばならない。

別荘の購入に伴う口コミ評価について

口コミと言う言葉がそぐわないかもしれないが、同じ心理状態と言う事で此処から別荘等に付いての口コミです。
自分の描く状況に近い地を探し回り、何度も現地を訪れて吟味に吟味を重ねるのが一般的である。
土地が決まり、次の問題が建物である。
問題と言うとネガティブな意味に取られるかもしれないが、一般的には夢の具現化なのである。
だから当人は嬉しくて嬉しくて心が躍るのである。
土地に関する執着心も建物に関する思入れも大きければ大きいほど、口コミ評価という意味ではその評価は高くなる。
土地に対する愛着、建物に関する心意気。
子供に例えれば、欲しいと願っていたおもちゃをてにしたのである。

我が家で言えばそれではホームページかブログでも作り、別荘での出来事やご近所の出来事をアップしようかとなる。
最初の頃は新しい情報をアップする事で記事もあるが、一年二年そして月日が経つと、毎年変わる事の無い歳時記になるのである。
この時期はこのお話、この時期はこの場所での景色や風景鑑賞と。
アップする本人も熱意が失われてくるのは致し方ない。
その熱意の喪失が別荘に対する客観的な口コミ評価なのであろうか。
現役世代とリタイヤ世代では評価は相反する事になるのかもしれない。
現役時代には、仕事と言うストレスからの解放で別荘に行ける日を指折り数えていた。
リタイアすると、実生活のストレスも無くなり別荘の意味合いが殆どなくなる。
ホームページの記事やブログの記事のアップが少なる成るとそろそろ熱意も失われつつある予兆か。

現役時代なら必ずお山に行っていた筈の三連休でも東京に居る我が身を思いこんな事を考えてしまった。





コメント
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