大空を見上げて

日頃感じていること

初めての海外一人旅

2008-09-02 | Weblog
 私は34歳の時アメリカ在住の姉の所に行く決心をした。
その頃は現在のように海外へ旅行する人も少なく、ツアー旅行もなかった。1ドル360円で、ディスカント旅行会社に何件も行ったが渡航費だけで50万以上だった。
ある旅行店でバリグ・ブラジル航空を探してくれ往復33万円だとの事、私はそれに決めた。
その頃はまだ成田はなく、羽田空港より出発、アラスカのアンカレッジの空港(5時間待機)を経て、ロスアンゼルスまで18時間位かかった様に記憶している。

私は英語が全然できず、言葉の不安もあったがアメリカに行けるという期待感が大きく、若さもありそんなに問題にしていなかった。
しかしそれが甘かった。
ロスの税関でいろいろ聞かれてもさっぱり分からず、荷物も全部開けさせられ一つ一つ聞かれた。
姉のお土産に日本のお茶を持っていたが、それも聞かれジャパニーズ・コーヒーと言ったら笑われた。
又荷物の中の武道の空手着と黒帯を見たら急に態度が変わり、2~3人の税関の人に「ジャパニーズ・ブラックベルト、ナイスチャンピオン!」と言われ握手された。それからとても親切になり、私がこれから乗り継ぐウエスタンエアーポートまで、其処をレフト、それからはストレートだと教えてくれた。
私は7~800m来たが、通路が右左に分かれていて真直ぐいけない。
それらしいウエアスタンの看板もない。
聞くにも言葉が分からない。下手に曲がると余計分からなくなるので真直ぐ行く事に決めた。
柵を乗り越え花壇を横切り、池は避けたが大きな荷物もってとにかく真直ぐ進んだ。
やがて目の前に大きな看板のウエスタンの空港が見えた。
私はヤッター!と握りこぶしを空に突き出した。
それから空港内に入ったが何処のカウンターに行っていいのか分からない。
あるカウンターに行ってチケットを見せたら、何か言われたがさっぱりで、しばらくして又違うカンターに行ったが同じである。
私は荷物の中から空手着と黒帯を出し、片手に持って、又違うカウンターに行ってチケットを見せた。
そうすると黒人の空港職員が「ナイス!ブラックベルト」言いながら私を案内して一生懸命ジェスチャーと手振りで、乗る場所まで連れて行ってくれた。
ここで待ってアフターヌーンスリーオクロックと言って、ここのドアーオープンと何度も教えてくれた。

無事に飛行機に乗った。スチュワーデスがジュースを持って来て何か話しかけた。
とても喉が渇いたので飲みたかったが、何故かノーサンキュウと言ってしまった。
私は本当はとても飲みたいのに我慢した。

いろいろあったが無事到着地サクラメント空港に着いた。
姉夫婦と子供達のジェシーやロバートが迎えに来ていた。ホットして嬉しかった。
姉は朝早く空港に来て、間違いなく私がロスから搭乗したか確認したが、全然分からないと言われて、気持ちが落ち着かずとても心配だったらしい。
「本当によく一人で来れたねー。今頃間違えてブラジルでも行ってるのかと思った」と言われた。

空手着と黒帯に助けられた初めての海外旅行の思い出である。
       (写真:サンフランシスコ・ゴールデンゲート)
       
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする