大空を見上げて

日頃感じていること

生きる道

2008-09-09 | Weblog
fight-mは今朝4時に起きて、帰りも遅くなるので何か書いておいてね、と言って仕事に出かけました。

 大人から見ると、子供は何も考えずに過ごしている、と見えるかも知れませんが
それはとんでもない勘違いですね。
やはり生まれてすぐから立派な人格が与えられた一人の人間です。

 私も小さい時から、人はどうして生まれきたのだろう、どんなに楽しい事や、苦しい事、いろいろな経験を積んでも結局はみんな死んでしまう。
なのにどうして人は生きていくのだろう…いつ死んでも同じことではないだろうか…などと考える子供でした。 そう!子供も考えているのです! 

特に何か辛い事があった訳でなかったのに、心は何かを求めていたのです。
中学生・高校生になってからはずいぶんたくさんの本を読みました。
学校の図書館やお小遣いで買ったりしていました。
「クローニン」や「山本周五郎」は好きな作家の一人でした。
「復活」を読んだ時には、主人公に「がんばれ!がんばれ!負けるな!」と応援しながら読んだことを懐かしく思い出します。

 中学2年の時、聖書をいただいて始めて読んだ時は、とても心惹かれましたが、難しくてよくわかりませんでした。
北海道の生まれた町には教会もありませんでした。

 20歳の時、始めて教会に行きました。
聖書をしっかり読むようになり、心は驚きと感動でいっぱいでした。
ここに私が知りたかったことが全部ちゃんと書いてある…そう思いました。
私は勝手に生まれてきたのではなく、生かされていること。
人が生きる目的は何なのか。人は何を目指して生きるのか。
人とはどういう生き物なのか。何故虚しかったのか。

「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ
 だれひとり父のみもとに来ることはありません。」聖書ヨハネの福音書14:6

 人生を歩く道であり、求めるべき真理であり、生きるべきいのちであるイエス・キリストを知り、わたしの主、と信じた時すべてが明らかになりました。
 
こうして子供の頃からの疑問がすべて解決される道が開けました。
あれから35年、求めるべき真理は深く、知りえた事はまだまだほんのわずかと思っています。
私の探求は天の都に行くまで続きます。   (Shizuko記)


  
コメント
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