背丈より高い「ひまわり」だけは支柱をしたものの、直撃した台風5号の猛烈な暴風雨に耐えてくれた花達
たまにしか散水しないのに、必死に生き抜いてくれている花達
暑さにも負けず耐えてくれている花達
お盆休みもなく、今日も頑張って咲いてくれている!!!
背丈より高い「ひまわり」だけは支柱をしたものの、直撃した台風5号の猛烈な暴風雨に耐えてくれた花達
たまにしか散水しないのに、必死に生き抜いてくれている花達
暑さにも負けず耐えてくれている花達
お盆休みもなく、今日も頑張って咲いてくれている!!!
朝食に、自家製の「種なしスイカ」が初お目見え。しかも、栽培管理からもれた「棚からぼた餅」のスイカだけに、感慨ひとしお。
①食パン1/2:手作りの「バレンシャオレンジ・ジャム」をたっぷりと塗った
②食パン1/2:家内が買ってきた「チーズ」を載せて焼いた
③自家製の「種なしスイカ」
④自家製の「イエロー・ミニトマト」
着果時期未確認で収穫適期がわからず、「エイヤッ」で収穫してきた8kgの黒皮大玉スイカ。昨日、ドキドキしながら切ってみた。
見事! 真っ赤か。しかも黒い種がなく、わずかに種の赤ん坊がチラホラみえる程度。「種なしスイカ」の苗を植えたことを思い出した。
甘さは・・・まあまあ。でも冷やせばグンと甘味が増すので合格や! 皮が予想以上に厚いが、接ぎ木苗の台木の影響やから仕方がないか。
初めての「種なしスイカ」収穫に感動! それ以上に、蔓のヒゲやスイカのアチコチをチェックし、「エイヤッ」と切り取ったスイカが収穫適期だったことに、我ながら驚くばかり。
朝から孫達が水着姿で騒々しい。聞けば堺市の浜寺公園プールに行くとか。エエなあ! おじいちゃんは、これからご近所の新盆や親戚の仏さん参りに行かなアカンのや。
それにしても、夏休みだしプールは大混雑やろな。パパ・ママご苦労さん。
着果時期を識別する色棒のついていないスイカが、畑に10数個転がっている。
6月下旬、今年の着果は終わったと判断し、5日毎の着果確認と着果時期を示す色棒立てをやめた。7月上旬の収穫時、ソフトボール大になっているのに着果棒が立っていないスイカがゴロゴロ転がっていることに気づいた。
今日、蔓のヒゲ・蔓の状態・お尻の臍・頭の張り具合・模様の濃淡などを確認・比較した上、3個を「エイヤッ」と収穫した。
重さを図ると、10kg、8kg、5kgだった。関心は大きさではなく熟度と甘さ。それは切ってみないとわからない。
お盆なので、とりあえず、見た目が立派な「10kgのスイカ」を仏壇にお供えした。ご先祖さんなら、霊視で熟度が分かるのかもと思ってみたり・・・
<エイヤッで収穫した10kgの大玉赤スイカ>
エイヤッで収穫した8kgのスイカを切るのは明日。
ドキドキしながら包丁を入れ、「オー 赤い! 甘ーい! ヨシッ!」となるか、「エー 食べられるかなあ? 味はどうなんやろ?」と落胆するか、是非、前者であってほしい。
<8kgと5kgの黒皮大玉赤スイカ>
でも前者だったら嬉しい反面、今まで小まめに着果確認に見回り識別の色棒を立ててきた作業は何だったのか・・・ 複雑な思いで包丁を入れることになりそう。
明日、早朝の6時過ぎに、「お坊さん」がお盆の「お参り」に来てくれる。
多分、「大っきいスイカやなあ! 作ったん?」と聞くはず。長引いた話になるのかも・・・
バレンシャのジャムなんて見かけたこともないし聞いたこともないし、食べたこともない。「ジャムにしたら、どうなるんやろ?」とチャレンジしてみた。
ご近所さんから貰ったバレンシャが、まだ倉庫にコンテナで半分近く残ってる。とても生食だけでは食べきれないし、ジャムにして冷凍すれば長期保存ができるし・・・と試しに作ってみた。
「いける! いける! これなら、どっさりジャムが作れる!」と思った。
家内からも、「これ、美味しいなあ! ほど良い酸っぱさがいい。手作りだから、市販の甘いだけのジャムと違って甘さ控えめで素材の甘酸っぱさを生かせてる。美味しい!」と褒めてもらった。
冷蔵庫にいつも入っていたスイカ、着果後の日数を管理してきた「適度に熟した甘ーいスイカ」は食べ終わろうとしている。せめて、記録に残しておこうと糖度計で測ってみた。
<9.5kgの大玉紅スイカ:糖度12.0度>
残るは、着果時期不明でサッカーボールよりも大きくなったスイカが、10数個、転がっている。8kg以上もありそうな大きなスイカもいくつか。でも、いつ収穫したら「真っ赤に熟した甘ーいスイカ」が食べられるのかがわからない。
蔓のヒゲ・頭・お尻などで判断しつつ、「エイヤッ」と収穫するしかない。「熟したりないか・適期か・熟し過ぎか」、ドキドキしながら包丁を入れる瞬間が10数回待っている。
年に1~3回するかしないかの滅多にしない果樹や庭木への動噴(動力噴霧器)を使った薬剤散布。それだけに散布した後に雨で洗い流されるのだけは避けたい。
台風も去り、にわか雨もなさそうだった今日、暑さも和らぐ16時からと思って作業を開始した。ところが照りつける太陽で気温が一向に下がらず、倉庫から動噴・薬剤タンク・ホースなどを運び出すだけで汗ダクダク状態。
①耕作者用の地区共同の水汲み場で、500Lタンクに給水し
②薬害防御のためマスクと眼鏡をし、さらに防水カッパを着て薬剤散布を開始した
③薬剤散布開始10数分後、防水カッパの暑さに耐えきれずダウン。水分補給して一休み。薬害よりも熱中症が心配になり、防水カッパを脱ぎすてて再開
④途中、暑さでフラフラになること2回、その都度、水分補給と休憩を取りながら、約2時間で作業を終えた。
⑤途中、キジが薬剤散布を見学にきたのか、頑張れと励ましに来たのかはわからないが、畑に入ってきた。
みかん農家のミカン山は共同のスプリンクラーで薬剤防除するが、平地のミカン園は動噴で薬剤散布する。平地の薬剤散布は、朝から晩まで、しかも3~4日間ぶっ通しでやることを思えば、せいぜい2時間程度の薬剤散布なんて彼等からすればママゴト遊びみたいなもの。
でも今日の薬剤散布、体はグッタリだったが、散布したという充実感で気分は上々。一方で、ママゴト遊びみたいな薬剤散布で心身がクタクタになった自分、改めて農家の頑張りとタフさをも思い知った薬剤散布だった。
家庭園芸のカボチャが30数個。アチコチ配ったが、まだまだたくさん残ってる。
日中は陽射しが強くて畑に出る気がしないし、家内は盆前で花屋の手伝いで留守だし、冷蔵庫で冷やした「かぼちゃの冷製スープ」が食べたくなり、暇つぶしがてらに作った。
<栽培者 兼 素人コックが作った「かぼちゃスープ」のザックリレシピ>
①カボチャが有り余っているので、2個を使った。
②皮を剥き適当な大きさに切り、鍋に入れた。
③鍋に、カボチャが隠れる程度に水を入れ、チキンコンソメ1箱分(5個入り)を入れ、煮ること10数分。
④鍋がやや冷めてから、ミキサーにかけた。カボチャ2個分なのでミキサーを3度回した。
⑤ミキサーでペースト状になったカボチャを鍋に入れ、ややトロッとする程度まで牛乳を加え煮た。このままでも美味しかったが、味見をしながら塩・胡椒を少しだけ加え味を整えた。水も牛乳も少なかったので、トロッとしたカボチャの味が濃いスープが出来上がった。
※レシピでは玉ねぎを加えて甘味を出すみたいだが、カボチャが濃いだけにその甘味だけで十分だった。バターも加えると美味しいらしいが、油が上に浮くのがイヤなのでやめた。
※入れた牛乳や水の量が少なかったが、それでもカボチャ2個分だったので大量にできた。2世帯に小鍋で配る時、「カボチャが多い3倍濃縮スープなので、味見をしてからお好みで牛乳で薄めたり塩・胡椒やバターを加えてもらっても・・・」と言ったが、そのままが美味しかったとのことだった。
8/7、台風5号は我が紀伊半島に上陸し、我が家を台風の目が通過して行った。
台風5号上陸前、縁のガラス戸を保護するため雨戸を戸袋から出した。前回のミニ台風時には出さなかったが、今回はヤバイと感じ、暴風圏に入る前の8/7早朝に引っ張り出した。
この雨戸は木なので、台風が去っても雨に濡れた戸が乾燥するまで収納できない。よく乾いた今日、収納した。そんな厄介な雨戸だが、台風時には心強い。
昔の家の木の雨戸は「カンヌキ」で抑える造りだった。歴史に残る猛烈な台風時には、親父から「カンヌキをしっかり押さえとけ」と言われたが、その雨戸にものすごい風圧がかかり、支えているのが怖かったことを今でも覚えている。今の雨戸は雨戸と雨戸が凹凸で密閉されているからか、「カンヌキ」をはめるようにはなっていない。
<雨戸:普段は戸袋に入っているので日焼けしていない。目に入るまでは東からの風、吹き返しが西からの風だったので南側の雨戸は、雨にたたきつけられずに済んだ>
<台風の目に入る直前の暴風雨を受ける庭木:猛烈な雨で数十メートル先が見えない。>
台風の上陸は和歌山県・北部の有田市付近と発表されたが、目の範囲は広いので、もっと広範囲の地域が目に入ったはず。
15時半頃から約30分、台風の目で「そよ風と小雨」だったのが、16時頃から今度は西からの猛烈な暴風雨に変わった。
ただ、目に入る直前は1時間ぐらいだけの猛烈な暴風雨だったので、吹き返しの暴風雨の度合いは想定できる。昔、猛烈な台風を体験しているだけに、今回の台風は、比較的、落ち着いて通り過ぎるのを待っていられる。
でも、果実の重みで果樹の枝が折れていないか、果実が落果していないか、傷だらけになっていないかは心配。
15時半頃、それまでの猛烈な暴風雨がピタリと止み、そよ風と小雨に変わった。空も明るくなった。間違いなく台風の目に入っている。
昔、台風の目に入った時は、もっとくっきり明るくなった記憶があるので、この台風5号は小規模な目なのかも知れない。でも、久し振りに貴重な体験をした。孫達にも台風の目を体験していることを教えた。
しばらくすると、吹き返しの暴風雨が始まるはず! 幸いなことに、猛烈に強い南東からの暴風には巻き込まれていない。
太平洋を東から西へ逆走し、奄美で反転してきた珍しい台風5号。
昨日のこと。
北へ上がると思えば東へ向きを変えたりとジグザグな歩みに不気味さを覚えていた。しかもノロノロスピードなので、中心に近ければ長時間の暴風雨に見舞われる。
四国を縦断かと思いつつも、イヤな予感がしたので、昨日の夕方、家の周りや畑など物が飛ばないように台風の備えをしておいた。
今朝7時のこと。
台風の進路予想をみると、九州や四国をかすめ紀伊水道に入り、我が紀伊半島に上陸する可能性が高くなってきた。台風の中心、および中心のすぐ右側が最も暴風が強いのは経験で知っている。最悪のコースを通る可能性が強くなってきた。午後には間違いなく暴風圏に入る。アカン! ヤバイ!
テレビで放送される九州や四国各地の様子は、台風の中心やその右側でない場所ばかりなので台風の威力とは思っていない。まともに台風5号の影響が出るのは、奄美諸島に続き紀伊半島が2番目になりそうになってきた。
雨は、昨夜から断続的に降っているが強くはない。時折、台風の余波らしい風も吹いているが強くはない。
雨は仕方がない。問題は暴風の強さと滞在時間。みかんや柿や八朔など肥大化してきた果実が最小限の被害で済むことを祈るしかない。
お盆の交通渋滞が気になるので、遠方の親戚だけ「仏さん参り」を早めに行ってきた。
「お盆の入りは何日から」とか、「祖先の霊を迎えてから」などという杓子定規な慣習や儀式は、親戚同士だとアバウトでも気にしない。
帰路、せっかくなのでドライブがてらに和歌山市内をアチコチ廻ってみた。
①紀の川にかかる橋が、水面に反射していた<家内が車窓より撮影>。
車を降りて、ゆっくりと写真を撮ってみたいほどの景色だった。
②今年4月に開通した「和歌山~大阪」を繋ぐ「第二阪和国道」を走ってみた。<家内が車窓より撮影>
③イオンモール和歌山で昼食することに。フードコートの「天地人」で、人気ラーメンではなく「帯広の豚丼」を食べた。
④車で市内中心部に向かう途中、遠くに和歌山城が見えた。<家内が車窓より撮影>
⑤和歌山の表玄関はJR和歌山駅。南海・和歌山市駅は大阪・難波駅と直結しているものの「ひっそりとした裏玄関」なので、利用することも周辺を通ることも滅多にない。そんな南海電鉄の和歌山市駅ビルが今年の3月から建て替え工事を始めたと報道されていたので、その様子をみて回ることにした。
⑥養翠園
聞いたことがあっても、行ったことがなかったので車で寄ってみた。炎天下、歩いて園内を散歩する気にならず、正面入り口から眺めただけで失礼することに。
和歌山県観光連盟HPによれば、紀州徳川家第10代藩主・徳川治宝により文政年間(1820代)に造営された海水を利用した池泉回遊式庭園で、武家庭園の代表作とか。
⑦和歌浦
和歌山市の海岸景勝地。東照宮・天満宮・玉津島神社・不老橋や、海水浴場・雑賀崎漁港・観光ホテルがある。地名では「わかうら」だが、万葉集の名残なのか「わかのうら」ともよばれている。
<万葉集>若の浦に 潮満ち来れば 潟を無み 葦辺をさして 鶴鳴き渡る(山部赤人)
⑧和歌浦・雑賀崎漁港
⑨和歌浦・紀州東照宮
(和歌山市観光協会HPより引用)
元和7年(1621)、徳川頼宣が南海道(なんかいどう)の総鎮護(そうちんご)として創建された社殿は、「関西の日光」とも呼ばれ、権現(ごんげん)造りとなっています。また、江戸初期の代表的な重要文化財建造物としても有名です。漆塗・極彩色の精巧な彫刻、狩野(かのう)・土佐両派の絵による豪華さに目を奪われ、特に左甚五郎(ひだりじんごろう)作の彫刻や狩野探幽(かのうたんゆう)作のふすま絵は必見です。鮮やかな色彩を目のあたりにすると、当時の時代が壮麗な絵巻物となって浮かんできます。
日光の東照宮は知ってても、和歌山に東照宮があるとは県民でも知っている人は少ない。自分自身も何回か車で前を通ったことはあるが、お参りしたことはない。知名度が低い上に有料駐車場なので、ついつい素通りしてしまう。
「お盆の仏さん参り」のついでだった和歌山市内のドライブだったが、帯広の豚丼も初めて食べたし、和歌山城も眺めたし、南海和歌山市駅周辺の街並みの変化もみたし、徳島往きの南海フェリーが停泊しているのもみたし、和歌浦も一周したしで、久し振りに旅気分を味わった。
いつものフルーツ三昧の朝食に「あら川の桃」が加わった。代わりにバレンシャ・オレンジとミニトマトは遠慮してもらった。この時期、食パンは脇役となる。
2日に1回となった朝の収穫作業や漬物の手入れで一汗流した後の「フルーツ朝食」は、喉通りがよくて最高!
この「あら川の桃」は、光センサーで糖度・傷・大きさなどを選別した最高級品。我が家で作っている放任栽培の桃とは雲泥の差。
なぜか食卓に、フラワーアレンジが飾ってあった。まさか、ピンポンがワンちゃんに変身するとは・・・
畑を見回った時、実が肥大化中の八朔・レモン・柿・不知火などの果樹が、「喉渇いた。水・水・水!」と叫んでいるように聞えた。
考えてみれば、雨らしい雨が全く降らなくなってから久しい。灌水もしていない。
「ゴメン・ゴメン、気づかなくて」とテレパシーで詫びる気持ちを伝え、早速「簡易スプリンクラー」を設置し「喉の渇き」を癒してもらうようにした。ただ、植付場所がアチコチ離れてるし本数もあるので、順番待ちだけは了解してもらってる!
朝食:いつもの定番を作った。写真撮り忘れた。
昼食:家内から、先日作った「焼きそば」が美味しかったとおだてられ作った。料理写真は撮り忘れた。
先日、テレビでみた「両面焼きそば」を営む店の主人が言った「一般の焼きそばは、焼きそばではない。炒めそばだ!」を聞いて、「目からウロコ」が落ちる思いだった。その通りだと思った。
その作り方を真似て作った。今まで「焼きそば」と思っていた「炒めそば」とは全く食感が違い、驚くほど美味しかった。作り方は番組HPに掲載されているので、興味のある方は以下をどうぞ。
「ソレ ダメ」で紹介されたいくつかの焼きそば店の内、「あぺたいと 本店」の両面焼きそばの作り方参照。
http://gfoodd.com/post-32932
夕食:「夕食、何にしよう?」と尋ねられ、「何か、作ろうか」と言ったらお鉢が回ってきた。冷蔵庫・冷凍庫の食材を照らし合わせ、数あるレシピ集から「他人丼」を作った。
170年以上前から作り続けている角長の「手作り醤油」を貰った。
我が家から車で約10分の隣町の湯浅町は醤油発祥の地。今も醤油作りが続いている。中でも、角長は手作り醤油にこだわり続けて170年余りという老舗。
普段、家内が買ってくるのはスーパーで売っている量産品のお安い醤油。地元に住んでいながら、めったに口にできない高価な醤油というイメージが定着しているので、贈答や法事の粗供養などに使うだけ。
数十年前、高校の友人宅に寄ると醤油作りをしているのか、家に入ると醤油の香しい匂いと販売する醤油が並んでいた。通学した高校が湯浅町だったこともあり、当時、アチコチの家で醤油作りが行われていた記憶がある。
さて、この醤油、どんな料理に使うのか、家内のお手並み拝見というところ。