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36人犠牲の京アニ事件から3年、生存者が証言した「生き延びる術」伝承

2022年07月19日 19時03分52秒 | 事件と事故


京都アニメーション放火殺人事件を教訓に京都市消防局が作成した「避難の指針」が、全国の消防訓練などで活用されている。昨年12月の大阪・北新地クリニック放火殺人事件など深刻な火災は後を絶たず、極限の状況から脱出した30人以上の証言から導かれた命を守る方法は重みを増している。


7・18・2022



専門家は不測の事態への備えの重要性を強調する。(坂戸奎太、河部啓介)

 【写真】皮膚移植、足りぬ提供…21年の提供5人 

京アニ放火殺人事件3年


聞き取り調査

(写真:読売新聞)
 京アニ事件は2019年7月18日午前に発生。70人がいた第1スタジオ(3階建て)1階にガソリンがまかれて放火され、1分で建物内に高温の煙が充満し、煙を吸い込んで短時間で意識を失うなどして36人が犠牲になった。助かった34人の多くは2階ベランダから飛び降りて避難し、3人はトイレに逃げ込んで煙の流入を遮断し、救出された。


 事件直後に京都市消防局は、生存者から避難時の状況を聞き取った。これを踏まえ、▽煙や炎が入ってこない部屋に一時的に退避して救助を待つ▽窓を開け、体を「くの字」形に折り曲げて窓枠から上半身を乗り出し、外の空気を吸う▽窓枠にぶら下がってから飛び降りる――などのポイントを20年3月に「火災から命を守る避難の指針」としてまとめた。


各地の訓練で


 直後に市消防局のホームページで公開したところ、消防関係者から問い合わせが相次いだ。徳島市消防局は、アイドルのライブイベントが行われていた市内の雑居ビルで昨年3月に起きた放火事件を踏まえ、今年1月から避難訓練の際に指針を紹介している。

低い姿勢で逃げるよう指導する名古屋市港消防署員ら。京アニ事件の生存者の体験が生きている(12日)
 名古屋市港消防署(名古屋市港区)も今年5月から市内の施設などで行う防災訓練で指針を活用する。京アニ事件後も重大な事件が相次いだことに危機感を抱いたためだ。

 「逃げる時は低い姿勢で床付近の新鮮な空気を吸ってください。生きるにはそれしかありません」。名古屋市港区の特別養護老人ホーム「幸楽荘」で今月12日にあった防災訓練。港消防署の予防課員が実演しながらホーム職員約10人に厳しい口調で訴えた。

以下はリンクで


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この道の他ない

2022年07月19日 10時03分22秒 | いろいろな出来事
この道を行きます❗





10・6・2020
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えのきの林です>オオムラサキの食草

2022年07月19日 06時03分37秒 | 日々の出来事
えのきは巨木になりますね❗

最近、オオムラサキの雌を見つけました。
さすが、オオムラサキの食草、えのきは、実際にオオムラサキの繁殖に役立っているようです。



7・2・2022
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不妊治療2年、流産3回…42歳の母がダウン症でも迷わず産んだ「根拠」

2022年07月19日 03時30分38秒 | 医学と生物学の研究のこと


不妊治療2年、流産3回…42歳の母がダウン症でも迷わず産んだ「根拠」

ジャーナリストの河合蘭さんによる連載「出生前診断と母たち」では日本における出産前診断の実例をお伝えしている。親たちも、医療従事者も、様々な思いを抱えているが、大切なのは親たちが「自分たちの意志」で決断し、行動することではないだろうか。

【写真】満面の笑顔が物語る! 松原さん一家の「迷いのなさ」

 ただ、「決断し、行動する」ためには「理由」が必要だ。今回河合さんがお話を伺ったのは、妊娠前から障害者雇用の仕事を続けてきたという松原未知さん。ブログも話題となり、講演会も多く行っている松原さんは、不妊治療の末の妊娠で、2分の1の確率でダウン症と言われた際に産まない選択肢がなかったという。そこには明確な「根拠」があった。
生後1週間ごろの佑哉君。より安全に産むために出生前診断を受けた 写真提供/松原未知        
 
5/24sun/2020

ふとしたきっかけで障害者雇用の担当に
 
 「どうして障害者を雇用しないで、年間3千万円も納付金を収めているんですか?」

 15年前、当時、人材サービス会社にいた松原未知さんは、上司に疑問をぶつけた。
日本では、日本では、障害者雇用促進法によって、企業は雇用者全体の2.2%は障害者を雇用することを義務付けられている(令和2年3月現在)。これを達成している会社は調整金、報奨金などの名目で一定の金額を受け取れるが、出来ない会社は納付金を徴収される。

 「わかりました。では、松原さんが担当してください」
そう言われて、松原さんの人生は突然に変わった。障害者と深いかかわりを持つことになったのだ。30代前半のことだった。

 手探りで障害のある人たちを面接した採用した。それまで障害のある人とのかかわりは特になかったが、大学では福祉を学んでいた松原さんは社会福祉士、精神保健福祉士の資格も取得した。その頃に結婚もし、夫の転勤について転居したため、次は自治体に就職して、障害を持つ方も多い生活困窮者の支援員をつとめる。そうこうするうち、2011年末、妊娠した子どもがダウン症候群だという確定診断がついた。

 今、その息子である佑哉くんは小学一年生となり、元気に育っている。

 「私は雇用者になったかと思ったら支援者になり、保護者にもなってしまったんです。次は、私自身が高齢になって障害者本人になるのかな?」

 松原さんは妊娠ブログ「お腹の中の子はダウン症」も注目され、わかって産む妊婦であることをネット上にカミングアウトしたパイオニアでもある。

 「ほとんどの人がダウン症がわかると産まないと聞いていたたまれなくなり、どこかで産む人に巡り会いたいと思ったんです。障害をもって生まれ、生きていく人生もあることを社会に知って欲しいという気持ちもありました。ネット中を駆け巡りましたが、当時、英語サイトまで探しても、ダウン症児を産もうとしている妊婦のブログはありませんでした」

 ブログは世間の注目を引いただけに中傷、2ちゃんねるでのなりすましといった行為にも遭ったが、同じ立場の女性と巡り合うこともでき、励まし合える仲間もたくさんできた。

  松原さんほど、さまざまな角度から障害と向き合ってきた人はいないだろう。

2年間の不妊治療、3回の流産
 
 松原さんの妊娠は、41歳。その前に2年間に及ぶ不妊治療と3回もの流産があるという大変な妊娠だった。不妊治療の経過で出会った医師が偶然にも初期の胎児超音波検査の国際ライセンス取得者を持つ専門家でもあったことから、松原さんは妊娠13週でその検査を受けた。流産の原因は、大半が胎児の染色体異常だから、見通しが欲しくて受けた検査だった。すると「ダウン症である可能性は2分の1」と判定されるという衝撃的な結果が出た。

 ダウン症も染色体異常のひとつなので、染色体が正常な子より今後流産してしまう可能性は高い。しかし、すでに妊娠13週となっているので、出産できる可能性も十分にあった。

 「ともかく生きて生まれて欲しい!」というのがその時の気持ちだった、と松原さんは言う。羊水検査に行った大学病院の診察室でも、「私、ダウン症でも別に産みますから」と医師にはっきりと言った。妊娠18週、羊水検査でダウン症が確定し、その3日後、松原さんは本連載3回に登場するクリフム夫律子マタニティクリニックを受診し、幸い合併症はなかった。

 「産むという選択については、1ミリもぶれたことがなかったんです」という松原さんは、ただ、胎児の情報がすべて欲しかった。「私はどんな子でも受け容れるので、検査は受けない」という声に、松原さんは賛同できなかった。子どもを、万全の準備を整えて産むためには、情報が基本ではないだろうか? 
  「『産むことを選ぶなんて、偉いわね』とよく言われましたが、私は選ぶことさえしていなかったような気がします。そういうものだと思っていました」
     
出産前日の松原さん夫婦 写真提供/松原未知        
 


障害について知っているからこそ
 
 理由は、もちろん自身の職業もそのひとつだった。障害がない人もある人もいるのがこの世界だという信念で頑張ってきたし、現場経験から、松原さんは、日本の障害者福祉は整っているという安心感を持っていた。あまり知られていないが、制度をちゃんと使えば、子どもにダウン症があるために生活が困窮するようなことはなく、子どもを保育園に入れて親が働き続けることもできる、と。

 そして、もうひとつ深いところにも、松原さんの理由はあった。
「私には、宗教的背景があると思います。プロテスタントの学校に通っていた家族が多く、私自身もそういう学校で学んでいて聖書の授業もありました。『人はみんな神様の子どもであり、誰もが平等な存在』と小さいころから教えられてきたので、障害者を排除しようという考え方は生まれようがない。自分の基本的な価値観と人生観が、そうなっているんですね」

 松原さんは、仕事でもこの考え方に励まされてきたという。
 「日本は宗教を語りたがらない傾向がありますが、私はこの考えから『生きやすさ』をもらってきたと思います。なにしろ40年も生きてきたあとでの高齢妊娠ですから、人生観も固まってきていたのでしょうね」

以下はリンクで>





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