共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

遊ぶ方も遊ばせる方も大変ね…

2021年10月31日 17時55分35秒 | 日記
今日はハロウィンです。が、外は見事なまでの雨模様で、厚木の街中でも様々なトンチキな格好に身を包んで浮かれた親子連れが恨めしそうに空を見上げていました。

まぁ、ハロウィン殲滅派の私に言わせりゃザマァみろです。そんな浮ついた恥ずかしい格好で親子して外をうろついている暇があるなら、大人しく衆議院議員総選挙にでも行って一票投じて来やがれってなもんです。

さて、期日前投票を済ませた私は、今日は用事があって杉並区まで来ていました。その道すがらに公園があったのですが、その中に



フェンスで区切られた鳥籠みたいな一角があったのです。

同行していた現地住民に

「あそこなぁに?」

と聞いてみると

「あれは球戯場なの。」

とのことでした。言われてみれば



3on3でもできそうなバスケットボールネットがあったりしましたが、何だか狭さばかりが目に付きます。

しかも、フェンスに掲げられた注意書きによると



キャッチボールはしていいもののバットは使ってはいけないのだそうです。しかも

『場所の取り合いなどをせずになかよく遊びましょう』

などという当たり前のようなことまで注意喚起されていたりして、ちょっと面食らいます。

他にも



子どもたちに近隣への配慮を呼びかける注意書きや



蚊に刺されないようにという注意書きまで、まぁありとあらゆる注意書きがそこいら中に掲示されていてゲンナリしました。

子どもたるもの、公園なんぞに来たらキャアキャア言いながら遊び回るものと相場が決まっています。なのにこうした都内の公園では、遊ぶ子どもたち側も遊ばせる行政側もあれこれとマニュアル化して注意しながらでないと、『遊ぶこと』すら儘ならないようです。

そう言っては何ですが、コロナ禍絡みでいろいろと制限はあるものの、何だかんだ伸び伸びと遊び回れている小田原の子どもたちはまだ幸せなのかも知れません。来週の小学校勤務で中休みや昼休みになったら、ケガをしない程度に子どもたちを思いっきり遊ばせてあげるとしますか…。

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今日はフランス・ブリュッヘンの誕生日〜アルトリコーダーソロによるテレマンの《無伴奏フルートのためのファンタジー第3番》

2021年10月30日 16時35分56秒 | 音楽
今日も気持ちのいい秋晴れとなりました。あまりに気持ちよくて、ちょっとボンヤリ座っていると眠くなってきてしまうくらいです…。

ところで、今日10月30日はフランス・ブリュッヘン(1934〜2014)の誕生日です。



リコーダー、フルート、フラウト・トラヴェルソ(古楽器のフルート)奏者、指揮者として活躍したフランス・ブリュッヘンは、1934年の今日オランダのアムステルダムで生まれました。1950年代からリコーダー奏者として活動を開始して、リコーダーによる演奏の可能性を格段に広めた古楽界の草分け的な存在です。

アムステルダム音楽院、アムステルダム大学に学んでリコーダー奏者としてキャリアをスタートさせたブリュッヘンは、モダン・リコーダーからしだいに古楽器へと傾倒していき、1950年代から1970年代にかけてはチェンバロ、オルガン奏者のグスタフ・レオンハルトやチェロ奏者のアンナー・ビルスマらと共演を重ね、多くの録音を残しました。他にも、チェロ、ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者のニコラウス・アーノンクールや、ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者のヴィーラント・クイケン、ヴァイオリン奏者のシギスヴァルト・クイケン、フラウト・トラヴェルソ奏者のバルトルト・クイケンのクイケン3兄弟など、数多くの古楽器奏者と共演しました。

1973年にリコーダー奏者として初来日したブリュッヘンは、この時にバッハの無伴奏チェロ組曲の第1番から第3番までをアルトリコーダーで演奏しました。その録音は後にLPやCDで発売されたほか、後に全音楽譜出版社から編曲譜が出版されています。

1981年に指揮者に転じたブリュッヘンはオリジナル楽器のオーケストラである18世紀オーケストラを結成し、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンなどの古典派の作品を中心に、シューベルトやメンデルスゾーンなどの前期ロマン派作品なども含めて多数の録音を残しています。18世紀オーケストラを率いた来日も多く、



2009年には新日本フィルハーモニー交響楽団への客演で久しぶりの来日も果たしました。



私がブリュッヘンの存在を知ったのは中学生の頃だったと思いますが、自分も学校の音楽の授業で吹いているリコーダーで

「こんなことができるのか!」

と驚愕したことを覚えています。スラリと長い脚を組んで細身の身体を猫背気味にして椅子に座り、自在にリコーダーを操る様は実にカッコいいものでした。

そんなわけで、今日は数あるブリュッヘンの演奏の中からテレマン作曲の《無伴奏フルートのためのファンタジー第3番》の演奏動画を御覧いただきたいと思います。誰しも手にしたことのあるはずのアルトリコーダー1本で奏でられる、テレマンの素朴で典雅な旋律をご堪能ください。



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今日は歌劇《ドン・ジョヴァンニ》初演の日〜ダニエル・ハーディングによる《ドン・ジョヴァンニ》序曲

2021年10月29日 18時40分35秒 | 音楽
今日も神奈川県は爽やかな秋晴れの空が広がりました。こうした気持ちのいい陽気が続いてくれると、子どもたちにとっても大人たちにとっても嬉しいものです。

ところで今日10月29日は、モーツァルトの歌劇《ドン・ジョヴァンニ》が初演された日です。

今でこそモーツァルトの数々のオペラは人気ですが、当時のウィーンではそれほど評判になりませんでした。代表作のひとつである歌劇《フィガロの結婚》ですらウィーンでは不発でしたが隣国チェコののプラハでは大ヒットし、モーツァルト自身が招かれることになりました。

プラハに着いたモーツァルトは街行く人々が鼻歌に《フィガロの結婚》の一節を歌っているのに接して大いに感激し、父レオポルト・モーツァルトへの手紙にプラハでの評判の高さを書き送りました。その結果、プラハの翌シーズンのために新しい作品を依頼されてできたのが歌劇《ドン・ジョヴァンニ》で、初演は1787年10月29日にプラハのエステート劇場でモーツァルト自身の指揮で行われました。

初演に先立って書き掛けの原稿を持ってプラハにやってきたモーツァルトは、友人夫妻の別荘に滞在して最終仕上げを急ぎました。ところが前夜になっても序曲だけは未完成だったため、眠気を押さえるために妻のコンスタンツェに話を聞かせてもらったり飲み物を作ってもらったりしながらほぼ徹夜でスコアを書き上げて、翌早朝にはどうにかこうにか写譜屋に原稿を渡せた…という、演奏する側からすれば何とも迷惑な逸話が残されています(苦笑)。

個人的な話ですが、昭和時代人として《ドン・ジョヴァンニ》というと思い起こすのが、1984年に公開された映画《アマデウス》です。この映画の中で《ドン・ジョヴァンニ》は父レオポルト・モーツァルトの死を象徴するように登場し、



ポスターにもそれを暗示するような仮面姿の男が描かれたりと、決して史実通りにモーツァルトの生涯を描いているわけではないエンターテインメント作品でありながら、《ドン・ジョヴァンニ》や《交響曲第25番ト短調》といったモーツァルトの短調作品を効果的に使った名画となっています。

さて、いくら何でも《ドン・ジョヴァンニ》全編の動画を載せたら3時間近く時間がかかってしまうので、今回はその序曲の動画を転載してみました。

先程も紹介したように序曲はわずか一晩で書かれましたが、さすがモーツァルト晩年の作だけあって円熟した曲に仕上がっています。実際のオペラの序曲では終結せずにそのままオペラの本編につながっていくのですが、モーツァルト自身が演奏会用の華々しい終結部を別に作曲していて、演奏会で独立して演奏されることもしばしばあります。

実は私も12月に出演する演奏会で、この《ドン・ジョヴァンニ》序曲を演奏することになっています。なかなか難しい曲なので、頑張って練習しないと…。

そんなわけで、今日は2006年のザルツブルク音楽祭で披露された《ドン・ジョヴァンニ》の序曲を、ダニエル・ハーディング指揮によるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏でお楽しみください。


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何なんだよマッタク…!

2021年10月28日 19時35分56秒 | 日記
今日も穏やかな秋晴れとなりました。湿度も昨日より下がり、カラリとした気持ちのいいお天気となりました。

そんな中、今日は



衆議院議員総選挙の期日前投票に行ってきました。投票用紙を受け取って、衆議院議員選挙には候補者名を、比例代表選挙には政党名を、最高裁判官信任投票には罷免すべき裁判官名を選んで投票してきました。

ただ、ちょっと気になったのが比例代表選挙の記載方法です。

比例代表選挙の投票用紙には政党名を記入することになっていて、略称での記入も認められています。しかし、立憲民主党と国民民主党の略称が両方とも『民主党』なのです。そんなことが罷り通るのか?と思って調べてみたら、投票用紙に『民主党』と書かれた場合は立憲民主党と国民民主党両党の得票割合に応じて票を割り振る『案分』となる…とのことでした。

もう

「ハァ?何ぢゃそら!?」

です。

要するに『民主党』という略称が記載されていた場合には

「立憲民主党か国民民主党かどっちだか分からないから、そう書いてあるやつは両方の党で分け合ってもらおう」

ということらしいですが、ハッキリ言って詭弁でしかありません。

こんなんで議席を獲得できるのであれば、こんなセコいことはありません。こんなバカなことが罷り通るのなら、いっそのこと比例代表制などという不明瞭な選挙法なんて止めてしまえばいいのに。

ところで、ここ数日私のところに様々なメールやLINEやMessengerが来ています。そのどれもが昔一緒に仕事をしていたものの、ここ数年来は共演はおろか連絡も何も無かった人たちばかりです。

久しぶりにお仕事の話か…と思って見てみましたが、その内容は

「選挙の投票には行きましたか?」
「投票用紙は白票で意思表示を。」
「比例代表選挙には是非○○○○党を。」

といった選挙に絡むものばかりでした。もう、どれもこれも



と言いたくなるものばかりで、そんなものを送りつけてきた輩は、片っ端からブロックしてやりました。

ここで業務連絡です。

私宛に糞の役にも立たないくだらないメッセージを送りつけてきて、現時点で私から何の音沙汰も無い皆さん、貴方たちとは今後一切関わりません。そんなもの送りつけてくる暇があるなら、せめて仕事のひとつも持ってきてください。
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今一度のパンプキンワッフル@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2021年10月27日 21時15分25秒 | カフェ
今日は小学校で芸術鑑賞会という催しがあり、小編成のオーケストラが来て子どもたちにいろいろな曲を聴かせてくれました。私も低学年の子どもたちの引率で一緒にいたのですが、何とオーケストラの中に知り合いが参加していました。

もしかしたら…と考えてはいましたが、実際に知り合いに遭遇すると何だか変な感じです。終演後、特に名乗らずに子どもたちとその場を後にしてしまったのですが、ああいった場面では何とも気まずい空気になるものです。

そんな小学校勤務を終えてから、一路横浜市青葉区あざみ野を目指しました。そしていつもの如く《雫ノ香珈琲》にお邪魔しました。

今月こちらに来られるのは今日が最後になるので、今日は



今月限定の『パンプキンワッフル』をオーダーしてみました。クロワッサン生地のワッフルにダイスカットしたカボチャが散らされ、ほろ苦さの立ったキャラメルソースがトッピングされています。

ともするとキャラメルソースというものは甘くなり過ぎるきらいがありますが、こちらのキャラメルソースは手作りならではの焦がし感が効いていて、実に大人な味わいとなっています。このキャラメルソースはドリンクメニューのキャラメルラテにも使われているとのことですが、これだけ苦味の効いたキャラメルソースならコーヒーの味わいを邪魔することはないだろうと、容易に想像することができます。

今日は、今月で今季終了予定の水出しコーヒーも一緒にオーダーして、美味しく堪能しました。甘めの味付けの学校給食を食べた後の大人な苦味は格別です(笑)。

夜になって、だいぶ冷え込んできました。折角コロナウィルスにやられずに過ごしてきた中で、この寒さに当てられて風邪なんぞ引いてしまわないように気をつけようと思います。

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今日はドメニコ・スカルラッティの誕生日〜ユニークな《猫のフーガ》

2021年10月26日 17時40分20秒 | 音楽
未明の雨は朝までには上がり、日中はそこそこ暖かな陽気となりました。今日は1年生の子どもたちと外でドングリ拾いをしましたが、みんな競うようにドングリ探しに没頭していて、かなりの収穫をあげていました。

ところで今日10月26日は、イタリアバロックを代表する作曲家のひとりドメニコ・スカルラッティの誕生日です。



ジュゼッペ・ドメニコ・スカルラッティ(1685〜1757)はイタリアのナポリ出身の作曲家で、民族色豊かな鍵盤語法による多数のチェンバロのためのソナタや練習曲集によって今日でも知られています。

ドメニコ・スカルラッティはバッハ家やクープラン家と同様の音楽家の一族だったスカルラッティ家に、これまた有名な作曲家であったアレッサンドロ・スカルラッティ(1660〜1725)の10人兄弟の6番目の子として誕生しました。1701年、15歳の時にナポリの教会付き作曲家兼オルガン奏者に就任し、1709年からはローマに住んで、同地に当時亡命していたポーランド王妃マリー・カジミールの音楽監督の職を得ました。

スカルラッティは同い年のゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(1685〜1759)と存命中から著名な存在になったために、1709年のローマでヘンデルとチェンバロおよびオルガンの腕前を競い合ったという逸話が残されています。因みにチェンバロの勝負は両者引き分けだったものの、オルガンの勝負ではスカルラッティが先にヘンデルの演奏を聴いただけで自分の負けを認めた…といわれていますが、現在ではこの勝負の逸話は作り話であるとされています。

1719年にポルトガル王ジョアン5世から王室礼拝堂の音楽監督に任命されたスカルラッティはリスボンに赴き、王の兄弟であるドン・アフォンソおよびマリア・マグダレーナ・バルバラ王女に音楽を教えました。1729年にはマリア・バルバラがスペイン王家の王妃となるべく王太子フェルナンドに嫁いだためマドリードへ同行し、1757年にマドリードで没しました。

ドメニコ・スカルラッティは500曲以上という夥しい数のチェンバロのためのソナタを作曲しました。その中でも特にユニークなのが、俗に《猫のフーガ》と呼ばれて有名な曲です。

1738年、ポルトガル王ジョアン5世はスカルラッティをサンティアゴ騎士団の騎士に叙しました。それに応えるようにスカルラッティは最初のソナタ集である《チェンバロ練習曲集》を出版し、ジョアン5世に献呈しました。スカルラッティの名声はこの曲集によってヨーロッパ中に広がりましたが、その曲集の最後に収録されている曲が《猫のフーガ》です。

《猫のフーガ》という通称は、スカルラッティの飼っていた猫がチェンバロの鍵盤の上を横切る癖があって、この猫の『即興演奏(笑)』の中から1つのフレーズをスカルラッティが書き出してフーガの主要モチーフとして使用した…という伝説に基づいています。この伝説が実話かどうかは定かでは無いようですが、



ソ・シ♭・ミ♭・ファ♯・シ♭・ド♯という若干不自然な飛び方をする音形が、如何にも猫が鍵盤上を歩いて音を出している光景を微笑ましく想起させるものとなっています。

そんなわけでドメニコ・スカルラッティの誕生日である今日は、彼の名曲(?)のひとつである《猫のフーガ》をお楽しみください。



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今日はジョルジュ・ビゼーの誕生日〜《アルルの女》の中の名曲『メヌエット』

2021年10月25日 18時08分20秒 | 音楽
今日は朝からあまり気温の上がらない一日となりました。もういい加減、半袖シャツはお蔵入りさせてもいいかな…と思うような陽気になってきたような気がしています。

ところで、今日10月25日は19世紀フランスの作曲家ジョルジュ・ビゼー(1838〜1875)の誕生日です。



声楽教師の父とピアニストの母との間に生まれたビゼーは幼い頃から音楽に親しみ、9歳でパリ音楽院に入学し、19歳でカンタータ『クローヴィスとクロティルデ』で、当時の作曲家としての最高の権威であるローマ大賞を獲得しました。

その後はオペラなどの劇音楽を作曲の中心とし、25歳のに発表したオペラ《真珠採り》でオペラ作曲家の地位を確立しました。その後、フランス人の作家アルフォンス・ドーデ(1840〜1897)の劇《アルルの女》の付随音楽や、今やビゼー作品の代名詞と言っても過言ではないオペラ《カルメン》などを作曲しました。

ビゼーは《カルメン》初演の約3ヵ月後である1875年6月3日、敗血症のため36歳の若さで死去しました。しかし、死後に未発表の交響曲第1番が発見されて初演されたりしたことで、彼の音楽は世界的に認められるようになっていきました。

私は《カルメン》の舞台に2度ほどオーケストラで参加したこともありますし、オーケストラの演奏会で《カルメン》の組曲も何度か演奏してきました。しかし、実は一番演奏回数が多いビゼー作品は《アルルの女》組曲です。

《アルルの女》は、アルフォンス・ドーデの同名の短編小説『アルルの女』に基づく戯曲で、その上演のためにビゼーが1872年に作曲した全27曲の付随音楽です。ただ今日では戯曲そのものよりも、後に付随音楽から抜粋・編曲された2つの組曲の方が一般には最も広く知られています。

その中でもとりわけ有名なのが、第2組曲の『メヌエット』でしょう。フルートとハープで始まる優雅なメヌエットは、単体でフルートの名曲としても有名になっています。

個人的な話ですが、私はこの曲を聴くと小学校の給食の時間を思い出します。給食を食べ終えて食器の片付け時間になると毎回この曲が放送されていたので、ちゃんとした題名を知る前に曲ばかりが先行して頭に入っていたことを思い出します(笑)。

ただ、他の人に聞いてみると

「小学校の下校の時の音楽だった」

とか

「掃除の時の音楽だった」

とかいう声も聞かれます。曲の雰囲気としても時間的長さとしても、そうした場面にこの曲はマッチしていた…ということでしょうか。

そんなわけで、ビゼーの誕生日である今日はその名曲『メヌエット』をお聴きいただきたいと思います。小学校で様々な用途に使われた、美しいビゼーの音楽をお楽しみください。

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久々の中東音楽世界@代々木上原トルコ文化センター

2021年10月24日 18時18分25秒 | 音楽
比較的暖かな秋晴れとなった今日、久しぶりに



代々木上原にある東京ジャーミイにやって来ました。今日はこちらに隣接するトルコ文化センターで



『トルコと東地中海音楽のコンサート』と銘打った演奏会が開催され、そこに中東音楽を楽しむ会の主催者の方が奏者として出演されるということで拝聴しに来たのです。

コンサートは2部形式で、前半はオスマントルコの古典音楽を中心としたプログラムが組まれていました。それでも『中東器楽アンサンブル』というユニット名だけあって



ネイ(左端)やサズ(中央)やベンディール(右端)といったトルコ圏の楽器に、地中海音楽で用いられる擦弦楽器のケメンチェ(左から2番目)やアラブの代表的な撥弦楽器のウード(右から2番目)も加わって、何ともエキゾチックな響きが会場を包み込みました。

サズ奏者は



古典タンブールも演奏していて、ネイ奏者は曲のマカーム(音階)に応じて大小様々な楽器を使い分けていました。こうした場面も、実に興味深いものです。

休憩を挟んでの後半は



普段東京ジャーミイでの礼拝を務められているお導師様をボーカリストにお迎えして、トルコの民謡を歌っていただきました。いつもコーランを朗唱されているだけあって、なかなかの美声の持ち主でいらっしゃいました。

アンコールも含めた終演後には



出演者に向けて会場から惜しみない拍手が贈られました。

この公演は文化庁の後援を受けているとのことで、会場内には



日本とトルコの国旗が並べて掛けられていました。親日国家であるといわれるトルコとこのような文化的な繋がりを持てるということは、実に有意義なことであると言えるでしょう。

ボーカリストをされたお導師様から演奏会が終わった15時からモスクで礼拝があるとのことでしたので、折角のご案内だったので行ってみることにしました。モスクに向かう途中の通路の壁には



先程ステージで演奏されていたウードや



タンブール、ネイといった楽器の実物が飾られていました。

モスクに入堂すると、正に礼拝が始まったところでした。



豪華なシャンデリアの提げられた大きなドームに朗々たるコーランの朗唱が響く中に身を置くと、自然と厳粛な心持ちになってきます。

礼拝が終わると、



先程のラフなスーツ姿と打って変わって礼拝着に身を包んだお導師様からお話がありました。さすがはこの地域全体の礼拝を司っておられるだけあって、お上手な日本語で時折冗談めいたお説法を聞かせてくださいました。

コロナ禍で中東音楽を楽しむ会のセッションも随分と開催されていませんが、こうして音楽に触れてみるとやはりいいものです。そのうち、また気兼ねなくセッション会ができるようになるといいな…と願いながら家路についたのでありました。

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数十年ぶりのレスピーギ〜《リュートのための古典舞曲とアリア第3組曲》

2021年10月23日 16時30分30秒 | 音楽
今日は穏やかな晴天だったこともあってか、日中は心地良く過ごせる一日となりました。昨日の寒さに比べれば、数段マシです。

ところで今日、我が家に年末に出演予定の演奏会の楽譜が届きました。その中に



レスピーギの《リュートのための古典舞曲とアリア第3組曲》が入っていました。

《リュートのための古風な舞曲とアリア》は、



イタリアの作曲家オットリーノ・レスピーギ(1879〜1936)が、古い時代にリュートのために作曲された舞曲やリュート歌曲を現代のオーケストラや弦楽合奏のために編曲したものです。レスピーギがサンタ・チェチーリア音楽院教授を務めていた頃に、音楽院の図書館に収蔵されている古い時代の楽譜を色々と研究した成果が基となっています。

この組曲は3集にわたって作曲され

第1組曲…1917年作曲
16世紀のリュート曲をオーケストラに

第2組曲…1923年作曲(1924年初演)
16、17世紀のリュート曲をオーケストラに

第3組曲…1931年作曲(1932年初演)
16、17世紀のリュート曲を弦楽合奏に

にそれぞれ編曲したもので、中でも弦楽合奏編曲の第3組曲がとりわけ有名で演奏機会も多いようです。

弦楽合奏で演奏される第3組曲は演奏時間は15~20分で、

第1曲…イタリアーナ
作曲者不詳 16世紀頃

第2曲…宮廷のアリア
ジャン・バティスト・ベサールの作品による

第3曲…シチリアーナ
作曲者不詳 16世紀頃

第4曲…パッサカリア
ルドヴィコ・ロンカッリの曲による

の4つの曲から成ります。因みに第2曲は歌曲が中心で、第4曲はバロックギターのための作品が基になっています。

聴いていただくと、特に第1曲のイタリアーナや第3曲のシチリアーナは映画やドラマ、CM等で使われていたりするので、どこかで聴いたことがあるな…と思われる方もおられるかと思います。またこの曲は全体的にヴィオラが活躍する場面が多いので、個人的にやり甲斐を感じる曲でもあります。

ただ、前回演奏してから確実に20年以上は経過しているので、弓使いも含めて思い出さなければならないことが沢山あります。来月の合奏練習までに、何とかしなければ…。

そんなわけで、今日はその《リュートのための古典舞曲とアリア第3組曲》を、ヴァイオリニストでもあるエンリコ・オノフリの指揮によるミュンヘン室内管弦楽団の演奏でお楽しみください。


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今日はリストの誕生日〜パイプオルガンによる《B-A-C-Hの名による幻想曲とフーガ》

2021年10月22日 19時25分45秒 | 音楽
今日は一気に師走並みの寒さとなりました。慌てて長袖シャツを引っ張り出したはいいものの、さしもの暑がりの私でも震えがくるほどでした。

ところで今日10月22日はリストの誕生日です。



フランツ・リスト(1811〜1886)はハンガリー王国出身で、現在のドイツやオーストリア、フランスなどヨーロッパ各地で活動したピアニストであり作曲家です。

父親の手引きにより幼少時から音楽に才能を現し、10歳になる前にすでに公開演奏会を行っていたリストは1822年にウィーンに移住し、ウィーン音楽院でアントニオ・サリエリ(1750〜1825)やカール・ツェルニー(1791〜1857)に師事しました。1823年にウィーンでコンサートを開いた時には晩年のベートーヴェンに会うことができ、その技術と音楽性の高さを賞賛されています。

ピアニストとしては、その端麗な容姿も相俟って当時のアイドル的存在でもあり、



コンサートにつめかけた女性ファンの失神が続出したとの逸話も残っています。また多くの女性と恋愛関係を結んだことで知られていますが、特にマリー・ダグー伯爵夫人と恋に落ちたリストは1835年にスイスへ逃避行の後に約10年間の同棲生活を送り、3人の子宝にも恵まれました(因みにその内の1人が後に指揮者ハンス・フォン・ビューローの、更にリヒャルト・ワーグナーの妻となるコージマです)。

ピアニストとしては演奏活動のみならず教育活動においてもピアニズムの発展に貢献し、ブラームスらの作品の初演を指揮したハンス・フォン・ビューローをはじめとする多くの弟子を育成しました。また、作曲家としては新ドイツ楽派の旗手として、また『交響詩』という新たなジャンルの創始者としても知られています。

さて折角のリストの誕生日ですが、ここでお馴染みの《愛の夢》やら《超絶技巧練習曲》などを紹介しても面白くないので、今回はリストのオルガン曲を紹介したいと思います。それが《バッハの名による幻想曲とフーガ》です。

この《バッハの名による幻想曲とフーガ》は1855年から1856年にかけて、オルガン版とピアノ版の初稿が同時期に書かれました。作曲された当初は《前奏曲とフーガ》とだけ題されていましたが、その後改訂が施されてオルガン版とピアノ版の第2稿がほぼ同時に成立しました。

作曲の直接のきっかけは、1855年にメルゼブルク大聖堂のオルガンの落成式で演奏されるために依頼を受けたことによります。しかし落成式までに作曲が間に合わず、実際には翌1856年にオルガニストのアレクサンダー・ヴィンターベルガーによって初演され、曲も彼に献呈されました。

『バッハの名による』とはどういうことかというと、バッハの名前のドイツ語での綴りであるBACHという表記が、

B=シ♭
A=ラ
C=ド
H=シ

というドイツ語の音名に置き換えることができることを利用したものです。バッハ自身も絶筆となった《フーガの技法》の中で、このB-A-C-H音形を使ったフーガを作っています。

リストは以前からバッハの芸術に関心を示していて、1840年代にはバッハのオルガン作品の編曲も行っています。この作品はバッハの名前の表記を主題として扱っていることから大バッハへのオマージュであることは明らかですが、その一方で新ドイツ楽派の旗手であったリストらしい前衛的な響きも聴くことができます。

そんなわけで、リストの誕生日である今日は彼の珍しいオルガン作品を、日本人オルガニスト冨田一樹さんの演奏でどうぞ。



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追悼エディタ・グルベローヴァ〜モーツァルト《魔笛》より夜の女王のアリア『復讐の炎は地獄のように胸に燃え』

2021年10月21日 16時40分45秒 | 音楽
今年は何という悲しい年なのでしょう。先月、すぎやまこういちさんが他界したという悲しいニュースがあったばかりだというのに…。

世界最高峰のソプラノ歌手の一人で、約50年にわたり第一線で活躍し続けていたエディタ・グルベローヴァが、10月18日にスイスのチューリッヒで亡くなられたことが報じられました。74歳でした。



エディタ・グルベローヴァ(1946〜2021)はチェコスロバキア(現在はスロヴァキア)のブラチスラヴァに、ドイツ系の父親とハンガリー系の母親との間に生まれました。幼い頃から頭角を現し、学校の合唱団などで歌唱を披露していたといいます。

1968年にブラチスラヴァでロッシーニ《セヴィリアの理髪師》のロジーナ役でデビュー。1970年にはウィーン国立歌劇場でモーツァルト《魔笛》の夜の女王役に抜擢されてプロとしての本格的な活動を開始した後、数々の名演で世界的な名声を獲得しました。

ともすると機械的とすら言われるほどの精巧なテクニックに裏打ちされた歌唱で人々を魅了し、完璧にコントロールされた美しいハイトーンは世界中から絶賛されました。レパートリーはモーツァルト《後宮からの逃走》《コシ・ファン・トゥッテ》《ドン・ジョヴァンニ》《魔笛》、ロッシーニ《セミラーミデ》、ベッリーニ《清教徒》《ノルマ》《夢遊病の女》、ドニゼッティ《ランメルモールのルチア》《ロベルト・デヴェリュー》、ヴェルディ《リゴレット》、ドリーブ《ラクメ》、トマ《ハムレット》《ミニョン》、オッフェンバック《ホフマン物語》、リヒャルト・シュトラウス《アラベラ》《ナクソス島のアリアドネ》と実に幅広く、特に生前のリヒャルト・シュトラウスと親交のあった指揮者のカール・ベームからは

「リヒャルト・シュトラウスが貴方の存在を知っていたら、どれ程喜んだことだろうか。」

という賛辞を贈られたことは有名な逸話となっています。

グルベローヴァは親日家としても知られていてピアニストで指揮者の夫君フリードリヒ・ハイダー氏と共に度々来日していましたが、2015年に引退を発表して2019年に歌手活動から引退。2017年にハンガリー国立歌劇場の来日公演で出演したのが、日本での最後の舞台となりました。 



グルベローヴァは1996年に開催されたフィレンツェ歌劇場来日公演によるドニゼッティ《ランメルモールのルチア》に、プリマドンナとして出演していました。個人的な話で恐縮ですが、私はその藤沢公演に行くことができ、そこで生でグルベローヴァのルチアを聴くことができましたが、ルチアの独壇場である『狂乱の場』での絶唱は圧巻の一言で、鳴り止まぬ拍手に応えて何度も何度もカーテンコールに応じてくれたことを今でも鮮明に思い出します。

また同時期に渋谷のタワーレコードでトークセッションも開催され、夫君ハイダー氏と共に登場していろいろな話をしてくれたところにも参加することができました。間近で見るグルベローヴァは驚くほど小柄で、こんな小柄な身体のどこから大劇場に響き渡るほどのあの声が出るのかと不思議に思うほどでした。

トークセッションの最後には目の前を通りかかったグルベローヴァに直接花束を渡すチャンスにも恵まれました。ちょっと驚いたような顔をしながらもニッコリと微笑んで

「Danke!」

と花束を受け取って握手してくれたことは、私の生涯の中で忘れ得ぬ思い出です。

数多あるグルベローヴァの歌唱の中でも、私が特に好きなのがモーツァルトの《魔笛》の夜の女王です。初めて聴いた夜の女王がグルベローヴァだったこともあって、今でも私の夜の女王の基準はグルベローヴァの歌唱です。

モーツァルトが書いた16分音符の一個一個が克明に聴き取れるような完璧な歌唱と、何の憂いも無く楽しめる驚異のハイトーンでの夜の女王はいつ聴いても素晴らしいものです。そんなわけで、今日は1982年に収録されたグルベローヴァによる《魔笛》の夜の女王のアリア『復讐の炎は地獄のように胸に燃え』の動画を転載してみました。

ここに謹んで、エディタ・グルベローヴァさんの御冥福を御祈念申し上げます。

合掌。


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ボリューム満点ハムトースト@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2021年10月20日 20時45分05秒 | カフェ
昨日の夜半に降った雨でどうなることかと案じられた体育大会でしたが、朝を迎えてみればすっかり晴れ上がっていて安堵しました。

若干グランドコンディションが悪いなからも無事に開催された体育大会は、実に感動的でした。特に6年生が中心となって大会全体の企画・運営をしてくれていたこともあって、競技に使用する道具の出し入れやスターター、更に小さい子たちの誘導までも6年生による細部に至るまで行き届いた動きが見られ、感心しきりでした。

6年生にしてみれば小学校での最後の運動会でしたから、成功させたいという思いは他の下級生たちよりも強かったことでしょう。それを見事に具現化してみせてくれた彼らに、心からの称賛と労いを贈りたいと思います。

さて、大人たちで体育大会の後片付けをしてから横浜市青葉区あざみ野の教室へ向かいました。そして《雫ノ香珈琲》に立ち寄りました。

今日はあれこれと身体を動かしてすっかり空腹になっていたので



ハムトーストをオーダーしました。キャベツと共にソテーされた厚切りのハムにはブラックペッパーが効いていて、ボリュームも満点のトーストです。今日はコロンビアの水出しコーヒーと共に、美味しく堪能しました。

今日は子どもたちも疲れて、ぐっすり眠っていることでしょう。私も帰宅したら、さっさと休もうと思います…(。-ω-)zzz. . . 。
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今年も微妙な運動会…

2021年10月19日 18時15分50秒 | 日記
今日も気温の低い一日となりました。そんな中で、今日は明日行われる予定の運動会代わりの体育大会の最終リハーサルか体育館で行われました。

昨年に引き続き、今年も新型コロナウィルス対策仕様での大会となりました。今回の主な種目は



学年毎に行われるリレーです。

他には



大玉転がしやダンスといった競技が殆どで、



玉入れや綱引きといったお馴染みの競技は『密』になるのを回避するということで見送られています。ましてや



騎馬戦なんぞ以ての外です。

また、これも微妙なのですが、コロナ禍対策の一環として



声を上げての声援も一切禁止され、拍手のみでの応援が子どもにも観戦する大人にも義務付けられています。そして今回も2・4・5年生組と1・3・6年生組という組み合わせで時間を区切っての2部制開催となるため



ご家族とのお弁当タイムもありません。

まぁ時節柄仕方ないのでしょうが、こうも運動会らしくない運動会が続くのもどうなのか…と思わずにはいられません。特に6年生はこれが小学校での最後の運動会になってしまうので、何ともやるせない気持ちにさせられてしまいます。

また何の憂いも無く子どもたちが伸び伸びと運動会に興じられる日が来るのは、一体いつのことになるのでしょうか。と言うか、そもそもそんな日はやって来るのでしょうか…。

とりあえず明日は、子どもたちには楽しんでもらおうと思っています。

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こんなところまで冷食ですか…

2021年10月18日 18時00分55秒 | 日記
今日も冷え込んだ一日となりました。このまま一気に本格的な秋が深まっていってくれるとからいいのですが…。

ところで、今日10月18日は『冷凍食品の日』なのだそうです。冷凍食品の日とは、冷凍の「凍」(とう≒10)と、冷凍食品の保存・流通温度での“-18℃以下”にちなんで、1985年(昭和60年)に社団法人日本冷凍食品協会が制定した記念日なのだそうです。

そんなことに関連してかどうかは不明ですが、厚木市役所の近くのビルの前に



こんなものが登場していました。これは《まる壱》というところの冷凍ラーメンと冷凍餃子の自動販売機です。

最近いろいろな自動販売機があることは認識していましたが、遂に冷食の自動販売機まで登場するとは…世の中、いろいろと変わったものです。

ただ、ラーメンがひとつ¥900で餃子が20個入りで¥1,200という価格がちょっと…。

正直、ラーメンなら店で食べれば¥700前後出せばいろいろと選べますし、餃子20個というのは独り暮らしには多過ぎます。どういった客層を狙っているものかは分かりませんが、価格帯といい設置場所といい、果たして売れるのかどうかは不透明です。

昨今の冷凍食品の進歩は目を見張るものがあります。こうした自動販売機の登場も含めて、これから先どのような冷凍食品が現れるのでしょうか…。

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今日はヨハン・ネポムク・フンメルの祥月命日〜貴重なヴィオラのためのオリジナル作品《ヴィオラソナタ 変ホ長調》

2021年10月17日 14時00分15秒 | 音楽
今日は一段と寒くなりました。雨も降っていることもあってなのか朝よりも昼過ぎにかけて気温がどんどん下がり、最終的には13℃にまで達したのには驚きでした。

ところで今日は、ヨハン・ネポムク・フンメルの祥月命日です。



誰?と思われるかも知れませんが、ヨハン・ネポムク・フンメル(1778〜1837)はハンガリー(現在はスロヴァキアの領地)出身のオーストリア系作曲家、ピアニストです。

フンメルはプレスブルク、現スロヴァキアのブラチスラヴァ)に生まれ、指揮者で弦楽器奏者でもあった父・ヨハネスに音楽の手ほどきを受けました。8歳の時にはアウフ・デア・ヴィーデン劇場の指揮者に就任した父に従ってウィーンへ移り、モーツァルトの家に住込みで2年間に渡ってピアノを師事しました。

1789年から父ヨハネスと共にヨーロッパ各地を巡演し、神童として喝采を浴びました。1793年にウィーンへ戻ったフンメルはウィーン音楽院で作曲家、オルガニスト、音楽教育者であり、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770〜1827)の師の一人として、またウィーンのシュテファン大聖堂の楽長としても知られていたヨハン・ゲオルク・アルブレヒツベルガー(1736〜1809)に対位法を、現在ではモーツァルトのライバルとしてすっかり有名になったアントニオ・サリエリ(1750〜1825年)に声楽作品を、フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732〜1809)にオルガンを学び、若きベートーヴェンと親交を結びました。

1804年にはハイドンの推薦でエステルハージ家のコンサートマスターに就任しました。ハイドンが引退すると宮廷楽長となり、1811年までこの地位にあって劇作品や礼拝堂用の宗教作品を手がけ、少年聖歌隊の指導や楽団の指揮にあたっていました。

辞職後ウィーンに戻ったフンメルは1814年には妻の後押しもあってピアノ奏者として復帰し、1816年からシュトゥットガルト宮廷、1819年からはヴァイマル宮廷の楽長を歴任しました。一方で作曲のみならず出版、演奏など活発な活動を展開して、詩人のヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749〜1832)と共に芸術の街ヴァイマルの発展にもん貢献しました。

1834年のウィーン旅行を最後に病のため演奏活動に終止符を打ち、3年間の闘病生活の後の1837年の今日、任地であったヴァイマルで息を引き取りました。葬儀では師匠モーツァルトの《レクイエム》が演奏され、遺体はヴァイマール歴史的墓地に埋葬されました。

生前のフンメルはヨーロッパ最高の作曲家、ピアノ奏者としてベートーヴェンと並び称される巨匠の一人として音楽界に君臨し、フランツ・シューベルト(1797〜1828)やフェーリクス・メンデルスゾーン・バルトルディ(1809〜1847)、ピアノ教則本の作者として有名なカール・ツェルニー(1791〜1857)や『ピアノの詩人』と謳われたフレデリック・フランソワ・ショパン(1810〜1849)といった名だたる名作曲家たちと交流を持ち、多大な影響を彼らに与えました。作曲の形式的にはウィーン古典派の最晩期に属していて、彼の作品にはホモフォニックな構造とイタリア風の装飾的な旋律が随所に見られます。

残念ながらフンメルの名は死後から忘れ去られてしまい、20世紀になるまではトランペット協奏曲等の一部の曲を除いて知られていませんでした。しかし近年その作品の研究が進んで演奏や録音の機会も増えてきていて、古典派からロマン派にかけての時代の重要な作曲家のひとりとして人気を勝ち得つつあります。

数あるフンメルの作品の中で、ヴィオラ弾きとして是非紹介したいのが《ヴィオラ・ソナタ 変ホ長調》です。

フンメルは1798年に、ウィーンでヴァイオリン2曲とヴィオラ1曲の3つのソナタを出版しました。そのうち2つのヴァイオリン・ソナタは現在では忘れ去られてしまったものの、軽やかで美しい旋律に満ちたヴィオラ・ソナタだけはライプツィヒやパリ、ロンドンと各国で単独で再版され、今日ではヴィオラの貴重なレパートリーとして受け継がれてきています。

如何にも古典派らしい明るい旋律に満ちたヴィオラ・ソナタは聴いていても弾いていても楽しくて、私の好きなヴィオラのためのオリジナル作品のひとつとなっています。この優しい響きの作品が、もっと世に知られてほしいと願わずにはいられません。

そんなわけで、一気に寒くなった今日はフンメルの暖かなメロディに耳を傾けていただきたいと思います。ウィーン古典派音楽の最後の煌めきとも言える、フンメルの優しい世界観をお楽しみください。



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