タイに恋した男の物語

マンゴとカエルと共に暮らすのヒマ トックが日本に住所を移し
タイでの出来事などを思いのままに書いて行きます

私が見聞きしたHIV

2013年02月13日 10時52分15秒 | 旅行

ピサヌロークの公立病院の外観の一部分


 昔は死の病と恐れられた、HIVもテレビでも余り目にする事が無くなった。


 私が住む町も昔はHIVで死ぬ人が、多く居たと言う事だが、町を離れる頃は


 その病気で死んだと言う事は、殆ど聞かなくなったが、病気が無くなった訳でもないらしい。


 それはタイの医療制度で、簡単に治療薬が手に入る様になったらしい。


 彼女の父方の従妹が、昔パタヤでマッサジで働いていたのだが、


 彼女とパタヤに行く度に、何回か亭主と一緒に来て、彼女が小遣いを渡していた。


 その従妹が亭主と別れたと言う話を、聞いていたが、この町に帰って来た時は、


 痩せて肌には吹き出物が出ていた、これはもう長くないと話していたが、


 地元の病院に通ったいると言う。それから3カ月程経って見てみると。薬の良いのが有るらしく。


 普通の人と変わらない位元気になり、元亭主と縒りを戻して居たが、


 亭主とイサーンに暮らして居ると、言うがその後ヤ バーで捕まり今は刑務所暮らしである。


 亭主もHIVは言うまでも無いし、子供も同じ病気である。


 その他の親戚はHIVに掛かった人は居ない。だけど若い人に浸透していると言う話は聞いている。


 彼女と付き会い始めた頃、彼女が私にHIVの検査の証明を持って来いと言う。


 恥ずかしながら保険所で検査を受け、勿論陰性であったのは言うまでも無いが。


 タイの人も昔多くの人が、HIVで死んで怖さが解っているが。若いタイ人は如何なんだろう。


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 タ―クにて

2013年02月12日 08時55分04秒 | 旅行

タ―ク県に有る像


 タ―クに着いて知人の奥さんに連絡をすると、今食事中らしい。


 時刻は夜の8時近い、ビックCで待っててくれと電話が有る。


 タ―クは3回目で、大体の地理は解るが、町の中の方は行った事が無く解らない。


 タ―クは大きな川が流れ、ピサヌロークとは違い静かな高原の町である。


 あの有名なタ―クシン大王の町である。


 知人の奥さんがホテルに案内してくれると言う。


 ホテルは一泊300バーツと言う、奥さんのバイクの後ろに着いて行き。


 まだ建って間もない2階建てのホテルで有る。


 部屋を見せて貰うと小奇麗な部屋である。ク―ラも付いているが使う事はないだろう。


 チェックインをして荷物を部屋に起き、知人の家に会いに行く。


 元気そうである、夜遅くまで話が尽きないが、ホテルまで送って貰う。


 朝ラッパの音で目を覚ます、ここは国境が近い県都である。


 大きな軍の駐屯地が有るのだ。この町は中華系の人達が多く住んでいると言う。


 朝御飯はカオソイと言う、カレーに麺が入っているのを店でご馳走になる。


 知人の話によると、イスラム系の食べ物だが、量が少ないので2杯も食べてしまう。


 ホテルに帰り、犬が待ってる、我が田舎町に知人と別れ出発をする。


 帰りは来るよりも時間が少なく感じられる。彼女はスピードを出し、他の車と抜きつ抜かれるのカ―チェイスを


 行いながら、あっと言う間にピサヌロークに帰り、30分も早く着いたのである。


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典型的なタイ人の義弟

2013年02月11日 10時02分38秒 | 旅行

彼女の実家のトウモロコシ畑


 彼女は3人兄弟の真ん中で有る。タイ人女性を絵に描いた様な、ガンバリ屋である。


 兄はタイ人の男としては、珍しく浮気もせず、外国での出稼ぎで金を作り


 そのお金を元にトラクターと土地を買い、マンゴを植えて今は大きい果樹園を持っている


 弟は台湾に出稼ぎに2度も行き、持って帰った金は、少しばかりの土地を買った位で


 後は友達を連れて遊びまわり、金を使ってしまうのである。


 性格は話して見ても悪い人間では無く、仕事をする時は一生懸命働くのである。


 商売も新しく、見つける目も有り良いのであるが、何せ長続きがしない。


 マンゴの仲買をしたり、米の仲買をしたりして儲けているが


 その金を仲間と夜飲みに行き使ってしまうし、家に帰って来ない事も有る


 その妻は何も文句を言わないのである。半年もしない内に2人目の子供が生まれるのであるが。


 それが彼女は気に要らなく、義弟に度々説教をしていたが喧嘩になり


 その後何も言わないと言っている。私も自分で考えられる歳だから、言っても無駄だと言っているのだ。


 タイでは食う事には困らないし、着るものも暑いから殆どいらない。


 車だけは欲しいのである。借金をして新車を買う値段と、殆ど変わらない値段で買っている。


 新車を買いたくても頭金が無く、ローンも組めないのである。


 だから中古車を高い金利を払って、買うのが田舎町には多い。


 義弟もローンが払えない時は、彼女に泣き付いた事が有るが。


 儲かればそれも忘れ使ってしまい、貯金しょうと言う考えはないのである。


 まあそれもタイ人の一生である。だから中華系タイ人に政治も経済も握られるのである。


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 夜の国道105号線

2013年02月10日 09時45分28秒 | 旅行

タイ側の車の車内からミャンマー国境の山を写す


 元恋人の伯父の家に着いたのは、午後6時位前だった。


 泊っていけとの誘いを断り、タ―クの町まで帰る事にした。


 この国境地帯は、今はトウモロコシが至る所に植えれあり。


 ビニールパイプを畑の中に設置して、水噴射してトウモロコシに、水を散布している所も有る。


 その畑が山の中腹まで延びている。その他に砂糖きびの畑も見られる。


 彼女が言うには、3年前はバナナ畑が多かったと言うが、今は見られない。


 ミャンマー人と思える雇い人の一団が、トウモロコシ畑の道を歩いて帰っている。


 この地方は新しい大きな家が、数多く建っているのが見かけられる。


 ミャンマー人を使い、安い賃金で利益を上げる事が、出来るのだろう。


 南タイに行った時は、大きい家は無かった。


 彼女の説明では、地主はバンコクに住み、ここには小作人の家しか、ないのだろうと言っていた。


 暗くなる頃にメ―ソートからタ―クの105号線に出た。


 車は、そのまま彼女が運転して行く、山道を余り走らない彼女は、苦手で有るが


 慣れる為にも、運転は変わろうとは言は無かった。


 後ろから荷物が空になった、大きいトラックが追い越して行く。


 道には警察の検問所が幾つも有り、昼間は検問して居なかった所も。


 1台づつ止めて、警察官が懐中電灯で車の中を調べている。


 免許証は見せとは言わなかったが、どの検問所も詳しく調べていた。


 多分6か所位有ったと思う、パトカーが前を走っているのを見ると。


 道路の側を懐中電灯で照らし、誰か潜んで居ないかと見ているのが印象に残った。


 夜8時頃タ―クの町に着く事が出来た。長い1日だった。


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 一変した夕方の国境地帯

2013年02月09日 11時42分11秒 | 旅行

ミャンマー内の橋と道路


 国境の封鎖は午後6時である。5時前頃カレン族の検問所に着いたら


 昼間とは違い銃を持った監視兵の人数が増えていた。


 荷台から降りた元恋人が、敬礼をする。隊長らしい人物が、此方を見てじっと睨みつける様に目線を送る。


 伯父が降りて、民間人の服を着た世話人と、煙草を上げ話をしてる。


 昼間通った時と緊張感が違う。隊長らしき男は此方を睨んだままだ。


 私は知らん顔をして、他所の方に顔を向けていた。


 私の身なりは、タイ人とは一目で見ても違うが、質問される事無く、無事通るる事が出来た。


 それから暫らく行くと、自転車に乗ってる子供が3人居る。


 止めて話をしている、元恋人の兄妹だと言う、学校はこの近くに有ると言う。


 下の子を2人り乗せて、荷台は満員状態であるが、国境へと急ぐ。


 国境の川の手前の監視所で元恋人は降りた、友達がそこに居ると言う。


 監視所には来る時は、居なかった、兵隊が自動小銃を持って見張っていた。


 川を渡りタイ側に着くと、此方も来る時は3人か居なかった監視兵が


 倍の6人位に増えている、隊長らしき兵隊が伯父に質問をしている。


 そして兵隊に写真を取れと命令して、2~3枚の写真を取っていた。


 彼女が後から言うには、貴方が居るから怪しく思ったのだと言うが


 だけど人数が増えているから、難民の疑いをしていたのではないかと思うが。


 そのまま無事に伯父の家に辿り着いたのだが、元恋人の親や兄弟は、帰る時は歩いて帰ると言う


 結構長い道のりだが、彼らは歩くのに慣れていると言う。


 予断になるが、国境を越えるには、別に監視兵がいない道も有ると言っていた。


 だけど夕方以降になると、本当に緊張感が漂う、日本人の私としては怖いと思った。


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 カエルの死

2013年02月08日 13時00分25秒 | 旅行

犬のサクラ                             犬のヤマト


 夕方養殖場に行くと、カエルの水槽を掃除していた。


 その時大声で私を呼んで居る、何事かと行って見たら、カエルが全部窒息死をしている。


 バスタブ位の大きさの容器に、上から被せて、空気が入る様に


 下にプラスチックの大きなパイプを置いて、空気が入る様にしていたのだ。


 それは前日犬達が、水槽に入り出ていたカエルを、噛みついて死んでいたから、


 彼女がカエルを容器から出ない様に、少しだけ隙を開けて、空気が入る様にしていたのだ。


 その容器の下の置いて有るパイプを、容器を動かして外して


 容器内に空気が水と遮断され、空気が入らず窒息したのだ。


 このカエルは昨年売る時に小さくて、置いて育てていた最後のカエルで


 前日に6kg300バーツで売った残りで、10kg位残っていたのだ。


 水槽には入れない様に、防鳥ネットを張っていたが、取り付けが悪く犬が侵入したのである。


 今日の朝彼女は、部落の会合が有るから、私が養殖場の管理を頼まれていたのだが。


 朝、放してある犬を繋ぐ時、いくら呼んでも来なかったから、おかしいと思っていたのだが。


 あの時水槽内で遊んでいたのだ。水槽内を見て居なかった、私の責任も有るが、


 私の事だから気が付かないだろう、私が失敗しても、彼女は私に怒った事が無い


 私なら良くぶつぶつ言うのであるが、それは感心する。


 その代り2匹の犬を怒っていた、いくら怒っても解るはずが無いのに。


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 ターミナル21とフードコート

2013年02月07日 13時20分34秒 | 旅行

ターミナル21のホテルからの外の景色


 ホテルの1階の通路の扉を開けると、ターミナル21のショッピングモールの1階に出る。


 だけどホテルに帰る時は、ホテルのカードを扉に認知されないと入れない。


 だけどターミナル21は、売り場は専門店で成り立っていて、若い物向きで


 お客は若いタイ人が多い、今はデートスポットになっている。


 私のお勧めは一番上の階の奥に有る、たいりょうフードコートで有る。


 ここは昼食や夕飯近くなると、空いたテーブルを探すのが大変である。


 まず最初に食券を買い、テーブルを探し、誰か居るか物を置いて、食べたい物を探するのである。


 値段は、他の大きいショッピングセンター依りも安いと思うし、種類も多い。


 私のお勧めは、マンゴとカ―ニアオ(もち米)の料理であるが、家族は美味しいと良く食べていた。


 マンゴは半分で35バーツで1個では70バーツである


 その他にも色々種類が有り、料理に番号が付いているから注文する時は便利である。


 飲み物を飲んでも、100バーツ使う事はない、一品30バーツ前後である。


 日本では日本料理を食べていたので、タイに来てま、日本料理を食べる必要はないと思う。


 地下には食料品店やドラックストア―や、食べのお店も有り便利である。


 コンビニが近くに無いので、不便と書いてる記事も有るが。


 ロータスの食糧品の店で飲み物から、色々揃っており困る事はない


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 逞しいタイの女

2013年02月06日 10時51分58秒 | 旅行

タイの田舎町の日の出である



 私が3カ月振りに、タイの田舎町に帰って来た時、家から200~300m手前の


 空き地に、家が建て初めて居るではないか。この土地はオーストラリア人の


 タイ人の嫁が買ってた土地である、


 このファラン、カンボジアで仕事中、心臓麻痺で死んだと言っていたのに


 このタイ嫁は仕事もせず、タイ人の元夫の子供が3人居る。


 送金も無いのに家を建てるのは、変である。土地でも売ったのかと思って


 彼女に聞くと、新しいファランを見つけ、そのファランがお金を出しているのだ。


 そのファランは、年寄りのお爺さんだと言う。


 オーストラリアのファランが死んで、数カ月しか経って居ないのに。


 どの様にして、見つけて来たのか不思議である。


 タイでは家を建ていても、金が無くなると中断する家が多いいが


 この家は、私がタイを離れるまで建築中で有った。200万バーツ以上は掛かるであろう。


 又病院から、町の幹線道路を車で走っていると、バイクにファランを乗せているタイ人女性が目に付いた。


 彼女が言う、店舗兼住居を建てて貰い、家が出来る前に年寄りのファランを追い出した女である。


 新しい金持ちのファランを見つけて来ると、言ってた女である。


 前の年寄りのファランよりも、年が若いファランである。


 それを見ながらタイの女は逞しく、生きて行く物だと思う。


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或る日本人家族の訪問

2013年02月05日 11時25分10秒 | 旅行

ピサヌロークのショッピングセンター内の風景



 私がタイに今回訪れる前の話である。


 彼女から電話で大体の話の内容は聞いていたが、タイ語で電話では、詳しい内容は解らない。


 ピサヌロークに住まわれて居る、日本の方が奥さんの友達を連れて来られ、


 マンゴ果樹園を、見たいと言われるので、案内しマンゴを取らせて上げたと言うが


 マンゴを持って帰られる量が半端では無く、旦那が余りの多い量を持って帰るので、止めて居たそうだ。


 その友達は、旦那が日本人で、日本でランの栽培をして居られるらしい。


 タンブンのお金を、日本に住んでいる。タイ人の人達から集めて、私が山のお寺と呼んでいる


 お寺に持って行くそうである。金額は数十万円になると話していた。


 日本で住んでるタイ人の間では、珍しくなく、良くタンブンのお金を集めるそうである。


 異国に住んでも、タイ仏教の教えは忘れることなく、続いているのである。


 このピサヌロークの奥さんは、中々遣り手であるが。


 前にも少し書いたが、ほらふきで彼女は好きでも無いが、


 私は旦那が良い人なので、話を聞いてあげるのである。


 タイで家を建てたが、暮らしていると不満が溜まるらしい。


 日本の様に、思う様に頼んだ仕事もしてくれなく、奥さんとの意思疎通が上手く行かないらしい。


 私が日本に帰る、数日前に彼女に電話をして来て、日本料理を教えてあげるから、来ないかと言う。


 それも300バーツと言う値段である。食事付きでは無いと言う


 何かカレーライスと言う話である。彼女は断ったのは言うまでも無い。


 タイでは300バーツ稼ぐのは、女が働いても、1日では稼がれない賃金だ。


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 アソ―クのターミナル21のホテル

2013年02月04日 10時09分49秒 | 旅行

ホテルの1階のフロント


 今回はバンコクには、11日間た滞在して居たが、9日間はスクンピットのホテルの


 ターミナル21の、ショッピングセンターのホテルで滞在していた。


 チェクインの時、私が先に来て、荷物を預けた関係で、受付の女性に簡単なチェクインをしていた。


 再び家族を連れて行くと、他のお客さんを受付中で有ったので、待ってくれと言う。


 隣の受付の女性が、チェクインをしてくれと煩い。


 娘がじれて、隣の受付の女性とチェクインを始める。


 先に私が頼んだ受付の女性が、仕事が空いたので、私にチェクインををしょうとする。


 隣の受付の女性とトラブルになる。お客の取り合い見たいだ。


 その日は何事も無くホテルで過したが、2日後は婿が一日遅く着いて、朝食を食べに行き


 カードを出すと、一人分少ないと言う、フロントに聞きに行くと孫娘が、15歳を越えているから駄目だと言う


 そんな事は、初めの日に解っているのにと思う、一人分500バーツを出せと言う事である。


 その日は娘の部屋に付けて、食事をしたのだと言うが。


 娘達はタイに残る。私より1日早くチェクアウトして、フロントに500バーツの支払いを聞くと無いと言う


 変だと思い、私の部屋の支払いを聞くと無いと言う。


 あくる日私がチックアウトすると500バーツ支払えと言う。


 このホテルはどうなっているのかと思う。仕方ない喧嘩をしてもどうにもならない。


 娘の代わりに500バーツの支払いで有る。


 このホテル立地条件は良いが、朝食の品数も少なく美味しくない。


 部屋も広くないが、設備とホテルが新しいのは良いが、次は他のホテルを探そう


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 ミャンマーの忠犬ハチ公

2013年02月03日 13時46分49秒 | 旅行

交差点の真ん中にあるトーチカにもなる建物       広場の屋台が連なっている



 帰路に着く為、耕運機の荷台には、元恋人と父母と弟が9人が乗り込み満員状態である。


 犬も付いて来る、がたがたとゆれながら、悪路を進んで行く。


 トーチカの有る交差点を曲がった所に、牛の群れが居る。


 牛の乳を搾っている。何か私達に伯父が説明してくれる。


 後で彼女の説明に拠れば、この人達は草を求めて移動する。遊牧生活を送っているそうだ。


 タイにも昔、水牛と共に暮らして渡り歩いた人がいたが、今は居ないそうだ。


 耕運機は道路を外れ、正月の催しが有った広場に入って行く


 カメラで写真を撮っても良いと言うが、何か怖いし、がたがたと揺れて難しい。


 まだ屋台の家には、店が開いていて店の人達が、珍しそうに此方を見ている。


 伯父が店でタバコを買い、店の人は支払わなくても良いと言うが。


 伯母が支払って来る、その店の人も乗り込み帰路に着くと


 2匹の犬が付いて来るが、1匹は道路に出ると広場の方に引き返すが


 雌の1匹は、耕運機の前を走りずっと付いて来る。


 道路には家が連なっているので、家家の犬が交代で噛みついて来る。


 耕運機に轢かれそうになりながら、犬をかわし必死に走っている。


 4~5匹の犬に囲まれた時、元恋人が降りて行き他の犬を追い払う。


 この犬は昔伯父が、ミャンマー側に暮らしていた時、飼っていた犬だそうだ。


 主人を忘れず、懸命に付いて来る姿に感動を覚える。


 だが検問所の所の中に入り、耕運機が止まって検査を受ける時は、


 犬がいない、良く見れば、検問所の入り口で止まっている。


 犬で有りながら、この先は付いていけない事が解っているのだ。


 犬でも国境と言う物が、どんなものか解っているのだろう。何か哀れさを感じる。


 これがミャンマー訪問の、一番感激した出来事だった。


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 ミャンマ―少数民族の家を訪ねて 5(カレン族の家にて)

2013年02月02日 06時08分06秒 | 旅行

家族と記念写真                      ミャンマ―の山と川



 家に着くと3匹の犬がワンワンと咆える、家に上がってくれと言う


 家には元恋人の母親しか居ない、父親は畑で働いたいると言う、


 持って来たお土産を渡す、正規のタイ語を話すのは、伯父の娘さんしかいない。


 他の人は話しても、北タイの言葉で彼女は解らない様だ。


 呼びに行った父親が帰ってきて、挨拶を交わす。顔は四角い顔で何処となく、藤竜也に似ている。


 母親は何処かに出て行った、ビールやファンタを飲みながら、話をしているが。


 彼女の娘は如何しているかと、聞いて来る。大学に行って来られないと話している。


 オートバイ3人乗りで、元恋人と母親と友達が帰って来る。


 驚いた事に軍服の迷彩服を着ている。軍隊に入っているのだ。


 後から彼女に聞いた話では、ミャンマー軍では無く、カレン族の軍隊だそうだ。


 来る時、調べられたのは、ミャンマ―軍と思っていたが、あれはカレン族の軍隊だ。


 一軒に一人は、軍隊に入らなければならない。給料は無いと言う。


 元恋人が辞めると、替わりに父親が軍隊に行くと言う。


 彼は頬の肉が落ちて痩せた感じだ、彼女は昔の方がハンサムだと言っていた。


 彼女が元恋人を、雇いたい訳を話す。この家では40ライの土地が有り、トウモロコシ作っていると言う。


 後1カ月で収穫が出来るので、その後なら働きに出ても良いと言う返事らしい。


 色々話して居るうちに、午後4時になる。彼女が帰ろうと伯父に話した。


 皆で写真を撮りタイ側に帰る事にする。


 元恋人の家は屋根は木の葉っぱで葺いて有るが、柱は一抱えも有る様な木を使っていた


 山には大きな木は見当たらない、昔は大きな木が有り、切ってしまったのだろう。


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 ミャンマーの少数民族の家を訪ねて 4(カレン族の村)

2013年02月01日 06時26分45秒 | 旅行
  
国境の川の見張り小屋と3本の国の旗(ミャンマー側)    ミャンマーの家(荷台から撮影)


 国境の川の坂道を登ると、見張り小屋が見えたが、警備の兵隊は見えない。


 そこに5~6人の人が座っていた。元恋人の伯父は老婆に話かけていた。


 3人の老婆が一緒に乗って来た、荷台は満員状態である。


 この人達は、タイに行き帰りの車を待っていたらしい。


 写真を撮っても良いと言ったので、見張り小屋と3本、はためく旗を撮っていると。


 そこは写真を撮ったら、駄目だと怒られた。


 軍関係の施設や軍人は絶対駄目らしい。本当に困る何処を撮れば良いのか、怖い捕まれば日本に帰れない。


 道はがたがた道で、舗装された道はない。


 暫らく行くと、板で囲まれた中に入って行く。そこは自動小銃を持った兵隊が警備している。


 そこで止まり、いくつかの質問をされて、荷台の荷物を調べられる。


 こんなに厳しいなら、タイで待っていたのが良かったかと後悔する。


 無事にそこを通過すると、2車線の道に出るが、相変わらずのがたがた道である。


 センターラインは、草が生えている。タイでは考えられない道である。


 道の左右に、家がずらりと並んで建っている。どれも同じ様な家である。


 屋根は木の葉っぱで葺いて有る。タイではこんな家を見た事が無い。


 家によっては、壊れて人が住んで無い家が有る。彼女の説明では、タイに出稼ぎに行き、帰って来ない人も居ると言う。


 そこで乗せた3人のお婆さんは降りていった。この道中写真を撮れと言うが、恐ろしくそれどころでは無い。

 
 荷台は揺れて必死にしがみ付いている。家は片道20件位有ったと思う。


 暫らく行くと広場が見えて来た、そこには大きな木の柱と、葦で葺いた大きな建物が、2か所見える。


 正月で此処でミャンマー式、ボクシングの試合が有ったらしい。


 まだ屋台の店が数十軒残っている。真直ぐ進むと交差点が有る。


 その真ん中にコンクリートで作った、屋根が付いた小屋が有る。


 戦いが有った時トーチカになるのだろう。右に曲がると大きな建物を建てている所が有る。


 そこはキリスト教会を作っているとの事である。そこを真直ぐ進むと家が有る。


 ここらでは大きい家で有る、ここが目的地の家と言う事だ、あああ恐ろしかった。


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