こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

秋のおいしいメニュー

2010年10月31日 | 家族のこと
今日は、某科の緊急手術があって、病理も迅速&検体処理で朝から駆り出された。
病理の出番は検体処理までで、終わったのは午後2時過ぎ。

休みの日の午後2時というのも使い道の困る時間、さて、残り半日どう使おう?
と沈思黙考。
そうだ、ここのところ、食べそびれていた焼き鳥だ!
食べそびれていた理由というのは、紀伊国屋鎌倉店の焼き鳥を買いそびれていたため。売り場に行ってもいつも売ってなくて、悲しい思いをしていた。
というわけで、一念発起、逗子の鳥一まで買出し。ここは焼く前のものも売っているので、買ってかえって自分の好みに焼くことができる(焼いてないのはサービスで5円引き)。
手羽先、皮、ねぎま、ひな、砂肝、レバー等買い込んだ。
炭を熾して、安定させている間に、タレを自作。
焼き鳥のタレのレシピ
醤油2/3カップ、みりん1/2カップ、酒1/3カップ、白だし1/3、砂糖大さじ2、これをよく混ぜ、鷹の爪2本と一緒に15分ほど煮込む
これは、素人作にしては絶品。
さっきの生肉となじませて、炭火焼。

焼いている間にIKEA港北で買い込んだホットワイン用の赤ワインをデカンタに移して、60度に温める。

焼き鳥は途中から息子も参加してくれ、よく焼きあがった。

うーん、秋の絶品メニュー完成。
炊きたての新米で食べるとより一層美味しい。

今日のはほんとに思ったとおり、のんびり飲んで食べて、明日からの元気の素になった。

いかがでしょうか、こんなメニュー。

台風

2010年10月30日 | 鎌倉暮らし
台風14号が関東地方に接近している。

娘は朝から部活に行っているが、さきほど子供たちを帰すという一斉メール送信があった。

私は、例の同期会の最終打ち合わせ。今日は二次会の会場の下見をかねている。

今日、職場に顔を出してから行こうと思っていたが、この雨でくじけてしまった。
明日、朝から頑張ろう。

それにしても、台風はやり過ごせるだろうか?
このままだと、鎌倉から出ることも苦しい状況だ。八幡宮の山の木々も嵐で大きく揺れている。
おまけに、台風のくせして、寒くて、暴風氷雨。最悪。せっかくの台風、少し暖かくなればいいのに。

仲間はずれ

2010年10月29日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル
また、小学生がいじめられ、教室から逃げ出した。
自らの手で、自らの命を絶つ、という方法で。
死ぬことでしか、逃げ道がないなんて、悲しすぎて、胸が張り裂ける思いだ。

新聞報道だけでも、相当な仲間はずれだったようだ。
ほかにもたくさんあったに違いない。
自分がそうされたら、と、小学校6年の頃を思い出すとよけいにつらい。
自分はそのころどうだったか、いじめに加わらないでいられたか。むしろ、そちらの方が不安だ。

私の前半生は、他人の存在に無関心な、最低のものだった。
事実、中学、高校ではいじめをしたこともある。

謝っても、謝っても、相手は許してくれないだろう。
言葉で許してくれても、心で許してくれても、その事実は消えない。

私は、その事実と向き合って生きて行かなくてはいけない。だから、自戒の念を込めて、このブログでもいじめを一つのカテゴリーにおいている。

死んでいった子の周りの人も、みな、やりきれない思いだろう。
変わり果てた我が子の遺体を目の前にした時の気持ちはいかばかりだろう。

取り返しのつかないこととして、大人が助けてあげるしかない。
学校のシステム、教育方針を再度点検し、さらには、PTAの機能を強化しなくてはいけない。

PTA会長を昨年務めさせていただいたが、このことに対する、社会的評価はほとんどなかった。これではほとんどの人はやらない。
育児休暇を認める認めない、といった話も出ているが、親の”教育休暇”といったものも積極的にとれるようにしなくてはいけない。

最近の子供は手がかかる、というが、社会全体が複雑化していることを考えると、仕方がない。

亡くなった子のご冥福を祈るとともに、このような社会を少しでも改善していけるように微力でも、力を尽くしたい。

頑張る人とそうでない人

2010年10月28日 | 日々思うこと、考えること

社会にはいろいろな仕組みがあり、自分も何かしらその一翼を担っている。
この世に生まれてきて、意味がない人はいない、というのはそういったことだと思う。

だけど、そんななかでも、頑張っている人と、そうでない人は存在する。
頑張りたいけど、頑張れない人もいるので、頑張っている人は結構な人数のはずだ。
だけど、頑張っても、能力が低いと、というか適性がないと、頑張っても頑張っていない人に入れられてしまう。

無能に思える人も、本当はすごく頑張っているかもしれない。


かくいう私も、低い能力を、伸びきったゴムのように、伸ばしながら頑張っているつもりだ。

なかなか、難しい。

十人十色

2010年10月27日 | 日々思うこと、考えること
近々、高校の同期会がある。
開催のための準備を少しだけ手伝わさせてもらっているが、皆、いろいろな道をたどっていることに驚く。
中高一貫校で、同じような価値観を持っているように思っていたが、進路によって人生は大きく違っている。
だから、参加するのも、しないのもそれぞれいろんな思いがある。
功成って、意気揚々とくるやつ、思い出すことすらいやで、こないやつ。
いろんな理由がある。

だが、折角の機会なのでやっぱり来る方がいいと思う。
一般的に、高校を出ると”タメ口”で話すことが出来る人は、極端に減る。
小学校では記憶は断片的だ。
とすると、中高生くらいの思い出が一番残っているし、その時の仲間が一番気のおけない仲間ということになる。

さすがに、昔のように意地の悪いからかいをしたりする歳ではないので、みんなで集まって楽しくやれればいいのだが。

さらば大盛

2010年10月26日 | 日々思うこと、考えること
いくら歩いても、体を動かしても、食べたらダメ。

そう息子に告げられた。
メタボ解消、高血圧軽減のために歩き始めたが、いっこうに体重が減らないことに合を煮やして息子にあたった時のことだ。

「先輩に、昔ダンクができた人がいるんだけど、その人が、『ダンクができるようになるには、減量をしないといけない。そしてその減量は、食べ(過ぎ)ている限りできない』って、言ってた。
だから、僕も、こんなに食べていたら、いつまでたってもダンクができるようにはならないって、言われた」
と返された。

そうだったのか。
朝晩往復70分のウォーキングをしても、減量には結びつかないということか。

仕方ない。
今日から、大盛りをやめよう。

どこに行っても、大盛り(さつまっこラーメンでは中盛り)だったが・・・

さらば、大盛り。言葉を覚えたのが、16、7歳の頃だったから、30年続けてきたことに、今日、終止符を打つ。

ただし、おかわり、はまだOK。

夜の八幡

2010年10月25日 | 鎌倉暮らし
家と鎌倉駅の間の往復には自転車を使っている。だが、前の日雨だったり、諸般の事情で、駐輪場に自転車がない場合、時々家まで歩く(たいがいは妻に迎えに来てもらう)。歩いたところで、20分足らずなので、たいしたことはないのだが、職場から一度歩いているので、もう一度歩くのは、疲れる。

それはさておき、歩いて帰るときは、八幡宮を通り抜ける。
夜の八幡宮は昼間の賑わいが嘘のように人がいない。
お参りをしたいのだが、手前に柵がはられる。賽銭箱もおいてあるのが、微妙な感じだ。

今夜は、私の前にお参りしていた人がひとり、流鏑馬道を散歩している人がひとり、そして私。
すごく少なく、怖いほどだ。

実際は、警備員さんが巡回していて安全です。念のため。

ドッペルゲンガー(独: Doppelgänger 自己像幻視)

2010年10月24日 | 日々思うこと、考えること
遅刻した日のこと、
勤め先までまだ20分かかるところで、急ぎ足で歩く私の眼の前を、私が運転する車が勤め先ヘ向かって行った。

車で勤め先に行くときに、時々通るところだ。

あせった。「だれだよ?あれ」
と思ったときには、車は走り去ったあとだった。

あとを追うように、勤め先に向かったが、その間、とても不安だった。
私のデスクに、あいつがいたら。
そう思いながら、部屋のドアを開けた。



寝坊した!
これから電車で行っても間に合わない。
仕方ない、今日は車で行こう。妻に一日車を使うことを断って、勤め先へ。
勤め先まで、あと3、4分のところの交差点、左にハンドルを切ったときに、目の端に赤いジャンパーの私がいた。
「だれだよ?あれ」
と思ったが、先を急ぐのでそのままにした。

勤め先に着いても、なんだか落ち着かない。
デスクに座っている、私の後ろから、あいつが声をかけてきたらどうしよう。
そうこうするうちに、誰かが部屋のドアを開けた。



私の前に私がいた。

APEC横浜

2010年10月23日 | 日々思うこと、考えること
横浜が物々しい。
11月に開催されるAPECの警備のためだ。
2週間ほど前、ランドマークプラザに行ったとき、すでに空き地には大量の警察車両がいた。
横浜駅も警察官だらけ。
土曜日の夜だというのに、1視野中5人くらいおまわりさんがいる。

警察官というのは、もともとガタイのいい人が多い上、あの、警察革靴、どう見ても底が厚くてより背が高くなるので、威圧感がある。
11月14日が最終日のようなので、それまではあまり近づきたくないのだが、なにせ通勤路だから。困ったものだ。

自分もそうだったでしょ

2010年10月22日 | 妻の名言
わたしのしたのドクター、結構キャラが立っていて、時々着いて行けなくなることがある。

先日も、大したことではなかったのだが、かちんと来ることがあって、帰宅してから妻に相談した。

「なにいっているのよ、あなただって、若いうちはさんざんそうしていたでしょ?」
「あの人も、そうやって、少しずつ成長していくのだから、それを見ていてあげなさい」

とのこと。

そう思うと、顔から火が出そうになるほど、自分の不始末が思い出された。
それも、よりひどいことをしていたことが。

反省反省、私も私で、いちいちかちんとくるなんて、ばかばかしいことだった。

病院の廊下

2010年10月21日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
医療ドラマだと、病院の場面では太陽が燦々とさし込む廊下がよく出てくるが、窓のない廊下というのは結構ある。
手術室の前とか、解剖室の前、いずれも窓がないのが普通だ。
私の勤務先の病院はスタッフエリアが結構暗い。患者さんのエリアは自然光が多く入ってくるが、その分スタッフエリアには自然光は入ってこない。
最初は、いいことだと思っていたが、何年も続けているとこの暗さにも少々辛さを感じるようになる。

幸い、私たちが仕事をしている鏡検室は陽の光が入ってくるし、外は比較的緑が多く、外を見やるとホッとする。

そういえば、緑はとても目によく、心を落ち着かせてくれるとか。
HE染色も、核染はメチルグリーンにしていればもう少し目に良かったかもしれない?ME染色。やっぱり変か。

私の先輩の病院の病理鏡検室は、行灯部屋だそう。朝仕事場に入って、終業時間まで頑張ると、外は真っ暗なんだそうだ。

秋と鬱

2010年10月20日 | 日々思うこと、考えること
色づきかけた木のむこうの秋空を見ると心が沈む。
昔は楽しかった落ち葉踏みも、この年になると、枯れ葉の中に自分に残された命の短さを思い浮かべてしまう。

秋は感傷的になると言うが、秋口は鬱っぽくなると言うことではなかろうか。
私の周りにも、秋口から鬱っぽくなっている人がちらほらいる。
人間誰しも年がら年中ハイテンションでいられるわけではないので、こういったアップダウンは必要なのだが、必要以上に落ち込むと結構深刻だ。

私の場合、鬱とまではいかないが、感情の起伏は大きくなる。
とくに仕事について、自信をなくしたり、失敗を恐れたりするようになる。涙もろくもなるし。
今年中に終わらせなくてはいけない仕事の多さに閉口するし、来年の引き受けなければよかった仕事のことを後悔したりする。

逃げ出したくなるが、まだ、ご飯はおいしいし、朝は元気に起きれる。
厳しい状況ではあるが、自己診断では、まだ鬱ではない。と思う。

こんきものアップも忘れずにやっていかなくてはね。

誰もいない部屋で

2010年10月19日 | 日々思うこと、考えること
ガラスをステージにピシっと置くのが、私の密かな楽しみだ。
将棋の棋士が、盤上に駒をきれいな音で置くのと同じで、置く直前に親指の腹に一度当てる。

急いでやると、スライドガラスの端っこにひびが入るので気をつけなくてはいけない。
クレンメルのバネは長いアームがあったほうがいい。以前は、横から軽くおさえるだけのものだったのだが、これだと、ガラスを2枚載せられない。

ところで、誰もいない山奥で木が倒れても、その音は音といえるか?ということで、以前少し考えたことがあるが、それとは別の意味で、スライドガラスの音を聞いてしまった。
”山奥”を”部屋(鏡顕室)”に、”木が倒れても”を”スライドガラスをステージに載せる音”に置き換えてみると、私のしていることは、なんだろう、と思える。仕事として、標本を診て、診断して、診断書を書き、それがやがては患者さんの治療方針の決定につながる。そんなことは、あたりまえである。

ただ、一人誰もいない部屋でスライドガラスをぴしぴしやっていると、ふと、人の営み、否、生きとし生けるものすべてが、何かの目的のために、生きているのだろう、と思う。そして、無生物までもが、みな平等に有為転変にあって変化し続けていることに思いいたる。

”この世界”は一つで、一つの方向に“この世界のすべてが”向かっていて、『年を取る』、『朽ちる』ということも、その方向の一つの表現型なのだろう。

ハナミズキ

2010年10月18日 | 通勤・交通・旅行
春、綺麗な花で目を楽しませてくれたハナミズキが、今度は赤い可愛い実をつけた。
元来、花鳥風月、見る毎に心弾ませることはあるものの、それについて深く興味を持つことは無かった。

この一年、ほぼ毎日同じ道を歩いていて、ああ、これはあの花?とわかるようになってきた。
街路樹とはいえ、小さくても自然に目を向けると言うことが、この年になって初めてできたようで、うれしい。

あと、10年、同じ道を歩けば、ずいぶんと花の名前を覚えられそうだが、この先10年も、元気で歩けるかな?

最悪の使い方

2010年10月17日 | 日々思うこと、考えること
私の口癖は 最悪 だ
妻にはずいぶん嫌がられる
だが、長年使っていると、使わないでは生活が成り立たない。
どんな風に使うかご参考までに勝手に紹介させていただく。

もっとも使う状況は運転中。
急いでいるときに、路上駐車の車のおかげで、渋滞が生じている場合、『最悪』。
高速道路で、車間距離を少しだけつめて走っているところに、割り込まれた場合、『最悪』。

自分が正当なことをしているところに、理不尽なこと、狡いことをされるのが、『最悪』だ。

急に雨に降られたりするのは、誰が悪いわけでもないので、『散々』だ。
犬の糞が軟らかくて、拾うのが大変なのは『大変』だが、糞を拾っているところに車が来ると、『最悪』。

このまえ、映画の中でセーラー服姿で機関銃片手に「カイカン」と言っていた、往年の超アイドルが、その時の歌を歌っている姿を見たが、大ファンだった私としてはやっぱり「サイアク」だった(見なければよかった)。

いろいろ、『最悪』のことはあるのだが、一番は、妻と会うまでの、私の人生か。