こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

声の大きい人が勝つようではいけない

2012年08月31日 | 日々思うこと、考えること

声の大きい人、というのはどこにでもいる。

人がしゃべっている上から声をかぶせる。

よく見るのは、国会。罵声を張り上げている議員の声だけがテレビ画面から聞こえてくる。

学会でも、大声を出す人がいた。

「いた」というのは、今は学会で地声で話すことはほとんどなく、小さな会でもマイクを使って話すようになったからだ。

昔は、大声で、「それは違うよ!」なんて、怒鳴っていたどこかの教授がいたが、今ではほとんどいない。

 

声が大きい人、人がしゃべっているのを遮る人、そういう人が交渉、話し合いで勝つようなことはあってはならない。声の大小で話が決まってはいけないからだ。

国会、国際社会での議論でも、このようなことはあってほしくはない。

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「頑張れ!」と言ったら、元気をもらった

2012年08月30日 | 家族のこと

高校3年の息子。

大学受験を控えて、今年の夏休みはずいぶん頑張って勉強していた。大好きなスポーツのテレビ観戦(ロンドンオリンピック、甲子園)も極力控え、30年前のちゃらんぽらんでどうしようもなかった高3の頃の自分を思い出すと恥ずかしくなるほどだった。

そんな息子、今日から2学期。休み明けにいきなり実力試験があるということで、応援のメールを出した。

件名;  頑張れ!

本文; 夏休み、よくやったね。今日はケアレスミスに注意して頑張れ!  コロ健。

頑張ってる人に頑張れといってはいけない、という。

とくに、うつ の人に頑張れと言うのはかえって追い込んでしまうから、よくないという。

今の私だって、これ以上頑張るのはきつい状態だ。だれかに頑張れと言われても、どう頑張ればいいのかわからないほどだ。うつではないが、少なくとも心の中でふてくされてしまうだろう。

息子だって、1ヶ月以上ずっと頑張ってきて、さらに、残暑続きのこのところ夏バテ気味できつそうだった。

でも、頑張ってきたから、それを信じて頑張れ、と応援したかった。

若くて、強い心であると信じて。

 

普段は、私がメールを出しても返事もしてこないのだが、返事が来た。

件名; Re:頑張れ!

本文; ありがとう 

    とりあえず頑張ります

 

 

頑張れと言った私の方が元気をもらうことになってしまった。

 

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人間の同時進行能力

2012年08月29日 | 日々思うこと、考えること

昨日書いた記事も大きく捉えれば同じようなカテゴリーに入ってくるが、人というものはどうして同時にいろいろなことをするのだろう。

当たり前のことなのかもしれないのだが、どうやら、このことは、私コロ健にとってはとても不思議なことである。これまでに、何度も同じようなことを考えてきた(記事の中のリンクをたどると、ぞろぞろ出てくる)。

 

これは、何も私のテンパってしまった仕事に限った話ではなく、誰しも共通したことである。

あれもこれもしている中に、仕事があったり、遊びがあったり、何も無かったりする。

具体的にいえば、

労働者であれば、あの仕事、この仕事。

作家であれば、あの連載、この連載。

主婦であれば、あの用事、この用事。

となる。

これは、社会生活に組み込まれた部分での話であって、内緒、というか心の内面的な同時進行となると、もっと複雑多様になる。

内緒の部分でもっとも、わかりやすいのは、愛情。

好きな人が何人もいる人というのがいる。「だって、みんな好きなんだもの」。”浮気性”などともいうが、それは好きになった時期の違いにしかならない。こういう人は、”マメ”なんていうけど、自分の心をいくつにも分割して同時進行させている。すごいことだ。

趣味にしても例えば、こんなだろう。

本当は、俳句をやりたい人がいるとする、けれどその人は人間関係から、昔からやっていた短歌をやめられない。どうでもいいので、とにかくどっちかに本腰を入れたいのだが、結局うまくいかず、両方とも同時進行させている。虻蜂取らずになりそう。

ここで、話が飛んでしまうが、人間、遺伝情報の大部分を相互に共有している。私もあなたも多くは同じだ。

”生物は遺伝情報の単なるキャリアー”論からすれば、おおもとの遺伝情報は一つでも、それがすごくたくさんの人間および人間以外の動物に分散させて、自分自身の遺伝情報を後世に残そうとしているところに、遺伝情報と私たちの身体の本質がある。

結果として、あの人間にも、この動物にも、同時に別々のことをやらせている。

それこそ、あれもこれも、である。

本質的に、私たちが共有している遺伝情報というのは、あれもこれもやるような性質のものであるのかもしれない。

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本当の私、こんきも(ブログ)の私、みえない私。

2012年08月28日 | 日々思うこと、考えること

忙しくなってくると、一体自分は何をやっているのだろうと思うようになってくる。

そのうち、一体自分というものはなんなのか、本当の私というのはいったいなんなのか、考えだすのだが、考えているうちにそのこと自体がよくわからなくなってくる。

 

私とは、自分とは、肉体をさしているのか、精神をさしているののか、考え方なのか。

いつもいつも、この考えにとらわれてしまう。

この間、書いたように、ただ単に私の体はDNAのキャリアの一つにしか過ぎないとすれば、そんなことはどうでもいいのだが、実際、日常生活を送っている以上、社会的な存在として自分自身というものを意識しながら生きなくてはいけない。

本当の私、というのがどこかにあるとして、では、このブログ(こんきも)であれこれ言っている私というのはなんなのか。このブログから発信している私が本当の私なのか、このブログに気持ちを投げかけているのが本当の私なのか。自問自答とは、二人以上の自分がいることであるような気がする。

真実の私であるのか、虚像であるのか。

わからない。

さらに、“本当の私”というのがあって、その“私”が目指す理想像のようなものが“このブログ(こんきも)に投影されている私”であるが、その両者でもないところ、“見えない私”もどこかにいるはず。

人間というのはほとほと複雑に、ややこしくつくられている。

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いよいよ始まる学会シーズン

2012年08月27日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

いよいよ秋の学会シーズンが始まる。

しんどい。

さらに、まだまだ続く残暑による寝苦しさだけではなく、早朝に不安でハッと目覚めてしまう。

普段の仕事をなんとか時間内に終わらせ、そのあと準備。

どれも、間に合いそうにない。

 

まず、今週末の講義。私の持ち時間はわずか20分、されど20分。

対象は専門領域をこれから勉強しようという臨床医が中心。

皆熱心だ。

彼らに満足してもらえるような話ができるだろうか。とても心配だ。

そんな時は、いつも自分がやっていることを話せばいい

それだけのことだ。

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お酒、買いすぎ

2012年08月26日 | 日々思うこと、考えること

鎌倉は今日も快晴。

これだけ晴れの日が続くというのは、真冬と同じようだが、空はスッキリと青く、雲はいろいろな顔をして空に浮いている。

さて、平日ノンアルコールというのが定着して、わずかながらBMIも下がってきた。

その分、というわけではないのだけれど週末はアルコール解禁!金土日はとても楽しみである。

金曜の夜、帰りがけに、前から気になっていた酒屋さんで日本酒を2本買い込んで家に帰ると、妻もビール、ワインにソウルマッコリまで買っていた。

これまで、毎日飲んでいた反動だろうとは思うが、これでは買いすぎ。

三晩しかないのに、これまでの一週間分の酒を買い込んでいるようなものだ。そもそも、先週飲みきれなかった赤ワインがまだ冷蔵庫に残っている(先々週の余ったワインは夏野菜カレーを作ったときに使いきった)。

さらに、普段飲まなくなった分、酒に弱くなった、というかすぐに酔ってしまい、余計に残る。

今日はもう日曜。ここにあるほかに、ビール、ワインがある。

いよいよ来週末から出張が続く。10月までは酒を買わずに済みそうだ。

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そんなの、謙遜でもなんでもない、ただ逃げていただけだったんだ

2012年08月25日 | あの頃のこと…思い出話

医学部を卒業して、他大学の医学部の病理学教室に入局した私だが、その教室というか、現在一応所属している教室というのは結構レベルが高く、ついていくのがやっとであった。実際のところ、今でも目立たないように教室員を続けさせてもらっている(と思っている)ような状態なのは本当のところだ。

入局したての頃の口癖というのがあって、それが「いや、どうせ、僕ダメですから」だった。

そんなある日、今は、とても偉くなった少し上の先輩にたしなめられた。「あのさ、いい加減、自分がダメというか、大したことない、っていうのやめたら?」。

言われてみて、ショックだった。なぜなら、自分がホント、情けない、逃げてばっかりの自分だということがわかって。それ以来、「どうせ、俺なんて」とは言わなくなった、というか、言わないようにしている。こういうのは、謙遜でもなんでもない、自分で予防線を張っているだけ。自分を卑下していただけだったんだ。

そうはいっても、今でも、仕事がテンパってしまえば、ついつい「もう限界だー!」とか、「俺の能力超えている!」などと、口走ってしまっているし、こんきもでもひぃひぃいっているが、先輩の言葉は今も忘れないでいる。

「自分はダメなやつなんです。」そんなこと言って生きていくのはいけない。

なぜって、それが私のプライドの最後の一線だから。


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Sitting Volleyball (シッティングバレーボール)

2012年08月24日 | スポーツ・健康・ダイエット

パラリンピックにSitting Volleyballという競技があるのを今朝のNHKニュースおはよう日本の中でのパラリンピック特集で知った。

日本シッティングバレーボール協会のホームページからひくと、シッティング(座ったままで、または座ることの意)バレーボールは、床に臀部(でんぶ)の一部が常に接触したまま行うバレーボールということで、戦争によって体が不自由になってしまった人々によりオランダで考案されたスポーツだということだ。

今朝の放送で取材されていたのは、ユーゴスラビアのシッティングバレーボールの選手で、10代のころユーゴスラビア紛争で大量に敷設された地雷を踏んで片足を失ったという。失意の中から立ち直り、パラリンピックに参加するまでになった、という話だった。

私が幼い頃、すなわち昭和40年代。山手線や京浜東北線といった国鉄の駅前には片足の無い人が国民服のようなものを着て物乞いをしている姿があった。いつの頃か、そのような姿は見えなくなり、日本は70年近く戦争はない。不発弾が時々掘り起こされるものの、地雷がまかれたような場所はなく、地雷を踏む危険はまず無い。日本では戦争とういものが遠い過去になっている。

 

パラリンピックというのはおもに病気、事故が原因で体の一部が不自由になった人が参加するものと思っていたが、戦争やその関連する事で体の一部を失ってしまった人が参加するとは、思ってもいなかった。

だが、当然と言えば当然で、戦争で命は助かったものの体が不自由になってしまった人の話といえば、1989年のアメリカ映画『7月4日に生まれて』(原題: Born on the Fourth of July)が代表的だ。日本にも2010年の寺島しのぶ主演の『キャタピラー』という映画くらいしかないように思えるし、この映画はテーマが少しずれている。

反戦映画の話になってしまうところだが、今朝の放送で思い知ったのは、パラリンピックの意義。

体の一部が不自由な人のための競技会ではあるが、そもそもなぜ、不自由になったかということを考える機会である。私たち誰しも、いつそのような境遇になるかもしれない。その原因の中でも人間同士が傷つけあう戦争は最も愚かなものだ。

是非、今回のロンドンパラリンピックも成功して欲しい。

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身勝手な幸運

2012年08月23日 | 通勤・交通・旅行

『ああ、よかった、昨晩と同じ時間の電車に間に合った。途中の電車の急行電車が遅れて、これなら、日付が変わらないうちに家に着く。』

途中で乗り継ぐ電車の急行の車内で具合が悪くなった方がいて、その急行の発車が遅れ、そのあとの各駅停車に乗るところだったのが、却って一本早い横須賀線に乗ることができて、そう思った。

日曜日以来、重症の患者さんが多く、病理診断科も連日遅くまで仕事があり、昨晩はさらに帰りが遅くなっていたということもあり、とても助かった。

『ラッキーだった』

『あれ?これって、ラッキー?』そう、これって、私にとっては幸運だけど。

 

『私にとってラッキーだからといって、その、具合の悪くなった人は全くアンラッキーではないか』

身勝手な話だ。身勝手に自分の幸運を喜んでいたのがとても悲しくなった。具合の悪くなった人はさぞつらかったろうし、恥ずかしい思いもしただろう。もしかしたら、命に関わるようなことだったのかもしれない。

そんなこと、ホームで待っていた横須賀線に飛び乗った時、全く考えなかった。

なぜ、私はいつもこうなんだろう。

どうして、こう、身勝手で、人に対して無頓着な人間なんだろう。

そう思いながら、その“幸運”にも乗ることのできた一本早い横須賀線に揺られて帰った。

少なくとも、人の不運に乗っかった幸運というのは、幸運とは言えない。いや、そうであってはいけない。

幸運を掴んだとき、人は『私は選ばれた人間だから』と思う。

けれど、不運に遭遇した時、人は『なぜ私に限って』と思うだろう。

運不運は表裏一体、時には人の不運が自分にとっての幸運(のようなもの)になることもある。

そう、自分にとって幸運と思うこと、そんな巡り合わせの裏側にはなにがあるのか、いつもそんなことを考えながら生きていかなくては、人生を考えることはできない。

 

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忘れちゃいけないんだけど

2012年08月22日 | 日々思うこと、考えること

朝、駅を降りたら、胸ポケットに大きな封筒を挿して歩いてくるおじさんがいた。

駅前のポストに投函するのを忘れないためだろう。

私の場合は、家を出るとき、手にもって出る。鎌倉駅近くの駐輪場に着くまで、自転車の運転が面倒ではあるのだけど、仕方ない。何日も投函しないでいては一向にらちがあかない。

大事なことを忘れないための工夫というのはいろいろある。

職場でよく見るのが、若い医者とか、看護師さんが手に直接書くこと。手のひら、手首に数字やらなにやら書いている。

あんまり書きすぎてごっちゃにならなければいいがと思うが、どうなのだろう。

私は手帳を使う。

手帳の場合、書いたことは思い出すが、はさんだ紙を忘れてしまう。

つい先日も、自分の検査の予約票をはさんでおいたのを忘れて、あせった。

あとは、付箋。机の前の壁は見えない。

 

どうしても忘れないということは、忘れないのだが、どうでもよくないことなのに、つい忘れてしまう、というのはどうしてなのだろう。かえって緊張してしまうからかもしれない。

今朝、すれ違ったおじさん。あの胸の封筒、ちゃんと、投函できただろうか。

封筒を胸に挿したまま、電車に乗ってしまっては、気がついたとき、とても恥ずかしいに違いない。

 

 


ささやかな嬉しい話。

2012年08月21日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

不肖コロ健、ちょっとだけ人より得意な分野がある。 まあ、専門領域、というもので、良くできる、というよりは、勤務先の病院のその領域の臨床医が頑張ってて、彼等と一緒に勉強しているうちに、専門、というか得意と言えるようになってきた、というものだ。

以前、私の勤務先の病院に勤めていて、現在は他所の大病院に転任した私の専門領域の臨床医がいる。その先生が、担当している症例の病理診断とその診断に基づいた治療方針について相談してきた。 なかなか、難しい症例ではあったが、私の考えを返事した。 ただのコンサルテーションと言ってしまえば、それまでだが、「ああ、あいつに相談しよう」と、私のことを忘れずにいてくれる人がいるというのは、(たまたまその先生が美人であるということを差し引いても)とても嬉しい。 病理をやっていると、難しくて、わからないことだらけで、くじけてばかりだが、こういうことがあるとまた、明日から頑張っていこうと思える。

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同じレベルに降りてはいけない

2012年08月20日 | 日々思うこと、考えること
ケンカで勝つのに一番大切なのは、「相手と同じレベルに降りないこと」とよく言う。

昨日の報道の画像をみて、相手と同じレベルのことをしている、と感じた。
違うのは国旗だけ。
これでは、相手の思うつぼだ。

日本は名実共に大国であり、世界中に模範を示すべき歴史と文化、経済力をもった国である。

国と国の問題を解決するには、非常に高度な判断が必要だ。もし、不手際があったら身近な人の命が危険にさらされることにもなりかねない。いや、自分自身だっていつ危険にさらされるかわからない。

それにしても、石原慎太郎都知事が、島の購入をぶち上げたときは、名案と思った。
どうせなにかやるのであれば、そんな「なるほど!」と思わせるような手を打って欲しい。
たとえ同じ土俵で戦うことになったとしても、その時は相手とは違うレベルで戦う知恵を持たねばならない。

時には国益のために時間が必要になる問題もあろう。
関係者は熟慮の上で行動して欲しい。


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待っていてくれる人がいるから

2012年08月19日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
昨日は”起伏のない一日”などといって、早々にこんきももアップして、のんびり新サンマを肴に酒を飲んで、いい機嫌で寝入った。

ところが、夜中に病院から電話。
容態の悪い患者さんが来て、緊急手術を朝一番からするとのこと。術中迅速診を行って欲しいので、来てくれないか、との外科からの依頼。もちろん、出勤する旨を伝え、迅速診断の標本をつくってくれる検査技師さんにも連絡を取り、体制を整えた。
私のことを待ってくれる人がいる。

鎌倉も7時過ぎに家を出れば、渋滞はまずない。ただ、もうこの時間から鎌倉に入ってくる車が多い。この時期、海水浴に来る人がとても多いからだ。帰りは大丈夫だろうか。

無事病院に着いて、すぐに手術室へ。
外科の医者のみならず、放射線科も、内科もみんな集まっている。
病理も、チームの一員。画像所見をみて、手術方針を打ち合わせる。コロ健も病理診断科で待機。
予想どおり、難しい症例だったが、迅速診断は終了。病理の仕事は昼過ぎに終わった。

ほかの仕事も少ししてから鎌倉に戻る。

混んでた。
朝比奈インターの出口から長蛇の列で、鎌倉に入れない。
逗子に回って鎌倉に戻ってきたが、今度はお祭りの交通規制。

朝は、1時間足らずで着いたのだが、帰りは2時間半。うーん、仕事よりも運転で疲れる。それでも、妻と娘が待っててくれていた。
すごく遅ーいお昼を一緒に食べた。

秋の風が心地よい季節になってきた。







起伏のない一日

2012年08月18日 | 鎌倉暮らし
今日の鎌倉、朝からカミナリがゴロゴロなっていた。

病院に行って学会の準備をしようと思っていたのだが、昼前後に大雨になるということで、出かけず蟄居。

高三の息子も、夏バテとかで家にいるというので、居間の机で一緒に勉強。
読もう読もうと思っていたが読めなかった論文、やっと目を通すことができた。

起伏のない一日、というのが一番心休まる。

鎌倉モノより横浜モノ。

2012年08月17日 | 鎌倉暮らし
ちょっと診断に自信が持てない症例があったので、苦しいときに相談する先生のところに標本を持っていった。
夏のご挨拶もしていなかったので、手みやげを持参しておうかがいした。

鎌倉人の私が持っていくのはだいたいが豊島屋の鳩サブレーになってしまうというのは、以前書いたが、そのときいただいたコメントに、何を持っていけばいいのか悩む、というようなことがあった。

今回用意したのは、横浜かをりのお菓子。なぜ、“お菓子”としか書かないかと言うと、ちょうど横浜高島屋に買い物に行っていた妻に頼んで買ってきてもらったからで、内容は聞きそびれてしまったまま、お渡ししてしまったから、と、ちょっと失礼なことをしてしまった。

鎌倉人のお土産としては、豊島屋の鳩サブレーが圧倒的に喜ばれる。
自分自身、鎌倉のもので食べたいお菓子を5つ挙げて?と尋ねられたら、鳩サブレーは必ず入る。

ちなみに、ほかの4つは何かと言えば、鎌倉レ・ザンジュのケーキ、西鎌倉レ・シューのプリン、旭屋本店の豆大福、美鈴の上生菓子となる。

だが、そうはいっても、鎌倉は何となく田舎である。東京に比べて、というわけではなく、横浜に比べて田舎なのである。横浜土産といえば、かをり、霧笛楼、ホテルニューグランド、中華街の月餅と紫禁城の大粒甘栗である。これらは、間違いなく美味しいし、有名でもある。ニューグランドなんて、コロ健が結婚式を挙げたところだから、頭が上がらない。
だから、非横浜(厳密には山手元町地区)在住神奈川県民としては、都内へのお土産にするにはどうしても横浜の美味しいレストランのお菓子の方が喜ばれるんじゃないかと思って、こっちを持っていきたくなる。

まあ、鳩サブレーは箱が大きくて大変、ということもある。


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