こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

レジデントの青い服

2012年10月31日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
 今日は病理外来があるので、背広を着て出勤した。
久しぶりだ。
ネクタイを締めると、気が引き締まる。

 「病理医は患者さんと接することがないのだから、ネクタイなんてしてくるんじゃないよ」

 と、入局してすぐに先輩の病理医に言われ、少し落ち込んだが、ほどなくその格好に馴れて、以来20年、学会と歓送迎会/忘年会以外で背広を着ることはほとんど無くなっていた。

 数年前より病理外来をはじめた。病理外来では患者さん、もしくはご家族に病理診断を直接説明するので、ネクタイを締めて白衣を着て、お話をするのだ。
 以前、医者、病理医の服装について記事にしたが、会社勤めの人と違って、医者は背広を着る機会が少ない。それでも、内科の医者はいつもネクタイ、外科系の医者も外来の時はネクタイというのがつい最近まで普通だった。



 それが、ここ数年気になっていることがある。
 それは、若い医者の普段の格好だ。みんな、寝間着のような青い服を着ている。
 ついには、テレビドラマの宣伝にも堂々とその格好で出るようになってしまった。

 たしかに、この格好は楽だ。
 もともとは、手術の時、病理であれば解剖の時に着る服でこの上に、緑の術衣を着る。
 したがって、これは下着のようなものだ。

 私も、若い頃、当番で剖検が一日に2例あるような日は、着替えるのが面倒で、剖検と剖検の間、そのまま白衣を上に羽織っていた。
 仕事が遅くなって、帰れなくなった時は寝間着代わりにして、教室のソファーで横になったりもした。

 だが、ある時から、手術室のこの青い服をその持って帰る医者が増えるようになった。何せ便利である。いちいち手術に入るのに、着替えるのなんて面倒である。手術が終わっても、そのまま着て帰って、次の手術のときに着てくれば良い。事情はほとんどすべての手術室で同様だったようで、手術室は大いに困るようになった。

 そして、対抗策が考えだされた。
 この“便利な”青い服を別に用意すれば良いということに白衣屋さんが気がついたようだった。院内、どこでも行き来できる服が、個人で手に入れることができるのであれば、わざわざ盗むこともない。

 結局、今の若い医者はみんなこの格好となった。
 上のポスターにもあるように、これがすでにユニフォームとなっている。背中や胸に所属やネームが入り、チーム医療の意識も高まる。おしゃれなスタイルのものもずいぶん増えてきて、白衣屋さんもホクホク顔だろう。
 たしかに、いろいろ忙しい若い医者、特に研修医やレジデントにとっては便利な格好だ。
 手術室から盗まれていた話なんて、そのうち皆忘れてしまうだろう。

 だが、この青い服、私から見ると若干見苦しく思える。

 そもそもこういった服は、ついだらしなく着てしまうことが多い。女医さんでは見ることはないが、男の医者だと、上着が短くてズボンの腰のところから下着が顔をのぞかせているなんていうのはしょっちゅうだ。カンファレンスなどで椅子に座ってプレゼンをしている時などにこんなのを見せられると、がっくり来る。

 それに、どうみても彼等はこれをずっと着ている。食事の時も、検査の時も、手術の時もである。
 剖検の立ち会いもこの格好だし、外来でもこの格好の医者は多い。
当直の時は、このままで寝る。
若い医者は“いつも”この青い服だ。

 どうも、不潔で、だらしなく、メリハリがなく見えてしまうのだが、どうだろう。
 ただ、私が、その立場にあったら、間違いなくその格好をしてしまうだろうから、文句は言えない。


注;院内感染予防の観点から白衣と手術衣の是非については現在論争があるが、清潔であれば白衣でいいし、寝巻の延長のように使っているのであれば手術衣は無意味である。


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ぎりぎりまでやれない

2012年10月30日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
今朝も5時前に目が覚めてしまった。
夜はヘトヘトになって0時過ぎに、驚くほどの寝付きの良さで眠れるのだが、朝がダメだ。

原因は、年に一度病理学会に提出しなくてはならない書類の締め切りが迫っているのに、まだ完成していないことだ。
ただでさえ、雑用の多い病院の病理医にこういったことをさせる病理学会というのも罪作りなものだと思うが、全国のお人よしの病院病理医は当たり前のようにこれにしたがって頑張って仕上げている。
一応、私も去年まではそうだったが、今年は大丈夫か不安になる。

それにしても毎年のこと。ずいぶん前から書類は来ていたのだが…。
なぜ、ぎりぎりまでできないのが、我ながら不思議だ。



この書類に限らず、小さい時からなにごともぎりぎりまでできない。

夏休みの宿題に始まり、試験勉強まで。なんでもそうだ。嫌なことは先送り。

それでも、何とかやってこれたのだから、それで良しとするべきか。



とにかく、頑張るっきゃない。

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今日は何を着て行こうか

2012年10月29日 | 通勤・交通・旅行

昨日から今日にかけて、関東地方にはずいぶん雨が降った。

とくに、今朝方までの夜中の雨はずいぶんまとまっていたようだ。葉に乗った水滴のせいだろうか、林の木漏れ日がいつも以上に美しい。

この季節、一雨ごとに秋が深まっていくが、それは気温が下がっていくということ。

そして、毎年のことながらこの時期、通勤時の服装にには悩まされる。本格的な衣替えが済まないまま、季節はどんどん冬に向かっている。

セーターにするか、ジャケットにするか、ジャンパーにするか、外の天気を見て考える。

東京についてから、歩くと汗をかくので、温度調節をするのはもちろんである。

通勤にはショルダーバッグを使っているので、洋服の肩がすぐに傷んでしまう。したがって、できればセーターやジャケットは避けて、厚い布地を使っているジャンパーにしたい。

家から鎌倉駅近くの駐輪場までの自転車では防風の意味もあり、ジャンパーはとても良い。

セーターでは、風がスースーで寒いし、ジャケットも正面から風を受けて、寒い。

だが、東京に着くまでに電車に1時間揺られていると、日は高くなってしまっている。真冬ならまだしも、今の季節は歩き始めてすぐに体が温まってくる。病院に着く頃には汗ばんでいる。

こうなると、セーターとか、ジャケットの方が楽だ。

結局、途中でジャンパーを脱いでシャツだけになるのだが、そうすると、今度は熱を奪われて以外と寒い。

この悩み、帰りも同じ。病院を出るとブルッとくるが、駅に着く頃は温かく、汗ばんで電車に乗る羽目となる。難しいものだ。

ところで、今の若い人は”ジャンパー”などという言い方はしないのだろうか?

ここまで書いて不安になってしまった。あの、青島刑事が着ているようなやつのことなのだが・・・。

 


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少し、同情してもらった

2012年10月28日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

先日、医局で内科系某科と外科系某科の先生と話すことがあった。

話していくうちに病理医は大変だという話になった。要約すれば2点。

・すべての診療科の内容、すなわち医学全般、について精通していなくてはならない。

・人数が少ない。

専門領域の勉強だけしていたいのだが、そうもいかない。

それに、特定の臓器についての専門家といっても、その臓器の何々病について深く掘り下げることが必要になる。

何々病がほかの臓器にも怒ったら、この臓器とその臓器における違いとかも知らないといけない。

病理総論、という言葉は人の体の上下左右、過去未来について説明するための学問で、総論の下には、上記の各臓器別に学ぶ各論というのがある。総論と各論を行きつ戻りつして勉強していくわけだが、各論すべてに精通するということは、実際とても困難だ。

それに、・すべての診療科の内容、すなわち医学全般、について精通していなくてはならない。ということは、臨床医がそのことを病理医に要求している、ということでもある。ドクターズドクター(Doctor's doctor)といえば、聞こえはいいが、それを実践するのは大変きつい。

実際のところ、米国のように一つの施設に少なくとも10人くらいの病理医がいて、おのおのが専門を持って診断をするというようになれば良いのだが、日本では病理医の人数が少ない。

ほとんどの病院の病理医は一人で、私の勤務先のように二人というのは恵まれている部類に入る。

大変きつい診断を一人で行うというのが大変なのは想像に難くない。

そんな話となって、両先生、ずいぶんと同情してくれた。

「もう少し、病理の先生の人数増やしてくれればいいのに、」と言ってくれたが、もともとの病理医の数が少ないので、「来てくれる人そのものがいませんから」と、力なく答えるしかなかった。

「とにかく、体を壊したら終わりですから、体調には気をつけて下さい。」と気遣ってもらった。

病理医は患者さんという生身の人間との関係がない。依頼主である臨床医とは、診断申し込みと診断書のやり取りだけの関係だが、直接話してもらうと、それだけで元気が出る。

 

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男の人は痴漢に遭わないから

2012年10月27日 | 妻の名言
電車の中で、マナーの悪い人にイライラしてしまうこと、時にはにらんでしまったり、直接注意してしまったり。
あんまりやりすぎて、相手が悪かったりしたら逆に自分に何か起きてしまいかねない。
そのことについて、改めて妻と話した。

先日の男の更年期障害の話は別として、妻には、
「電車で嫌なことなんて、いくらでもあるでしょう?
いろんな人がいるんだから、とあきらめるしかないわよ。
でも、男の人は痴漢に遭わないからわからないんでしょうね。力もあるし。
ぶっとばしてやりたいけど、そんなことできないのよ、女は。」
と言われた。

そうなのか、ふたつの意味でショックだった。
一つは、痴漢と比べたら、自分の嫌な思いなんて大したこと無いということ。
もう一つは、そもそも痴漢でうける女性の嫌な思いというもをこのようにして考えたことがなかったということ。

嫌な思いというもの、多くの人が経験している。
痴漢に比べたら、車内のマナー違反なんて、いちいち目くじらを立てていたら身が持たない。
痴漢のような犯罪行為には、できる限り対応しないといけない。
そのほかのものに対しても、それなりに対処しないといけないのだが、塩梅は難しい。

まずは、自分が他人様に迷惑をかけていないかの確認から始めてみることにする。

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あれはもう、二月のことだったのか。

2012年10月26日 | 日々思うこと、考えること
石原慎太郎都知事が昨日、辞職した。

『都知事』で、こんきもの過去の記事を探すと、ぼんぼり祭りで憂国の思いを揮毫していることのほかに、橋下徹大阪市長の「船中八策」のような「救国八策」を考えている、というような記事もあった。この、橋下徹大阪市長が「船中八策」を打ち出したのが、今年の2月のことだったとは、時間の流れは本当に早い。

あれから、いろいろあったが、合従連衡か、野合となるかはわからないが、依然として政治状況は流動的だ。
民主党は一度掴んだ権力の座、どうやら最後まで頑張りそうだ。4年間というのは短いようで長い。政権を付託するというのは大変なことで、次の選挙がいつになるやらわからないけれど、今度こそ、自分の頭で真剣に考えて一票を投じねばなるまい。とは言っても、一体誰に、となるのが悲しい。
民主党が負ければ、政権にノーというわけだし、自民党が復権しなければ既成政党にノー、ミニ政党が拮抗して連合政権なんてことになれば政権運営はよけいに不安定になりそうで、なにがどうなっても心配だ。

政治がダメでも官僚がしっかりしているから日本は大丈夫、なんていっていたが、その官僚機構もなんだか心配だ。右肩上がりの日本経済に乗っかっている幻想の元に行政を行っていないだろうか。少々失敗しても、金があったから上手くいっていただけなのかもしれない。

たとえば、文教行政、ゆとり教育のことは昨日の記者会見でも述べられていたが、日本経済がおつりが来るほど潤っていたころであれば、少々ゆとりも良かったかもしれないが、これはまずかった。
自分の子供を見ていて思うが、結局、ゆとり教育というのは何も残さなかったように思う。私の立場からすると、子供達一人一人の個性を伸ばしてくれることに期待していたが、それは親まかせ。
学校のシステムは、カリキュラムが変わっただけで、学校は誰の個性も伸ばしてくれなかったように思う。
医療行政にしてもそう。臨床研修制度の是非を言う気はないが、それが失敗だったとき、元に戻せるようになっていなかったというのは失敗ではなかったか。大学という、大きな組織で多様な人に接しながら育つ医者と、どれほど大きくとも一つの施設という、上中下の人間を簡単に見渡すことのできる少人数の中で育つ医者、どちらがいい医者となるか。
エネルギー行政、産業行政、環境行政、外交どれをとっても、官僚主導で良かったということはあるだろうか。
わからない。官僚には顔がないので、誰がやったのか、ということがわからないので、責任というものが、基本的に官僚には無い。

政治家が政治主導を訴えるのは良いが、どれほどの政治家が私利私欲を捨て国のために滅私奉公してくれているだろうか。おかしな献金問題が明るみに出る度に、不安になる。
二世三世議員の多さにも違和感を感じる。
日本経済を引っ張ってきた産業界は今、危機に瀕している。
これまであったアドバンテージは、失われつつある。
欧米が競争相手だった時は、胸を借りて競争をして、勝ち取るところは勝ち取ってきた。

だが、今では、その競争の方法も変わってきている。
相手の情報、人材を奪ってでも戦う企業。
国が完全にバックアップして戦う企業。

どれも日本は遅れを取ってしまっている。

みなで力を合わせて、よその国より努力しなければいけないのは、企業、学問に限らない。
百家争鳴を悪いとは言わないけれど、駆け引きばかりが目に付く今の政治状況は何とかならないものか。








医療について語る資格

2012年10月25日 | 読書、映画、音楽、美術
ちくま学芸文庫より出されている、川喜田 愛郎(かわきたよしお)著、『医学概論』という本を、今日やっと読み終えた。
500ページ近くの大著で、医学史から公衆衛生学まで幅広く論じられている。コロ健、論文と本は、一旦読み始めたら最後まで読み通すように心がけているのだが、本書を読破するのは大変で、足かけふた月かかってしまった。。

いくつか興味深い文章があったので、今後少しずつこんきもで紹介していこうかと思っている。

ところで、そもそもここで論じられている個々の問題ーー医療とか、医学とか、公衆衛生とかーーを語る資格のある人間というのはどんな人なのかと思う。川喜田氏は東京帝大医学部卒の細菌学者であり、分類上は医者に属する。氏は氏の立場で医学というものを通覧しているが、別の立場の医療者というのもいる。

だが、人間誰しも自分の立場が一番正しいので、それにあわせた考え方しかできない。

医者が医療について語るに一番適しているとは思えないが、では厚生行政に通じた官僚が良いのか、となっても疑問だ。それとも、新聞、テレビの記者。各種疾患の患者会の代表者。製薬会社の経営者もしくは社員(MR)。看護師、臨床検査技師それとも歯科衛生士。病院の清掃業者、医療廃棄物処理業者。研究医、非医師の医学研究者。放射線技師。家族の介護をしている芸能人。保育士。病院の事務員。病院建築家。そして患者本人。

とりとめもなく、“医療”、というものに関わる職業というのをあげてみたが、どの人にも医療というものを語る資格がある。この、「とりとめのなさ」というのが、“医療”という問題の特徴である。

なぜなら、誰しもが患者本人となりうるわけで、患者となってしまったら職業は関係がない。
ましてや、死んでしまったら、誰しも語る口もない。

「素人はだまっていろ」などという言い方をする医者は多い。だが、人の体のしくみというものを本質的に理解している人間などいやしないのであり、そのようなことを言う医者などというのは信用できない。
また、そういう医者に限って、自分の考えていることは正しいと思い込んでいるので、人の意見に耳を傾けないか、権威者の意見を盲目的に聞くのみとなる。
”医療の主役”は医者ではない。

かといって、患者本人でもない。誰しもが主役になりうるところが、“医療”のむずかしいところだ。

冒頭の、『医学概論』という本、そもそも横書きで、挿入文の多い文章はわかりづらく、名著とはいえないものの、“医療者”の端くれとしての私に、“医療”というものをもう一度考え直すきっかけをくれた。私にとって“医療者”としての残りの時間はわずか20年ほどだろうが、いい時期に、良い書物に出会うことができた。


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医学概論 (ちくま学芸文庫)
クリエーター情報なし
筑摩書房



空気の入れ替え

2012年10月24日 | 鎌倉暮らし
寝覚めの時間よりも日の出の時間の方が遅くなってきた。

朝、起きて、目覚まし時計を止めたあとすることというと、ベランダへの扉を開けての空気の入れ替えだ。
少し前までは思いっきり全開にしていたのだが、今朝はゆっくり空ける。
そうっと、半開きにすると、外の空気が一気に部屋に入ってきて、部屋の空気と入れ替わり、部屋中が新鮮な空気によって満たされる。

今朝の鎌倉の空気はとても冷たかった。昨日の寒冷前線の通過で、気温が下がったのだろう。

ひんやりした空気の向こうから、太陽が顔を出しはじめる。

山の上に家があるので、まずは自転車で坂を下る。その時の風がずいぶんと体にしみるようになってきた。
あっという間に冬が来るのだろうと、季節の移り変わりを感じる。


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寒冷前線通過中

2012年10月23日 | 通勤・交通・旅行
今朝の天気予報では、日本海北部に前線を伴った低気圧があって、そこからのびている寒冷前線が本州を通過するため、突然の大雨、強風に注意とのことだった。

さすがは天気予報、今日は朝から大当たりで、大雨が降ったりやんだりの1日だった。
まずは鎌倉駅で、ホームで電車を待っていたら雨が降り込んでくるほどとなり、線路に向けて傘を差した。

雨雲から逃げるように東上して、都内に入ったときはまだ雨は降っていなかった。
空には暗雲が立ちこめていたが、病院までは歩いてたどり着くことができた。

そのあとも、雨が降ったりやんだり。ふと、顔を上げて外を見ると土砂降りだったり、かと思えば時折、太陽が顔をのぞかせたりと、今日の空は大忙し。
今日は例のカンファレンスの日。1時間半ほどの独演会を終えて外を見ると、大雨。

ガックリきたが、仕方ない。今夜も歩くことに。
以前、車にひかれそうになったことがあったので、雨の夜道、イライラしないで気をつけて帰ることに。

だが、医局で荷物をまとめて、外にでたらほんの小雨。
日頃の行いがいいからと、心ひそかにほくそ笑んでから、傘を片手に歩き出した。
濡れた坂道で滑らないように気をつけて下った。

寒冷前線の通ったあとは、一気に寒くなる。

駅の手前では月も顔を出していた。この雨もこのまま止むだろう。

今日は、二十四節気の霜降(そうこう)。露が冷気によって霜となって降り始めるころで、いよいよ晩秋。立冬(今年は11月7日)の前後10日頃の間に木枯らしが吹き始めるようだ。
いよいよ、木枯らしの季節となる。



家についたら、よく晴れていた。折からのオリオン座流星群、流れ星が見えないかと目を凝らしていたら、一つ見ることができた。願い事はできなかったけど、明日はきっとなにか良いことがあるだろう。

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イライラリスクを避けながら

2012年10月22日 | 日々思うこと、考えること
イライラするのをどう回避するか。

家庭ではそういったことはほとんど無いし、職場でもまずない。
これは、私の周りの人たちのおかげであり、感謝するばかりだ。

では、どこがイライラポイントかといえば圧倒的に通勤途上だ。

電車、道路、どちらもストレスが高まる。
通勤をしなければいいのだが、そうすると職場に行けない。

職場の近くに住む(職住接近)、という方法が無いわけではない。
引っ越すか、職場を変えるかとなるわけだが、それはそれで新たなストレスの火種となりかねない。
今、対人関係、仕事内容が安定している住居、職場を変えるというのはあまりにもリスクが高い。



まあ、通勤時のストレスというもの、なにも私の年齢のせいばかりではなく、大なり小なり誰しも感じているようだ。ネットで検索すればマナー違反についての苦情、カチンと来ることへの思いなど、似たような悩みはたくさん出てくる。悩んでいるのは私だけではない。

車内でのマナー、運転中のマナー、どちらも自分の価値観が優先されてしまうので、イライラしてしまう自分が正しいのかもよくわからなくなる時がある。
注意すると逆切れされてしまうし。

イライラリスクを避けながら生きるというのは、ずいぶん難しい。

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鎌倉ハイキング・・・大仏コース

2012年10月21日 | 鎌倉暮らし

 後輩の二家族が鎌倉に遊びに来てくれた。

 北鎌倉駅に妻と私とフラットコーテッドレトリバーのナイトで迎えに行く。

 円覚寺の前で落ち合い、浄智寺の横から源氏山公園に上がる。山を少し下ると銭洗弁天。妻とナイトはそのまま山を下り、家に帰って食事の用意。


 私は皆を連れて大仏ハイキングコースに入る。
 今日の鎌倉、結構な人出だったが、ハイキングコースはそれほど混んでいなかった。

 それにしてもいい天気だった。佐助の上から海がよく見えた。逗子マリーナの先、三浦半島が遠く見渡せた。


 大仏ハイキングコースの終点はもちろん鎌倉大仏。
 今日は雲一つなく、大仏様がとても美しく見える。
 鎌倉大仏は何度見ても美男子だ。


 小学生の子供もいたので、由比ケ浜に一度出てから江の電で鎌倉駅へ。
 結婚式、お宮参り、七五三と、大賑わいの鶴岡八幡宮を詣でてから、拙宅に来てもらった。
 少し遅くなったが皆で食事をした。受験生の高三の息子も自習室が閉まったからと、普段よりは早めに帰ってきて、皆にあいさつをすることができた。

 久しぶりのハイキング、ここのところの不調も忘れることができた。


 今日の鎌倉名所巡りコース

北鎌倉駅→円覚寺→浄智寺→源氏山公園→葛原岡神社→銭洗弁天→大仏ハイキングコース→大仏→由比ケ浜→江の電→鎌倉駅→段葛→鶴岡八幡宮
鎌倉が初めてという人を案内するのには、おすすめできるコースの一つだと思う。


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コロ健、更年期障害?

2012年10月20日 | 日々思うこと、考えること
ついにやってしまった。
昨晩、帰りの横須賀線で横で始まった喧嘩にーーーちょっと空いていた車両に、二人組の酔っぱらいが乗ってきて、私の並びの人に向かって“上から目線で”「詰めてくれ」と命令口調で頼んだのだが、頼まれた方が断ったので、頼んだ方が怒りだして、絡みはじめたのを見て、絡んだ方に向かって、「そんな言い方はないだろう!」と、ーーー首を突っ込んで、自分まで巻き込まれてしまった。というか、喧嘩を買ってしまう一歩手前までいってしまった。

最近、あまりに怒りっぽい。妻にどうしたものかと相談した。

すると、「健ちゃんも、更年期障害なんじゃない?男の人にも更年期障害ってあるのよ」と、こともなげに言われた。

コロ健、更年期障害?

これまで、考えたこともなかったが、「男性 更年期障害」といれてググると、あるわあるわ、たくさん出てくる。なんていうことない、ありふれた病気だったのだ。
コロ健が医学生だったころは習わなかったと思いつつ、いくつかのページを読んでみた。自己チェックシートなどというのもあって、試してみたら思いっきり当てはまってしまった。
イライラ、動悸、腰痛等々、どれも更年期障害だったのか。

原因は、もちろん加齢だが、ほかにも膝が痛くてバスケを急にやめて、運動不足になってしまったのも、悪かったようだ。

でも、原因がわかれば気が楽だ。対処の仕様もある。

あるページ(下記)に、対処方法というのがあったので、まずはこれをやってみよう。朝晩の、ウォーキングンとか、こんきもを書き続けていることとか、知らず知らずのうちにやっていることもあったようだ。
まずは、ストレスを減ずることですね。

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男性更年期障害;
40代後半から60代の男性で、心理的ストレスの要因が複雑にからみあって、体の調子が悪い、やる気になれない、眠れない、心に充実感がないなどの障害。
原因;
ストレスや過労で、精巣の機能が衰えて、男性ホルモンである血液中のテストステロンの分泌が低下し、自律神経の乱れにより生じる。
症状
精神症状;不安、イライラ、注意力散漫、記憶力および集中力の低下など
身体症状;疲労感、ほてり、発汗過多、頭痛・めまい、筋力低下・筋肉痛、下肢の冷え、骨密度の低下、頻尿、体毛減少など
性機能関連症状;性欲の減退、性機能低下など
注意点;
 1)栄養バランスのとれた食事の摂取
 2)自分の時間を楽しみリラックスする
 3)運動を取り入れた日常生活を維持する
 4)クヨクヨしない
 5)酒と塩分の摂取量を少なくする
 6)ストレスを少なくする
 7)楽天的でこだわらない

キンモクセイ考 2

2012年10月19日 | 通勤・交通・旅行
二晩続けての嵐のような大雨だった。低気圧の影響か、腰痛がひどい。
おとというけたインフルエンザワクチンの腫れもなかなかひかないで、つらい。
それでも、昨晩の帰り、土砂降りの中でも歩いて駅まで行けたのはキンモクセイの香りに誘われてのこと、台風一過のように晴れ渡った今朝、キンモクセイの香りを探しながら歩いてみた。

そもそも、キンモクセイという木のこと恥ずかしながら、ほんの数年前まではほとんど知らなかった。トイレの芳香剤の香りとして有名であるので、名前だけは知っていたが、そのケースの色がオレンジ色である理由について考えたことはなかった。
ところが、3年前のちょうど今頃、通勤ルートを変えてキンモクセイの香りを知るようになった。というのも、その途中にこんな説明書きがあった。
「目立たないこの木も秋の彼岸すぎごろ黄花が密生し、甘い香りをただよわせます。昔、中国から渡来した木で、庭にうえて香りをたのしみます。(モクセイ科)」とある。
そのときに、「ああ、キンモクセイ、名前はよく聞いたけど、これがそうなのか」と思った。

たしかに、普段は全くその存在を意識することのない木である。
新緑という言葉もあまり馴染まないし、そもそも葉の形など全く特徴がない。写真を撮ってみても、どうしても覚えられそうにない。庭や公園にひっそり立っている木、という感じだ。

知っている人は知っているわけで、知らぬはコロ健だけというのはよくわかっているが、それでも、年を追うごとに愛着が増してきた。
つい先日報告した通り、クンクンやりながら探している。

関東地方ではちょうど今が満開なのだろう、木全体がオレンジ色に見えるものもある。
街全体が、キンモクセイの甘い香りに包まれている。

それにしても地味な木だ。せめてと思って、なぞかけをつくってみた。

「キンモクセイ」とかけて、「病理医」と解く。その心は?

その心は「ふだんは目立たず地味ですが、やるときはやって、みんなに喜ばれます。」

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地球上に国境線を引くこと

2012年10月18日 | 日々思うこと、考えること

新聞やテレビで"社会の閉塞感"といった表現をしばしばみる。

社会はグローバル化して、むしろ世界はどんどん広がっていくはずなのに、実はもう世界はいっぱいいっぱいなのだ。
この閉塞感、世の中の果てがかすかにではあるものの、見えてきてしまったことから生じていると思える。
フロンティアの消失、という言葉があったが、すべての人は地球が丸くて小さなものであることを実感し始めている。

国ごとの貧富の差も、単なる不公平であるけれども、富の再分配をしようなどという、奇特な国はない。人は誰しも自分の安心が一番大切だ。

それでも、この期に及んで狭い地球上に国境線をひいておくことにどれほどの意義があるのかと思ってしまう。ただ、仲良くしようが、ケンカしようが、地球の大きさは変わらないことだけは確かである。


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笑ってみた

2012年10月17日 | 日々思うこと、考えること
ついにやってしまった。

比較的空いている電車で、通路を挟んで空席があり、左右どちらに座ろうかと一瞬迷ったあと、右に座ろうと一歩でたら、前から来た人に先に座られた。左にも空席はあったのでそちらに座れば良いだけの話だった。
ところが、そこで舌打ちをしてしまったのだ。「チッ」。

しまった。
相手の人が気づいたかどうかはわからないが、恥ずかしくて顔を上げることができなかった。
こんな、不快感を口にしてしまうなんてこと、これまで一度もなかったのにと、ガックリきた。

ここのところ怒りの閾値が下がっている。なにが、「いつも笑っていたい」だ。


すぐ怒ってしまうのはここ数年来の私の悩みであるが、ここのところ、通勤といわず、仕事中といわず、その悩みがつよい。

先日、妻を助手席に乗せて車の運転をしていたら、「健ちゃん、そんなにいちいち怒れるなんて、若いわね」と、皮肉を言われてしまったほどだ。一時停止無視、割り込み、ハイビーム、左方優先無視など、マナー違反、軽微な反則行為に対して一々腹が立ち、その度ごとに悪態をつきながら運転をしていた。思い返せば、一緒に乗っていて、さぞ不快だったろう。

その後、一人で運転することがあった。

妻には、出かける前に「気をつけてね、心おだやかに(運転して)ね」と懇願され、
私も「大丈夫、(怒らないように)頑張る」と言って家をあとにした。

ところが、運転を始めてものの2、3分、マナーの悪い車がいてイライラし始め、次には仕事のことだのなんだの、いろいろ思い出してもう完全に不機嫌になってしまった。知らず知らずのうちに前の車との車間が狭まっている。

「いけない、このままでは事故る」真剣にそう思って、どうしようか考えた挙げ句思いついたのが、「笑いながら運転する」だった。

そう、笑うことにしたのだ。

声も出しながらというのはちょっと難しいので、口を『い』の形にしてみる。
まるで、マネキン。だが、そのままハンドルを握っていると、案外怒る気にならない。

ETCのゲートにバイクが割り込んできたときには口を閉じて悪態をついてしまったが、「いけないいけない」と気を取り直して『い』。
都内に入る頃にはずいぶん落ち着いて『い』を続けることができた。

そんなことをしている自分がずいぶん滑稽に思えたが、『い』にしている間は、怒らないでいられた。

外から見たら、笑いながら運転しているように見えるだろう。
ほかのドライバーも、笑ってくれるかもしれない。

これをしばらく続けたら、運転のとき以外にも、少しは笑顔でいられるようになるだろうか。

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