こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

うるさい人とリスクマネジメントとの違い

2015年11月30日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

今の医療のトレンドの一つが医療安全であることは論を待たない。というか、医療安全を守るなど当たり前のことだったのに、このことが長い間おろそかにされ、医療者主体の医療が優先されてきたように思う。
医療現場で、医療者同士で不都合が生じる場合、原因は医療技術とか手順の問題となる。ある医者だったら、手術前のルーティンが違うことに腹を立てることがあるだろうし、患者への接遇について独自の考え方を持っている看護師もいるだろう。そういうのを周囲の人間に教えてきて、今まで医療は進歩してきたが、最近はきちんと指導するとすぐにパワハラだなんだとなってしまい、どうも具合がよくわからない。指導などしないほうがよほどましだが、そうすると教えてくれない、無視されていると文句を言われることとなる。

なら、一体どうすればいいんだよ、とこぼしているうちにあれこれ指導する人間はうるさい人間として逆に疎外されて、上にも下にも世渡り上手の人だけが生き残っていくようになってしまった。

最近は、箸の上げ下げぐらいは教えようということになって、リスクマネジメントシステムが導入された。例えば手術前この患者確認などトリプルチェックとなり、やっと聖域だった医者についても注意できるようになった。ほんとうにやっとだ。

 

医療現場には様々なルーティンがあって、それを一つ一つ経ることで、最適な診断、治療に結びつく。 そういったことをいちいち言われるのが嫌な人は多いみたいで、仕方なく、リスクマネジメントシステムを正式なものとすることで、文句を言えないようにした。 それでも、うっとうしい顔をする人は相変わらずたくさんいる。

結局、いつまでたっても良心的にやろうとして口うるさい人間、言い過ぎたらパワハラになる。そして、開き直って少々嫌な顔をするほうが得をしたりする。

何ともやりきれない世の中だ。

幼稚な人が増えた

にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ  


迷惑な人に迷惑だとは言わないほうがいいか

2015年11月29日 | 日々思うこと、考えること

生きているだけで、人は他人に迷惑をかけている。

だが、そんなこと言っていては生きて行けないので、少々の迷惑には目をつぶるとして、社会にはそれなりのルールとか、マナーがある。

 

姪のお祝いに、今朝和菓子屋さんについてもらった一升餅と、昨日買ったプレゼントを持って出かけた。11月最後の土日、好天にも恵まれ鎌倉は大変な人出だった。こういう日は日中に車で出ることは極力避けているのだが、今日はそうもいかない。行きはせれでも良かったのだが、帰宅時が大変だった。どこもかしこも道路は人であふれ返っていて、人も車もにっちもさっちもいかなくなっていた。これに加えて、人力車とか大型観光バスまで走るとなると、もう混沌と言っていい。それでも、互いに気をつけるほどとなって、目立った事故が起こっていないのが不幸中の幸いだろう。

というようなところで、ある車も人も通りの多い交差点で停止線のところで信号待ちをしていたら、後ろの駐車場から無理に車を出した管理人が少し前に出ろと身振りでいってくる。前から観光バスが曲がって来ているのにそんなことをさせていったいどういうつもりだと、文句のひとつでも言おうと思ったら横に乗っていた妻にたしなめられた。「あの人達の身にもなってみなさいよ、無理にでもああしなきゃいけないのだろうから。あと、近所でそういうことはしないでちょうだい」と言われた。

今朝、パン屋でレジのところに品物を持って行ったら、こちらの顔も見ず、何も言わずにいきなりレジ打ちをはじめた店員に、「おはようございます」とこちらから言ったという話をしたら、同じような調子で妻に文句を言われた。「忙しかったんでしょ、それにその人に、私や娘がなにかされたらどうするの?」と。

 

どちらも、納得するしかないことだけど、どうも釈然としない。交通ルールを守ること、たとえば高速道路で車間距離をとっていたら、割り込まれてばかりで、後ろの車には追い立てられもする。人と人のやり取りなのに、挨拶一つない商店。電車の中のトラブルのほとんどすべてがマナー違反が原因だ。昔は、なにか勝手なことをやって開き直るのはそのスジのひとがすることだったのに、いまでは誰でも、私もそうかもしれない、すぐに開き直って自分を正当化、すなわち逆ギレする。そして、逆ギレしたほうが、だいたいの場合得をする。

「あんな人にかかわるのはやめておきなさい」なんて、今では「人にかかわるのはやめておきなさい」となりつつある。

社会が息苦しくなっている時だからこそ、互いのルールを守って、互いに気持ちよく過ごしたいと思うのだが、なかなかそういかない。

価値観が大きく転換しているというのはわかっているけれど、では、自分も自分勝手な人間になっていいのか、それとも迷惑な人に迷惑と言わない人間でいたほうがいいのか。よくわからない。

怒りたくて怒っているわけではない

にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ  

 


もうクリスマスモード

2015年11月28日 | 日々思うこと、考えること

雲一つない、きれいな夜明け。放射冷却現象のせいで、今朝はむちゃくちゃ寒かった。車の寒暖計は3.5度。まるで1月だ。

姪の1歳の誕生日がもうすぐということで、誕生日プレゼントを探しに出かけた。今日から始まった六本木ヒルズのクリスマスマーケット、今年で9回目ということだ。以前鎌倉の小町通りにあったドイツの「ケーテ・ウォルファルト」が 出店したということでやってきた。

このお店のほかにも北欧などのクリスマスショップがあって、もうすっかりクリスマスだ。

この間、ハロウィンの大騒ぎがあったばかりだったのに早いものだ。ハロウィンにはとてもついていけなかったが、クリスマスは今年もいつも通り楽しめそうだ。それにしても、日本人は本当にお祭り好きだ。

秋祭り、ハロウィン、クリスマス、正月、バレンタインデー。商売とリンクしているといっても、これほどというのは・・・。まあ、楽しければいいか。

鎌倉にあったお店の五分の一位のちっちゃなスペースで品物もほんの少しだったが、品物はどれもいいものだった。かわいらしいオーナメントがあったので、プレゼントに買い求めた。昼前に行ったら、けっこう空いていて拍子抜けしてしまったが、夕方帰るときには長蛇の列とだった。小さな子供連れの人が多かったが、いいお買い物できただろうか。 

子供も大きくなってわが家にサンタクロースは来なくなった。それでも、街のにぎわいにあわせて、わが家も少しずつ準備しよう。

 夜景も見に来ようか

にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ  

 


他人への期待

2015年11月27日 | 日々思うこと、考えること

他人とかかわる時、どんな気持ちでいたらいいだろう。一番いいのは相手に何も期待しないことではないか。

期待には、いい期待とわるい期待とがあるが、もちろんそのどちらもしてはいけない。すなわち、予断を持たないということ。


なにも、相手がわるいとかそういうことではない。何の根拠もなく自分にばかり都合の良いことを勝手に期待して、裏切られたときのことを考えると、始めから何も期待しなかったほうがよほどいいということだ。期待された方だって、何でもかんでもかなえることなどできないわけで、いい迷惑だ。そのうち、関わりすらもってくれなくなるだろう。

逆にわるい期待をしたらどうか。相手が自分に対してこんな嫌がらせ、あんな嫌がらせを次々に繰り出してくると勝手に思ったりしたら、関わる前から相手のことを憎んでしまうことになって、話が何も始まらない。あまり、悪い方に考えるというのもそれほどいいことではない。

では、いつも誰にも期待しないでいていいのか。ある意味無関心ということだが、これは仕方ない。相手を見る時は虚心坦懐、あれこれ考えずその場その場で対応するのが一番いい。

もちろん、準備できることがあれば、客観的な気持ちで準備する必要があるだろうが、相手が一体なにを考えているのかわからないようであれば、あきらめるしかない。

 期待されないというのはどうか

にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ 


お願いだから、それ以上は

2015年11月26日 | 日々思うこと、考えること

昨日、トルコ空軍機がロシア空軍機を撃墜するということがあった。このことに関しては起こってしまったことでとりかえしがつかないが、なんとかしてここで解決して欲しい。


ネットに、これが戦争のきっかけになるだろう、などという本気とも冗談ともつかないことを書き込んでいる人がいるが、そういうことは冗談にしないで欲しい。戦争はしても、考えてもいけないことだ。

人間が生きていく上でしてはいけないこと、禁じ手があるとすれば、戦争は人類にとっての禁じ手だ。日本だって、対岸の火事と高みの見物を決め込んでいるわけにはいかない。つい先日、戦争法案が可決されたことをよもや忘れてはいないはずだ。事故、という言葉を使っているテレビ局があった。かっこ悪くても、そんな言葉を使ったのは賢明だと思う。

紛争というレベルならば、世界中のどこかで常に生じていて、毎日多くの人が殺されている。テロも毎週のように起こっている。 そういったものを含め、殺し合いは終わらせないといけない。そしてまた、そのようなことをするしか生きる術のない人達に協力しても、口車にのせられてもいけない。

 犠牲者はいつも若者

にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ 


お気に入りの教科書

2015年11月25日 | 読書、映画、音楽、美術

私のお気に入りの教科書に『図説 組織学 第五版』というのがある。

どうすれば学生が組織学に興味を持ってもらえるかというコンセプトで書かれており、そのことが読者に飽きさせない内容にさせている。
というのも、初版の序の書き出しが、『組織学は過去多くの諸君にとって退屈な学問であった。』ということからもわかる。

 

基礎医学の中では組織学が好きだったので、よく勉強したがなかなかいい教科書が無かった。組織学の延長かどうかわからないが、結局、病理医になった。駆け出しの頃、この本が座右にあって勉強できていたら今より数段パワーアップできていたのではないかと思う。遅きに失した感はあるものの、15年前にこの本に出会えてよかった。

この教科書の中で私が好きな文章がある。

9.皮膚の説明のところで、皮膚の機能として、保護、感覚、体温調節、代謝機能が書かれているのだが、この版から”性的な魅力”というのが加わった。この説明の、

「この機能は全く過小評価されているが、皮膚、毛、爪のテクスチャーと見かけを改善すると主張される産物と欠陥を隠したり小さくする巨大な産業を生み出した。」というものだ。 なんだか、とても人間くさくていい感じの文章だ。1冊の基礎医学の教科書が、美容医学とか化粧品業界につながっていることがよく伝わってくる。 ほかにも、少しだけこういう感じが伝わってくるところがあり、全体的に読みやすい。

 日本人が書いたいい教科書もあるが

にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ  

 

機能を中心とした図説組織学
バーバラ ヤング,アラン スティーブンス,ジョン・W. ヒース,ジェームス・S. ローエ
医学書院

まだなにも片付いていない

2015年11月24日 | 日々思うこと、考えること

病院を出たら、北風がビュービュー吹いていた。明日から寒くなると思っていたら、どうやら今夜からだったようだ。 昨日は小雪、さすがに東京の雪はまだだが、木枯らしは寒い。セーターだけで歩くことができるのは今日限りか。

それにしても、時が経つのは早いものだ。十一月も残りあと一週間。今年中にやろうと思っていたことのどれだけを片付けることができただろう。というか、何一つ形となって片付いたものは無い。

試験勉強と同じで、こう考えると少々そわそわしてしまうが、慌てていいことは無い、まだ片付いていない仕事の一つ一つを丁寧にやるしかないだろう。

 忘年会の予定は控えめに

にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ  


日本橋

2015年11月23日 | 日々思うこと、考えること

日本橋の近くで会議があり、帰りに写真を撮ったのだが、橋の写真を撮り忘れた。

今さら日本橋でもないが、一度ぐらいは書いておこうと思った。今日は、勤労感謝の日でもあって、実はなんだか気が抜けてしまったということもある。

さて、私にとって日本橋は道路の起点というイメージよりは、三越とか高島屋の印象が強い。子供の頃、祖父母に連れて来てもらった思い出がある。この日本橋の三越と高島屋、私にとっては別格で、銀座や新宿、横浜とは違うし、伊勢丹とも違う。

たまに買い物をすることがあるが、横で立派なおじさん、おばさんが買い物をしているといまだに気後れする。

で、日本橋だが、ここ10年ほどでずいぶん変わった。いろいろなショッピングセンターができて、休日の人通りも多い。

三越の向かいにあったトンカツ屋が店じまいしてしまったのが、唯一残念である。 

 道路元標

にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ  


どこまで行ったらもったいなくないか

2015年11月22日 | 日々思うこと、考えること

臨床細胞学会が名古屋で開催された。細胞診専門医なので、資格更新のために参加するのはもとより、いくつかの講習会にも出席して勉強する。生涯学習は当たり前のことなのでとくに不満は無い。

ただ、移動が面倒だ。学会がいつも近場で行われるわけではない。今回は名古屋だから、往復でそこそこの交通費がかかる。せっかく名古屋まで行ったのだから、金華山辺りまで行って紅葉を楽しみたいところだが、一人だし、一泊余計にしたらお金がかさむだけだ。というわけで日帰り。

せっかくどこそこまで行ったのなら、すぐに帰らず一泊ぐらいして楽しんできたらいいのに、とよく言うが、ではどの辺りまで行ったらそうなるだろう。
神奈川を起点とすると、岡山以西、軽井沢以遠、仙台以北、という気がする。交通費を別とすれば名古屋は片道一時間半足らず、遠出という感じはせず、いつでも来ることが出来るような気がするので、泊まってまでどうこうとは思わない。ただし、京都は別である。



 新幹線が速いのか日本が狭いだけなのか

にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ  


もう少し優しい親でいたい

2015年11月21日 | 家族のこと

息子や娘、バイトに勉強にと忙しく、帰りが私よりずっと遅いことも少なくない。

夕食は帰りを待ってからということになるのだが、昼食をとってからそれまでスナック菓子くらいしか口にしないでいれば、当然お腹も空く。

 夜は物騒なので、駅まで車で迎えに行くのだが、車に乗って来た息子や娘に、「お帰り」としか声をかけないでいたことに気がついた。

この子達だって、バイトだの勉強で頑張って、お腹ぺこぺこで頑張ったうえで帰って来ているということに気がついていなかったのだ。

ああ、ダメな親だと思う。自分だけが疲れて、お腹をすかせていて、おまけにビールを飲めないのを子供たちのせいだと考えていたなど、とんでもないことだ。彼らの気持ちをどうして考えられないのだろう。私が、彼らの立場だったらさぞ辛かったろうと思う。妻にしたって同じだったろう。

家族の気持ちもわかってやれないようでは、他人に対してはどれほどだったかと思うと情けなくなる話だが、これまでのことを今さら嘆いても仕方ない。

気がついた今から、家族にも、周りの人にももっと優しく生きて行こう。

 立場が弱い人に向かっては特に

にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ  


とっさに名前が出てこない

2015年11月20日 | 日々思うこと、考えること

最近、会う人の名前がすぐに出てこないことがある。

あまり、人と接することがなく、名前を覚える必要が少ないからかもしれない。だが、暫く会わなかっただけなのに名前が出てこないというのはやはり困る。

つい先日も、犬のエサを買いにいった時に二三ヶ月ぶりに会った人がいた。 そのとき「先生は、どんなわんちゃん飼っているんですか?」

と親しく話しかけられたのだが、その人の名前を呼ぶことができず困ってしまった。 その場は犬のことを話して紛らわせた。

いつも一緒に仕事をしている人ではないので、仕方がないといえばそうなのだが、ときどきはお世話になっている人なので、忘れたとばかりも言っていられない。

で、その一週間後、その人と病院でもすれ違ってしまった。また出てこない。丁度、そのときちょっと苦手な先生が手前にいて、その先生に会釈をしていたら、その人が来たのだ。残念、またもや名前を呼ぶことができなかった。

 

その翌々日また会った。続く時は続くものだ。そのときにはさすがにその人の名前を呼ぶことができ、犬談義に花が咲いた。

失礼いたしました

にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ 


置かれた場所で咲きなさい : Bloom where God has planted you.

2015年11月19日 | 読書、映画、音楽、美術
 

ノートルダム清心学園理事長、渡辺和子さんの書かれたこの本を読んだのは、この5月のことだった。

あまりにもいろいろなことが立て続けに起こり、くじけそうになったとき妻が薦めてくれた。

そして、この本のおかげで私の心はとても落ち着き、人生に希望を持とうと思った。

だからといって、その時から、なにか私の周囲の状況が大きく変わったかといえばそんなことはない。

でも、今日この言葉をふと思いだした。

『置かれた場所で咲きなさい』

Bloom where God has planted you.

人間、誰しも自らがどこかへ行ってなにかをしているわけではない。

神様がその人をそこに置いたのだ。

そこで咲くことで、神様がその人をそこに置いたことが間違っていなかったと証明できる。

神様の仕業というのはキリスト教的な考え方かもしれないが、キリスト教徒でない私にもその意味は伝わってくる。

人生、いいこと、楽しいことばかりではない。

それよりも、嫌なこと、思うようにいかないこと、悲しいことなんていくらでもある。

だがそれは、自分が悪いためではない。

自分の置かれている場所こそ自分に求められていることをなす場所で、それが辛いことであったとしても自分が招いたことではない。

嫌なこと、悲しいことがあった時、自分がダメなんだ、悪いんだなどと思う必要は無い。

自らが置かれた場所は、神様が置いた場所。

そこで咲こうとしたらいい。

私の心に残った言葉。

・神は力に余る試練を与えない。

・倒れても立ち上がり、歩き続けることが大切。

・苦しい峠でも必ず、下り坂になる。

・失ったものを嘆いても前には進めない。

・悩みを抱えている自分も大切に。

・現実が変わらないなら、悩みに対する心の持ちようを変えてみる。

・相手を生かすぬくもりのある言葉を使える自分でありたい。

・不機嫌は立派な環境破壊。ただ笑顔でいよう。

 

 それをできなくするテロ虐殺戦争は悪

にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ  

PVアクセスランキング にほんブログ村


後悔しないための生き方

2015年11月18日 | 生き方について考える

人生は1回、そしていつ終わるかわからない。せっかく生を受けたからには、後悔の多いものであって欲しくない。

人間は社会的な存在だから、人との関わりを完全に捨て去ることはできない。従って、人生では、自分自身のこと、自分と他人のこと、二つのことを考えていかなくてはならない。


自分自身のことであれば、一瞬一瞬善かれと考えられる行動をとる。他人とのことならば、その人のことを大切にしながら接するということか。
どちらも気を緩めるとすぐおろそかになってしまいそうだが、いつもそうしていることで、後悔することのない人生を送ることができるように思う。

 よく見ながら生きる

にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ  


早起き鳥

2015年11月17日 | 鎌倉暮らし

夜明けの時間が日を追うごとに遅くなってきた。起きてすぐに窓を開けると、遠くの方がほんのりとオレンジ色に光っていて、太陽が顔を出すにはもう少しかかりそうだ。まさしく暁、という表現があう。

近所の小鳥たちもこのぐらいの時間から起き出してくるみたいでうれしい。春から夏にかけては夜明けが早すぎて、朝寝坊の私は小鳥たちの会話を聞くことはできないが、今の季節、私が起きての犬の散歩の時間が夜明けに重なってそれができる。

 

今の時期はモズなのだろうか、鳥もやっぱり忙しそうで聞いていて楽しい。

朝食のことを話しているのか、それとも今日遊びに行くところの打ち合わせをしているのか。

散歩から帰って来る頃にやっと夜明け。雲に反射する日の光が美しい。今夜から明日にかけてはまた雨の予報。明日の夜明けは期待できそうにない。

小春日和が続きます

にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ 

 


テロに負けない

2015年11月16日 | 日々思うこと、考えること

先週の金曜日、フランスのパリでのテロは100人を超す多くの人が意味なく命を奪われた。

犠牲者の方々のご冥福を心からお祈りします。

いったいどんな人がこのような残忍なことを考え、実行に移すことができるのだろう。

テロというのは、犯行声明が出されてはじめて意味があるので、そのうち誰かが声明を出すに違いない。だが、それすらもせずただ終わりにするということもありうる。 それでも、実行犯内では互いの了解のもと結束は強まりある意味、成功ということになる。実行犯の大義、信条すらわからないようでは、われわれの世界はこの先、何十年と得体の知れない恐怖と戦うこととなる。

戦うことは正義ではない。互いを理解するまでとことん話し合わなくてはいけない。

だが、今はそれすらできない状態となっている。もともとそういうことができないのがテロだ。これが頻発するとなるとは深刻な状況だ。

どのような形で対抗するかは別として、私たち一人一人は、テロに負けない、という気持ちを持っていなくてはいけない。

 

 覚悟が必要

にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ