こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

平和と書いてピンフと読んでいたころ

2012年04月30日 | あの頃のこと…思い出話
私の病院の男子トイレのひとつに、アサガオ3、個室3、手洗い2、という組み合わせの場所がある。
あるとき、入ったら、個室三つのドアが閉まり、アサガオを二人、手洗いを一人が使っていた。
『イーシャンテン(一向聴)』即座にそう思った。実際、私が入ってアサガオについたので、アタマ待ちでテンパったわけだが、残念ながら「あが(和了)り」にはならなかった。
その後も、私が入っているときに、あがり、ということにはなっていない。おそらく、あがるのは実際の麻雀で役満をあがるよりも難しそうだ。

学生時代、週末などは、部活(バスケ)の練習が終わったあと、よくマージャンをした。徹麻もたびたびだった。くわえ煙草に、出前のカレー、全自動卓の真ん中のサイコロというのも懐かしい。勝っているときはカレーにはカツを乗せた。役満は四暗刻を一度上がったことがある。
スッタン(四暗刻単騎待ち)は、プロ級の先輩に振り込んだ。スジで安パイだと思っていたのだが、引っ掛けだった。私自身はダブル役満をあがったことは無い。

もう、かれこれ20年以上牌を握っていないが、それでも折に触れて思い出してしまうということは、麻雀中毒だったのだろうか。

昭和の終わりから平成の始め、バブルの真っ盛り、麻雀界も元気があった。片山まさゆきの『スーパーヅガン』だとか、能條純一の『哭きの竜』などというマンガがはやっていた。麻雀が下火になったのはいつごろからだろうか。
例によって、本当のところは実際の市場の動向に疎くてとろいマスコミが麻雀ブームを企画にし始めた頃だと思う。阿佐田哲也の麻雀放浪記が映画化されたあたりがピークで、そのあとはたいして上手くもない芸能人がテレビで対戦するようになり、麻雀が日陰から日なたに出るようになって、雀狂たちは駆逐され一般化された。
最近、雀荘を見なくなったと思っていたが、先日の病理学会が新宿だったので、雀荘を探してみた。アルタの横あたりの雑居ビルに雀荘の看板を探し出すことはできなかった。私があっという間にすっからかんにさせられたフリーの雀荘の影も形もない。
歌舞伎町の方に行っても同じだった。客引きの声を振り切りながら、裏の方まで見て歩いたが、雀荘の看板を見つけることはできなかった。

馬場や下北あたりで探せば、まだまだあるのかもしれない。それに今でも麻雀好きはいるだろうし、すごいハイレートでやっている場所などもあったりするのだろうが、ちょっとだけアウトローの娯楽としての麻雀は事実上消滅してしまったような気がする。

麻雀業を生業としている人は多いだろうし、麻雀が消えたとは思わない。競技麻雀とか、老化防止のための健康麻雀とか、麻雀は明るく正しい遊戯に姿を変えて存在している。ただのゲームとして。
だけど、麻雀という「文化」を利権としてこれに多くの人が群がりすぎ、消費しつくしてしまい、その「文化」が消滅してしまい、現在のような姿に変わるしかなかった。
大学の目と鼻の先の、ボロのビルの3階くらいで少しくたびれたおばちゃんが店番をしているような雀荘、そんなものがひっそりと、でも確実にあった頃、麻雀は密かな文化として社会に存在していた。でも、もうそんな時代には戻ることは二度と来ないのだろう。

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画像の出所
1枚目
2枚目

なんとなく過ごした一日

2012年04月29日 | 日々思うこと、考えること
私の願いは、病理学会での発表が無事成功することよりも、学会終了後、紀伊國屋か三省堂のような大きな本屋で2、3時間うろうろして面白そうな本を探すことだった。

結局、3日目の帰りがけに新宿の紀伊國屋に寄って、2時間ほど店内をうろうろして、妻に頼まれていた料理本と、ここ数か月の間に、新聞の読書欄に出ていていた、三島と谷崎を買った。三島も谷崎も昔読んだことがあったはずだが、内容はほとんど覚えていない。ほかにも書評欄に出ていて買いたいと思っていて、書名を覚えていた数冊の本を探しだして、購入した。
自分へのご褒美というほどではないが、少しの間、読書を楽しんでも罰は当たるまい。

そもそも、年がら年中病理のことで悩んでばかりいたら、このブログだってマンネリになる。

さて、ゴールデンウィーク。

昨日、積読本だった本を読み始めて、今朝は続きを読もうと4時に目が覚めてしまった。
娘のバレーの試合の応援に行って、その足で病院に顔を出し、病理学会の荷物を整理して帰ってきた。
出かける前に、フラットコーテッドレトリバーのナイトの散歩に出たが、鎌倉は朝からすごい人出だった。

何をしたというわけではないが、何もしない一日、なんとなく過ごす一日というのも、これはこれでいいものだ。

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日本の医療の将来の一翼を担うべく病理学

2012年04月28日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

第101回病理学会が終わった。
初日は一日、二日目は総会から、今日は朝から宿題報告まで。
それぞれ、自分の示説発表、座長、講演、講演、委員会。とまあ、後にも先にも無いような忙しさだった。もちろん、コロ健のレベルである。

先日上梓した本も平置きになっていて、聞こえてくる評判はまずまず。
多少は、日本の病理学の進歩のお役に立てたかと思った。

さて、その日本の病理学の牽引役である日本病理学会。
今回は、じっくり見ようと思っていろいろ歩き回ってみた。

病理学会の方向性というのを明確に打ち出されたような気がした。
率直に言って、アカデミズムの復活。病院病理医の存在は薄められ、人体病理だ、実験病理だという話はアンケートにのみわずかに垣間見られただけ。

演題の多くは、熱心な演者によって行われ、ほかの先生と立ち話をしたら、「今回はいい演題が多かったですね」と評価していた。

病理学というのは日本に限らず医療の根幹をなすものは確かだ。
とくに、ポストゲノムの時代に入り、形態学という人間にしかできない作業を行うことのできる病理医は、この先人数が減ることとも相俟ってますます貴重な存在になる(それでも地位の向上はない)。
診断病理というのは、実験をやりながらできるものではない。
毎日毎日、骨身を削るように頑張って仕事をしなくてはいけない。そんな病理医に論文を書くようなファイトを持て、ということだろうか。
それをわかったうえでの、会員への問題提起だったように思われる。

研究をしない医者なんて、大したことないんだよ。
それを突き付けられたけど、反論することは難しい。確かに、そういう考え方も正しい。

まあ、そんな問題意識を持った会員が出たということだけでも、成功だったのかもしれない。


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二番を受け入れさせる国

2012年04月27日 | 日々思うこと、考えること

第101回日本病理学会の特別講演、演者は「はやぶさ」プロジェクトのプロジェクトマネージャーの川口淳一郎教授だった。
「はやぶさ」プロジェクトの成功は、世界に冠たる輝かしい成果であった。宇宙科学など、米国の専売特許のようなものかと思っていたが、実は、日本もトップを走っている分野があるということは大変な誇りだ。
それでも、NASAはこの遅れを取り戻すべくはやぶさプロジェクトの4倍の予算を投入してくるそうだ。
だけど、わが国政府は2番目だか3番目だかで十分、という考えらしく予算はこれまでの半分になってしまうそうだ。NASAの8分の1。

現政権の基盤が弱い理由は、それぞれが選挙での当選を目指す非自民の集まりだからということが天声人語にあった。なるほど、選挙だけが目的なら、理想も理念も必要あるまい。
だが、これでは私たち日本の将来はたかが知れている。

スーパーコンピュータにしても、日本には世界一が必要だ。

政治家は、よく『日本を元気に』とか、『日本再生』などといっているが、日本は十分元気で、再生の必要はない。今の日本を”さらに”伸ばす事こそが求められているのである。
日本の政治は金がないことを理由に日本人に二番目、三番目を受け入れさせようとしている。それでは、私たち日本人はもっと貧しい国民に堕ちてしまうに違いない。


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なんとか乗り越えました・・・病理学会初日

2012年04月26日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

病理学会初日。
発表2、座長2。なんとか、やり通した。ポスターセッションの発表一つと座長二つ、声がかれてきたところで、口演30分。つらかった。

いろいろあって、こんな羽目になったのだが、終わってしまうと後悔ばかり。

いつものことながら、雨あられのような質問に、自分の無知を自覚させられた。
まあ、そのために性懲りもなく、学会にやってくるのだが、それにしてもしんどい。
明日もまた、しんどい発表が一つ残っている。
だが、これを乗り切ればなんとか今年の病理学会も山を越す。

というようなことを家に帰ってからぶつぶつ言っていたら、妻にこういわれた。
「ねえ、それ、いつものことじゃない?
あなたの周りの人は、そんなあなたに仕事を任せるような人ばかりなの?」

「違うけど」

「なら、もっと自信を持っていいんじゃない?」

そうか、そう考えれば、よかったか。
なにはともあれ、今日はさっさと寝て、体力を回復させよう。

明日は、明日の風が吹く。

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そこのけそこのけ車が通る・・・ならば道路に段差を設けて!

2012年04月25日 | 日々思うこと、考えること
京都で悲惨な交通事故が起きた。
通学中の児童の列に居眠り運転の自動車がつっこんだとのこと。
自分もしばしばハンドルを握るが、こういうニュースを見聞きするといたたまれなくなるし、自分が当事者になったときのことを思うと戦慄を覚える。

いつも思うことだが、日本というのはなぜ、こんなにも自動車優先思想がまかり通っているのだろう。

その第一が歩道橋だ。
歩道橋というものは人が車をよけて歩くことを強制している。
尋常ではない存在だ。


外国に行って歩道橋というものを見た覚えが無い。
あったのかもしれないが、思い出そうにも思い出せない。

京都の事故は通学路で起こった。
私の朝の通勤路の大部分も通学路だ。

だが、30キロ制限のこの道を抜け道として使う車が多く、そのほとんどが50キロ以上出して走っている。
緩やかなカーブがあるので、そこから飛び出してくる車も多く、自転車などもいたりするとヒヤッとすることも多い。
途中の交差点にお巡りさんが毎朝立っていて、なんとかなっているが、いない日はひどいものだ。

横断歩道で止まる車、というのもほとんどいない。

外国では横断歩道の前に人がいれば、必ず止まる。
日本の道路交通法でもそのように決まっているはずだが、それを守る人は10人中1人か2人だ。

日本が貧乏だった頃、車を持っている人が威張って、走り回っていたのがそもそもあるのかもしれないが、それにしても情けない。
自動車産業を保護するために、自動車天国にしているのかもしれないが、それにしてもこれほどの重大事故を起こしてしまえば、逆効果だ。
若者の車離れはますます加速するに違いない。


新聞の投書欄にもときどき出るが、どうして、道路に段差を置かないのか、不思議だ。
アメリカでも、韓国でも道路の多くに段差が作られていた。
道路に段差を作る工事は、人からコンクリートへ向かいつつある現政権にとっても、人から人への公共事業となるに違いないと思うのだが、どうだろう。
いまから、急に交通安全のモラル対策をしても間に合わない、まずは強制的にスピードが出ないようにするのが先決だろう。

通学路、信号の無い横断歩道の手前、人通りの多い交差点(渋谷道玄坂側、新宿アルタ前など、空いていても高速で通り抜ける必要のない道)の周辺など、徐行すべき道路には段差を!

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「まさか子供たちが…」 集団登校の列に車 京都・亀岡
産経新聞 4月24日(火)7時55分配信
 ■狭い道「不安」、現実に
 祇園暴走事故の悲しい余波も収まらない23日、今度は亀岡市で軽乗用車が小学生の集団登校の列に突っ込み、子供や保護者が死傷した。血を流して路上に倒れた幼い子供たち。近くの人たちは懸命に、子供たちに声をかけ励ました。
 現場近くに住む主婦(68)は「ドスンという音がして外にでた。子供や女性が道路に倒れていた。動かない男の子もいた。道路のまんなかには女の子2人がはね飛ばされ、1人は頭部から血を流してぐったりしていた。もう1人は『痛い、痛い』と泣いていた」という。
 「ランドセルがあちこちにあり、言葉にならない悲惨な状況に足が、がたがたと震えた」と、事故直後の様子を話した。
 現場近くで農業を営む男性(77)は、「家の前をサイレンを鳴らした救急車が通り過ぎ、学校の先生たちが何人も走っていたので事故だと直感した」という。
 男性によると「現場では子供たちが倒れており、保護者らしい女性が救急車で搬送されていた」と話し、「現場にはランドセルが散乱して、救急隊員たちがけがをした子供に応急処置をしていた。子供たちはショックからなのか、声も上げずに放心状態だった」。
 男性によると、学校は児童たちの登下校の交通ルールを十分指導しており、雪の日は校長が除雪剤をまいて、子供たちの安全を見守っていたという。
 また、近くの女性(33)は、「事故に遭う直前の集団登校中の子供たちを見た。狭い道路に気をつけようねと子供たちに普段から話していたのに…」。
 近くの無職女性(71)は、「事故をテレビで知って学校に駆けつけた。4年生の孫は大丈夫だった。現場の道路は狭いにもかかわらず、スピードを出す車が多い。いつか事故があると思っていたが、子供たちが巻き込まれるとは」と話していた。

花壇

2012年04月24日 | ガーデニング・菜園・花・緑
日の出が4時台になり、気温も20度近くになってきた。
とても過ごしやすい季節が到来した。

わが家は横の道路の壁との間に玄関までの通路を作っているのだが、その隙間に土を入れている。
通りから見れば裏なのだが、玄関があるので表、という場所なのだが、ここに冬の間、妻がせっせと球根や苗を植えていた。
一体どうなるのだろうと思っていたら、最近どんどん花が咲き始め、家と道路の間に挟まれた細い場所にも関わらず、結構見応えのある花壇となった。

ジギタリスの花。

コナラの花は珍しいそうだ。

線香水仙というらしく、2年越しで花をつけたらしい。

ほかにも珍しい花が咲いているようだが、あまりに種類が多くてよくわからない。




連休に入ったら、せいぜい雑草取りに精を出すことにしよう。

幸い、ミントはまだ出てきていない。

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何度やっても酔えん会(予演会)

2012年04月23日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
施設内の病理医と、関連臨床科の先生方を交えて、木曜日と金曜日の講演の予演会を行った。

いつものことながら、落ち込む。

いったい、これまでの病理医人生って、なんだったんだろう?とつくづく思う。

内容もさることながら、時間調整もうまくいっていない。
30分の演題は時間オーバーしてしまうし、40分の演題は尻切れトンボ。

それぞれスライド100枚くらいなので、パワーポイントで配布資料を9枚/ページで作ってみる。
俯瞰してみると、どのスライドもつっこみどころ満載だ。

あれほど苦労して撮った写真ばかりなのに。
染色によっては、一体何が映っているのかわからない。泡沫細胞など、ひどいものだ。

電顕写真だって、撮った時は美しいものが撮れたと思っていたのだが。
もう少し明るい写真を撮り直した方がいいだろうか。


さて、どうしよう。

今日は反省して飲まずに寝ることにする。
予演会の日はいつも落ち込んで一日が終わる。

いくつになっても、酔えん会。
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かじり-つ・く【齧り付く】

2012年04月22日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
広辞苑によれば、かじりつくの意味は、
1) くいつく。かみつく。
2) 離れないようにしっかりと物に取りつく。しがみつく。
(比喩的に)地位などに執着する。「母親にー・く」「大臣の椅子にー・く」
とのこと、
そうすると、ここ数日来、私は「顕微鏡にー・いている」ことになる。

学会の準備で、結局のところ標本に立ちもどり、標本を見るために顕微鏡に齧りついている。

仕事が仕事なので、病理医が顕微鏡を日がな一日覗いているのはあたりまえなのだが、ここのところは、”しがみついて”いる、というよりは、むしろ゛すがりついている゛といったほうがいいくらいではある。

それはさておき、嬉しいもので、顕微鏡にしがみついて、標本を見れば見るほど、標本は必ず私に何かを語りかけてくれる。

病気の成り立ちを語るとき、論理の飛躍はない。
最初のきっかけがあり、つぎつぎと細胞の反応が起こり、相互に影響しあって病変が形成されていく。
病理医の仕事の一つは、標本上に見えているすべての事象を、整合性を持って説明することである。
そしてその説明を、診断書として文章にする。


今日は、朝から電顕にも齧り付いていたら、やっぱり新しいことがわかった。
正確には、文献に書かれていることを自分の目で見て納得した、ということなのだが。

それはそれで嬉しいのだが、それだけしゃべりたい内容が増える。
人間、知っていることを自慢したがる。

でも、今回はちょっと間に合いそうにないので、その辺りのことは割愛しようと思っているが、どうだろう。時間も足りなくなってしまうし・・・。
  


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同時進行というのは気が散っているということではない

2012年04月21日 | 日々思うこと、考えること
いよいよ病理学会前最後の土日である。
結局のところ、仕事の合間を縫って準備をする、などということはできず、休みの日に朝から学会準備モードでやるしかない。
本当は、例のアトラスの出版記念パーティーでも開きたいのだが、それどころではない。

先日も考えたことだが、人間どれほどのことを同時に考えることができるのだろう
私は、子供の頃、しょっちゅう
「落ち着きの無い子ですね」と、学校の先生に言われていた。
先生にそう言われれば、自分というものがそういうものなのだと思って、自分は「落ち着きの無い子」なのだと自覚しながら育った。だから、今でも自分は落ち着きの無い人間だと思っていて、ゆったりどっしりした人を見るとうらやましく感じる。

さて、今日明日で、演題3本をとりあえずは形のあるものに仕上げないといけない。そのためには、その作業に集中しなくてはならない。だが、それぞれの演題はオーバーラップするところはあるものの、全く別物だ。本当なら、1本だけに集中したいのだが、そうはいかない。
それに、今日明日でしなくてはならないことはほかにもまだある。このブログ(こんきも)の記事だ。そうすると、文章を5本は書くことになる。こんきもにしたって、書きっぱなしではいけない。推敲をしてから、アップする。アップしたあとも、おかしなところがあれば、数回は書き直す。
同時進行でいろいろなことをしなくてはいけない。

集中力が足りない、などと人に対してずけずけ言う人がいるが、人それぞれの都合があるわけで、そう言う言い方は相手の状況を考えずに、ただ傷つけるだけであまり良くない。とくに、子供には言わない方がいい。子供にだって、いろいろ都合がある。叱られていたって、あとで遊ぶことばかり考えている。第一、言っている本人だってそれほど集中して生きているわけが無い。

今朝、家を出る前にフラットコーテッドレトリバーのナイトと散歩をしたが、ナイトも歩きながらいろいろ考えているようだった。オスワリをしていても、ほかの散歩している犬が気になっていた。
気が散る、というかいろいろ考えるというのは、なにも人間だけの特権では無い。
生き物たるもの、つねにあれこれ考えながら生きている。


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書籍(アトラス)上梓

2012年04月20日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
ある時、上司と「ここの症例のうち、典型的なものとか、比較的まれなものをまとめたら、そこそこの教科書ができるのではないか」と話をしたことがきっかけとなり、これまで原稿を書かせてもらったことのある出版社にアトラスを出そうという企画を持込んだのが、去年の1月。

出版社も私たちの企画を引き受けてくれ、打ち合わせを重ね、執筆を開始した。
上司と、私と、同じ施設にいるということで、自動的に巻き込んだ教室の優秀な後輩の3人が編集責任者となって、あとは、ナイスガイ(元)レジデント君をはじめ、若い先生達に執筆してもらい、私たちはそのチェックと各臓器の概論とを書いた。
だが、10月いっぱいの締め切りには全く間に合わず、というか、年内に原稿が出たのは全体の1割。
いっそのこと、企画倒れになってしまえ!と本気で思っていたのだが、さすがに敵もプロ、担当の編集者が凄腕に交代した。そこからは、われわれがノイローゼになりそうになるほどに、尻をたたかれたかいもあり、2月いっぱいかかってやっと脱稿した。

やれやれ脱稿したので、もう解放されただろうと思ったら大間違い。
校正だ、”あとがき”だ(”推薦の言葉”は院長先生、”はじめに”は上司)、表紙の写真だ、と、あとからあとから仕事は続く。

三校まで終わったのは3月31日。春の学会シーズンに間に合わせるためにと、出版社が指定したデッドラインだった。
その日を境に、ぴたりとメールも電話も来なくなった。

そして、おととい、○○社のターミネーター氏(別にごついわけではない、というか、とても気の優しいやさ男です。ごめんなさい○○さん!)とその上司の女性(このお姉さんもしっかり者だった)が、とてもにこやかな顔をして出来上がったばかりの私たちのアトラスを届けにきてくれた。

アトラスなので、写真が生命線だが、とても綺麗に刷り上げてくれた。
解説文もそれなりに書けている。
恥ずかしながら、コロ健、病理外来の風景写真に登場させてもらっている(ただし、斜め後ろからの姿)。

○○氏(○○社のターミネーター氏)が、雨の日に私の講演先にまで校正刷りを持ってきた話をして、みんなで笑った。あの日は本当に逃げ出したかった。
それも早くも、いい思い出話だ。
本当に今度のことはつらかった。
一項目でも原稿を書くということは大変なのに、それを一体何項目書いたり、チェックしたりしただろう。
何はともあれ、終わったし、立派なものが出せて本当に良かった。

編集者用にといただいた3冊のうち、1冊を両親に届けたら、ずいぶんと喜んでくれた。
これまで、ろくなことをしてこなかった息子だが、やっと少しだけ親孝行ができた。


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高齢者の胃瘻造設に関する記事と心疾患の青年の映画

2012年04月19日 | 日々思うこと、考えること
昨日の朝刊に、高齢者の胃瘻造設治療についてのオピニオン記事(朝日新聞、耕論)が掲載されていた。賛否の論議を読み、わが身の行く末にも置き換えつつ出勤した。

職場ではいつも通りの仕事をして、症例の予後をどうの、この疾患はどうのと、診断書を書き、臨床医と話す。傍目八目とはいえ、病理医の意見というものの大切さを、我ながらつよく感じる。
仕事を終え、へとへとになりながら、家にたどり着き、夕食を食べ終わって、ちょっとテレビをつけてみたら、WOWWOWで井上真央が映っていた。「僕の初恋をキミに捧ぐ」という映画で、あらすじを読んだら、重度の心疾患をもった青年(岡田将生)とその恋人の物語だった。まだ起きていた妻と息子の3人で見入ってしまった。途中から見始めたのだが、見終わったのは・・・未明の1時半。


朝一番で高齢者の延命医療の問題。帰宅して真夜中に、移植医療に関わる問題。
どちらも、人間の尊厳、倫理的問題がまったくといっていいほど解決されていない。
二つの重い問題について、昨日は多くを考えつつ床に就いた。

そして今日、昨日のことが気になったまま一日過ごした。
その間にも、剖検があり、カンファレンスもあった。
カンファレンスでは、終末期の患者さんの治療方針についての議論があった。

医療というものがどういうものか、毎日考えるけど、答えは見つからない。
夕食どき話したら、妻も息子も、今日一日それぞれいろんなことを考えて過ごしたようだ。

昨日のことに限らず、人それぞれが、医療について、命について、いろいろと考えていることに最近気がついた。
医者が一番よく考えているわけではない。というか、”医術”を持っているというだけで、偉くなったような気になってはいけない。
医療のことを考える時、医者は最も謙虚でなければいけない。

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咲いてよし、散ってよし

2012年04月18日 | 日々思うこと、考えること
桜というのは咲いてよし、散ってよしの素晴らしい木だ。

このあいだ、段葛を歩くのが大好きな息子が
「ねえ、桜って、あっという間に散っちゃうよね。せいぜい2週間だよね。
日本人て、本当にこれが好きなんだから、不思議だね。」と言ってきたので、

「なんだ、そんなあたりまえのこと、今頃気がついたの?
でも、散ったあとも綺麗だから、3週間楽しめるよ。」と応えた。

今の季節、大木であれば桜の木の下は花びらの絨毯となり、池も花びらで水面が見えないほどだ。
昔、小さな川が花びらで覆い尽くされていたことがあったのを今でも思い出す。

ソメイヨシノは終わったが、八重桜、枝垂れ桜。
木々の新緑とともにもうしばらくの間、楽しく過ごせる。


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私たち日本の空の防人(さきもり)

2012年04月17日 | 日々思うこと、考えること
去年のことだが、NHKのラジオドラマ「空の防人」というのを偶然聞いた。
先の大戦時、聴音兵という、兵士になって、国のお役に立とうとする目の不自由な少年の話だった。
その仕事というのは、遠くから迫り来る爆撃機の音をいち早く察知し、味方に知らせる、というもの。音が到達する頃には、米軍機もだいぶ近くに接近していて、結局のところあまり役には立てなかったようだ。このドラマの主眼は体の不自由な人までもが戦争に駆り出された理不尽さを訴えるものだったが、国土防衛における防空システムの重要さも同時に強調していたように思う。

さて、先日北朝鮮より発射された飛行物体、報道によると7時38分の発射2分後には米国から防衛省に連絡が入っていたとのこと。でも、国民に知らされたのは8時23分。

以前、お袋に聞いたことがあるが、空襲警報が鳴るとみんな、防空壕に空襲が終わるまで避難していたとのこと。不幸にも防空壕の真上に焼夷弾が落ちたこともあったらしい。
それでも、粛々と避難を繰り返していたようで、この間の朝ドラ「カーネーション」でも尾野真千子演じる糸子さんが一生懸命コシノ三姉妹を守っていたのをみて、自分たちの命が本当に危なくなったとき、人間はパニックになどならず、きちんと最善の策をとるに違いないと感じたし、そうでありたい。

今回のことでわかったことは、近隣国である北朝鮮という国が何らかの物体を発射したということと、米国がわが国のために情報をすぐに提供してきたということ。

さて、わが国政府の対応が、国民の生命と財産を守るべく最善の策だったかどうかだが・・・。


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安請け合いの精算日(病理学会)まであと10日

2012年04月16日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
コロ健、病理学会の会員になってはじめての同一学会3演題発表。最初の発表までいよいよ残すところ10日となってしまった。
準備は3演題同時進行でやっているが、進捗状況はなんとも芳しくない。
私のいる病理診断科ではないが、同じ施設内にすごく優秀な教室の後輩がいるのだが、彼は2演題。彼もそれなりに大変そうだ。

なんで、こう、安請け合いをしてしまったのだろう。
「頼まれた仕事は断らない」というのは、私の親父のモットーだが、それをまねする必要は無かった。それとも、50近くにもなって、未だに親父の影を引きずっているということか、

原稿にしても、講演にしても請け合うときというのは、理想に燃えて、
「たくさん勉強をして、これまで以上に立派な発表を」
と思うのだが、勉強をしてもしても、偉大なる先人達の足跡を追うばかり。
自分は何のノイエス(新発見)も呈示できない。

今日も今日とて、気がついてみれば21時もだいぶ回っている。
ルーチンの病理診断にディスカッション、会議、カンファレンスとくれば、あっという間に一日が過ぎる。学会の準備など覚束ない。

帰りの横須賀線でも論文を読まないと。
論文、ついつい、斜め読みしてしまうが、そうすると、内容は全くわからなくなる。
どうせ読むなら、頑張って熟読せねば。

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