こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

ナイトの職場復帰

2019年02月28日 | 犬との暮らし

昨年、脾臓にできた血管肉腫で死にかけたフラットコーテッドレトリバーのナイト(ナイトの手術のこと20180903)。その後の化学療法も乗り越え、先日の検査では貧血も改善していた。それなりに体力もついてきたようで、引っ張る力は以前と変わらないように感じる。脂肪腫の数が増えてきているのはちょっと心配だが、まだ命に関わるような大きさのものはない。

 

そのナイトが、先日職場復帰を果たした。ナイトの仕事が海の近くにある老健施設への慰問だということは以前紹介した(ナイトの仕事20131123 )。ナイトが元気になったからと、顔を出すだけでもと妻が連れて行った。その日は風が強くて、犬同士の顔合わせの場所の屋上は寒かったようだが、犬たちはそれこそどこ吹く風で、互いに近況報告をするようにして遊んでいたそうだ。集まった犬の飼い主の中には、以前同じ血管肉腫で愛犬を亡くした人が何人かいて、ナイトのことも大いに心配してくれていたそうだが、元気になった姿を見て喜んでくれたとのこと。

 

慰問にはいかないつもりだったのが、ほかの子たちがお部屋に移動するのにつられて一緒について行って、しばらくお年寄りの相手をしたそうだ。この日は大型犬がほかにいなかったので、喜んでもらえたらしい。30分ほどしたところで、疲れてしまったようで、お散歩バッグをくわえ、妻に向かって帰ろうとアピールしだし、職場復帰初回はそこまでとなった。それでも妻は大喜びだった。家に帰ってきてからナイトは爆睡だったそう。

最初の腫瘍の転移とか局所再発が無いとしても、別の場所に新たに生じる可能性はある。そんなことを考えると、いつまで一緒にいてくれるかわからないけど、あの日のうちに死んでいたかもしれないと思えばあとは楽しく過ごすだけだ。

落ち着いてきました

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平成という戦争のなかった時代の幸せ

2019年02月27日 | 日本のこと、世界のこと

昨晩、NHK BS1で、”爆弾処理兵 極限の記録”というドキュメンタリーが放送された。新聞のテレビ欄でも薦められていた番組だけあって見応えがあった。爆弾処理、というこちらから相手を攻撃するわけではないイラク兵士の物語。そこからチャンネルを写したら、ISのその後の話をしていた。ISに参加した兵士たち、その子供たちの行き場がないこと、少ししか観ることができなかったがやはり衝撃的な話だった。

ドキュメンタリーという事実の記録、そして現在進行している問題を考えていたら、よく眠ることができず、おかげで今日は少し眠い。それでも私は暖かい寝床で、砲弾の飛んでこないという環境の中で眠ることができる。そして、何事もないかのように、昨日と同じように仕事に出かけ、仕事に精を出すことができる。

”平成”という時代は、区切りのはっきりしない均質な時代だった。時折訪れた自然災害は避けようのないものだったけど、戦争はなかった。

平成の元号策定の有識者会議に参加したという、早稲田大学の元総長が「平成とは戦争がなかった時代。毎日同じことの繰り返し、ということがどれほどの幸せであるか。」ということをインタビューで答えていた。

この、何もない時代を続けるということがどれほど大切なことかを私たちは、認識し、そうであるための努力を続けていかなくてはいけない。

私もあなたも戦争を知らない

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それが自分でいいじゃない

2019年02月26日 | 生き方について考える

それが自分でいいじゃない、そう思いながら、誰かが拾うゴミだと思いながらゴミを拾うようになった。

それが自分でいいじゃない、そう思いながら、誰かが閉める開けっ放しのドアを閉めるようになった。

それが自分でいいじゃない、そう思いながら、誰かがしなくちゃいけない”何か”をするようになった。

無理なことはしなくていい、汚れの強いもの、壊れた扉、それはそれで仕方がない、そんなことまで心配してもしょうがない。それでもまだまだできることはたくさんある。やれることだけやったらいい。

小さな社会の中でも、大きな社会の中でもそれぞれの社会の一員で私たちにやれることはたくさんある。

そして僕は、そんな優しい人が大勢いることに気がつかないで生きてきた。

誰かに見ていられないからといって、やらない必要はない。誰にも見てもられないことだから、僕がすることに意義がある。貧乏くじなんかじゃない、それこそが幸せの鍵だ。少なくとも、僕のストレスは軽減される。


生き方に答えはない。こうすればいい、ああすればいい、ということもない。誰も答えなど知らない。それでも、自分ができることはわかる。

それをしたらいいだけのことだ。

僕は、そう思うし、そうしたい。

率先してやる

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さようなら、こんにちは

2019年02月25日 | 日々思うこと、考えること

今週末は三月だ。やっぱり二月は駆け足で通り過ぎていく(二月は駆け足 2019年02月04日 )。

わかっていたことで、おどろくことは何もない。

今夜は教室の歓送迎会だった。

人はどこにいてもある。去る人もいれば、来る人もいる。いろいろだ。

さしあたって組織の一員としては、新年度に向け、いろいろ体制整備をしなくてはいけない。一人一人の人生が集まり、広がり別れていく。そんなものだ。

一期一会を大切にしていけば、たとえその時は辛く悲しい別れであっても、いつかわかり合える時がくるかもしれない。でも、無理にわかり合おうとする必要もない。それぞれの心に正直にいきていればいい。

一雨ごとに春がやってくる。今日の雨も冷たくはなかった。

さようならと、こんにちは

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不意に地震のことを思った

2019年02月24日 | 自然災害・事故・感染症

少し日が傾き始めた時間に、首都高湾岸線を妻と西行きに走る。黄色がかった空の向こうに富士山の輪郭がうっすら見える。そして、手前には大小の工場、マンション群。

そんな風景をぼんやり感じながら、不意に大地震のことが頭に浮かんだ。今、大地震が来たら、これらの建物のどれだけが残るだろうと考えたら、ちょっと怖くなった。

私がこの国で生きてきたわずか55年の間だけでも、地震で多くの人が被災し、亡くなった。

思い出せるだけでも、阪神・淡路、東日本、熊本そして先日の北海道。ほかにも、十勝沖、日本海中部、新潟県中越などなど。

私の命があるのが不思議なような気がする。

次にはどのような大地震が来るだろう。私が巻き込まれる番だろうか。

急に思いついたことを深刻ぶって、悲観的になっても仕方がない。防災意識を高めていざという時のために備えているしかない。

今日はつらつらと

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一つ一つを片付ける

2019年02月23日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

昨日今日は岡山で学会。出番が1つあり、無難にこなしてホッと一安心。”あそこはもうちょっとこうしていたら”、ということがなかったわけではないけれど、終わってしまったものは仕方ない。次に活かそう。

これでまた1つ仕事が片付いた。片付けるといっても、私の場合それはたいていの場合は仕事のこと。それに、”仕事”といっても、学会での講演などはお金になるものではないので、解釈は難しい。でも、貴重な症例を勉強させてもらう機会を無駄にしてはいけない。学会とはそいういうところだし、そういうところで依頼されて話をすることができるというのは恵まれていると考えて頑張るしかない。

それに、一体いつまで仕事を頼んでもらえるかわからないけど、頼まれた仕事を断るのはまだまだ先のことにしたい。

岡山にいる病理医の友人が後楽園の梅が満開だから時間があったら行ってみてはどうかと勧めてくれたが、疲れてしまったので残念ながら今回は見送ってまっすぐ帰ることにした。岡山から東京は4時間かかる。ゆっくり観光をしていたら、帰りはあっという間に9時10時だ。

昨晩はその友人と飲もうと思っていたのだが、その友人も同じ学会で講演をしたあと今日東京で別の学会があるからと、残念ながらゆっくり話すことはできなかった。お互い、忙しいものだ。

明日は、珍しくカレンダーに何も予定が入っていない。本を読んで、犬と一緒にゆっくり休みたい。

晴れるといいな

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あの人もタバコで癌に

2019年02月22日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル

元アイドルだった芸能人が舌癌を公表して話題になった。お気の毒な話で、病気平癒をお祈りする。

ところで、舌を含め頭頸部癌の原因はほとんどがタバコだ。7人の子供の母親が喫煙者とは思いたくないが、タバコ以外が原因である可能性はとても低い。私の周りでも男女問わず喫煙者は依然として多いし、日常の診断業務でも舌癌の症例は少なくない。私もかつて吸っていた人間として、タバコを吸わなくなって10年以上経つがいまだに爆弾を抱えているような気になって不安になる。本人の癌とは関係はないが、副流煙によって7人の子供たちは相当の被害を受けている。子供のいる場所でタバコを吸わなくても、服とか髪の毛についている有害物が子供に健康被害を与えている(副流煙というタバコの罠

20181226 )。

有名人がなぜ癌であることを公表するのかはわからないが、舌癌のようなタバコとの因果関係が明らかな病気の場合、タバコを吸っていたことも合わせて公表してほし。もし、そうでなけれ(タバコを吸っていないのなら)ばそうでないと明らかにしてくれたらいいだけだ。

少し前に”国民的”ロックバンドのボーカリストが食道癌にかかったことを公表していたが、彼もずいぶん多くの酒とタバコを摂取していたという噂をきいていたけど、その時もそういった嗜好品のことまでは、本人からは公表されていなかったように思う。

『え、あの人が癌、そしてその原因はタバコ?』『癌の治療をキッカケにタバコをやめた?』となれば多くのニコチン中毒者がタバコをやめるきっかけとなるに違いない。何歳になってもやめた時点から発がんのリスクは下がり始める。今からでも遅く無いから、タバコの害をもっとアピールしてほしいのだが、なかなかそうならないのは残念だ。

タバコ代+治療費+身体欠損の合計は?

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スマホでアタマはもうグッタリ

2019年02月21日 | 電脳化社会

先日、NHKの”クローズアップ現代+”という番組でスマホ依存症についての話(“スマホ脳過労” 記憶力や意欲が低下!? 2019219)をやっていた。

私もまるきりスマホ&PC依存症だと思いながら、番組を見ているうち、身の毛がよだった。というのもこの前、本が読めなくなってると書いた時に、どうもこれはスマホのせいだと薄々感じたのだ。それで、テレビで解説されて納得した。スマホ依存で脳が複雑な文書を読めなくしているに違いない。脳過労という言葉も出てきているそうだ。

チェック項目があるので、ここに引用させてもらう。チェックは進行役のアナウンサーのもの。

私も手元にあるのは確かだし、すぐスマホをいじっている。でも、電車の中を見回してみると、いじってない人も少なくない。

もの忘れは歳のせいだと思っていたが、スマホの影響もあったか。この辺りはPCを日常使っていると加重されてくる。

笑いが減ってきたのもスマホのせいとは。これまで以上にもっと笑おうと心がけている。

子供の場合、スマホを持っているグループはスマホを使っていないグループに比べて学力が劣るそうだ。教育熱心な親を自認するのであれば、まずは子供からスマホを遠ざける努力をするべきだ。ただでさえ、ゲームだのなんだので頭を使わなくなっている上にさまざまななコンテンツがこれでもかと繰り出されてきたら、私のような年齢でもそうなのだから、若い人などひとたまりもない。
 
まずは日常生活から改善すべきこととして、以下のようなことが挙げられていた。デジタルデトックスというそうだ。
これらのことは、すべて現実生活の利便性と表裏一体だ。
最大の問題は災害時にスマホが不可欠だということ。
巨大地震、事故、急病といったとき、スマホがあったらという事態に陥ることは想像に難くない。
すでにお守りのようになってしまっているスマホとどうやって付き合っていったらいいのだろうか。
それにしても、ここ最近私があれこれいろいろと不安に感じていたことの多くがスマホに関連していることだということがわかった。先日、SNSから距離を置く決心をしたのはよかったのかもしれない(SNSから距離を置く)。
私はデジタルデトックスに、”本を読む”と”筋トレ”を加えて、自分の心と体を守っていこうと思う。本を読むことは言うまでも無いが、筋トレも両手を使わないで済むという点で効果がある。

スマホの無い生活を想像する

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夫婦は目と目を合わせ

2019年02月20日 | 家族のこと

納戸の奥から引っ張り出してきたお雛様を斜め向かい合わせに座らせて、「お雛様はこうして顔と顔を向かい合わせて飾るのが本来のあり方じゃない?1年間、目隠しをされて暗い箱の中に入れられていたのだから、(ひな祭りの)この時期ぐらいはこうしてあげたらいいじゃない。」と妻が言って、今年はこんな風な置き方をしている。見慣れない置き方で、なんとなく変だが、そう言われると妙に納得してしまう。

こうしてみると、二人とも穏やかな横顔を見せて微笑みあっていて楽しげに見える。

お雛様は親王とその妃、すなわち親王妃ということで、今の日本では皇太子夫妻のようなカップルに相当する。ロイヤルファミリーの皆さんが仲良く目と目を合わせていらっしゃると、勝手なもので国民は安心する。皇太子は、皇太子妃のことをとても大切にしていらっしゃって、”世紀の離婚”だとか”悲劇のプリンセス”なんていうこととは縁遠いのが安心していられる。末長く仲睦まじくお過ごしいただきたい。

もうすぐ”お代替わり”、今の皇太子は私と同年代で、私の残りの人生は皇太子とともに過ごすことになる。どんな年号になって、どんな時代になるのだろうか。期待を持って待っていたい。

せっかく一緒になったのだから

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”人生”という大きくて長いトンネルの中で(4)

2019年02月19日 | 生き方について考える

”人生は大きくて長いトンネルの中にいるようなもの” 。このことに気がついて、それをブログに書いてから半年。それからわずか半年しか経っていないか、半年も経ってしまったのか。私はその間、どれだけ進歩しただろうか。そもそも半年程度で人間何か進歩するものなのだろうか。いずれにせよ、私は相変わらずそのトンネルの中で、迷いながら毎日を過ごしている。

それでもこの間、少し勉強もした。人生を考えるには読書が必要だ。ツイッターで知った”個人心理学”を創始したアルフレッド・アドラーの考え方をもう少し知りたいと思ったのだが、いざ読んでみようとしたら、いつのまにか頭が本を読むことを拒否するようになっていて、びっくりした。難しい文章が読めない。仕方ないので、漫画を2冊読んだ。それぞれ入門書として役に立ったし、この先も読んでみようという気になった。

 

でも、その一方で、そもそも人生についてなど、考える必要などないのかもしれないと思い始めてしまった。人生を考えるということは労力を要することで、疲れる。ぼーっと生きていても誰に責められるわけでもない。自分のことは自分のことだから、何を考えていようが構わない。人生は人それぞれどうせ答えなど無いと言ってしまえばそれまでだ。

でも、それでいいのだろうか?

人はなぜ、何のために生まれてきて生きているのか、ということを考えないでいていいのだろうか?

この半年の間にいろんなことがあった。この人生という大きなトンネルの中で、それぞれの人がそれぞれの人生の局面に立たされ、決断をして次の局面に入っている。

私だって、半年前に今の自分を想像することなんてできなかった。

半年先のことなんて、何もわからないが、そこに対して何かができるかもしれない。人生は決まっているようで何も決まっていない。予定はあるかもしれないけど、私はその予定を果たすのはこの先の私次第だ。

人生は闇の中かもしれず、考えは、行ったり来たり。よくわからなくなってしまう。

それでも生きて行かなくっちゃいけない。

いつまであるかもわからない

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エネルギー、たまったかな?

2019年02月18日 | 日々思うこと、考えること

朝、起きる時はちょっと辛かった。あと、少し眠っていたいな、と思ったけど今週は仕事がとてもたくさん詰まっている。

これなら家でやれると思って持ち帰っていた原稿の校正。出しもしないで終わってしまった。メールも何本かきていたけど、開かなかった。

休みの日まで頑張って原稿書きをしていたのが嘘のようだが、そういうことをする気が起きない。自責の念が全くないといえば、嘘になるけど、そのぶん心を休めることができた。頭を仕事のストレスから解放することができた。じつはそのことの方が大事なんじゃないか、体が嫌がっていることをわざわざやっても、その嫌がったことはあとを引くのだと気がついた。

持ち帰り仕事をしなかったからと言って、過ぎてしまったことを変えることはできない。でも、これから先のことを変えるのは可能だ。今日から頑張ったらいい。

今週は雨が降ったりするけど、春の陽気に向かっていくらしい。暦を見れば、もう2月ものこり10日。明日は雨水だ。雪が雨に変わり、草木が芽吹く頃。

お休みに休んで、エネルギーは随分たまっているはず。そのエネルギーを使い、気持ちを明るく、前に進んでいこう。

塞ぎ込む気持ちともさようなら

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一日中寒かった

2019年02月17日 | 日々思うこと、考えること

鎌倉は曇りがちで、とても寒い1日でした。


午前中に、最近評判の食パンの店に妻とナイトとでパンを買いに行ったのですが、寒くて真っ直ぐ帰って、あとは家の掃除だなんだで過ごしました。


午後にはNHKで3.11のアーカイブをやっていて、改めて大津波と震災火災の恐ろしさを思い出しました。
この土日、仕事をする気にもならず、静かに過ごしました。こうしてまた、ツケがたまります。

それでもその分休んだら、いいんですよ。

備えよう常に

 

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まず食生活の改善から

2019年02月16日 | 日々思うこと、考えること

ここのところ、体調は悪くはない。
老眼は始まったし、口内炎もなかなか治らない。ちょっと油断すると帯状疱疹の痛みが出てくる。膝も痛い。それでもこの冬はインフルエンザにはかかっていないし、風邪も軽く済んでいる。

ところが先日受けた人間ドッグの結果が来て驚いた。
端的に言えば、生活習慣病がはじまっている。そしてそれに対する処方箋は生活習慣の改善。



そう言われても、仕事があるし、遠距離通勤で、どうすりゃいいの?という感じだけど仕方ない。
まずは夕食の時間を早くするということにした。
こうするだけでもずいぶん違うと思う。

帰ったらまずは夕食

 

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病理医のバレンタインデーと高菜にぎりにチューリップ

2019年02月15日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

昨日はむちゃくちゃ忙しかった、といっても病理医の”忙しい”は朝から晩まで病理診断をしているということなので、病理医の仕事をあまり知らない人から見たらただ単に朝から晩まで顕微鏡にしがみついているだけだ。目に見える変化といえば、顕微鏡の横の標本の山が1時間で1、2枚減ることがあるけど、それも標本が一体なんなのかを知らない人から見たら1時間に1センチにも満たない変化だから気がついてくれそうにない。実際のところ、標本一枚一枚が患者さんなのだが、切り離された状態の標本は何も語ってはくれないからそのイメージは掴めない。


さらに、昨日は一日中顕微鏡にしがみついていただけでもなかった。迅速診断当番だったので、5、6回は席を立って凍結切片を作りに行って、さらに診断がついたらその都度オペ室と繋がっているインターホンにも立ち上がって臨床医に迅速診断の報告もする。迅速診断は1件につき、なんだかんだで最初から最後までで10分から20分かかるので、これだけで断続的に2時間ぐらい関わったことになる。精神的にも緊張を強いられ疲れる仕事なので、忙しさに拍車がかかる。でも、インターホンの向こうの医者の必死さが伝わってくると、こっちも頑張ってよかったと思う。

朝9時から診断を始め、途中迅速診断に挟まれながら、昼食をとり、居眠りをする暇もなく診断を続けて気がついたら夜の7時になっていた。途中、診断なんてもう嫌だ、と思う瞬間が何度かあるけど、直後には病理診断という好きな仕事をやっていられることのありがたさを感じてもう一息と頑張る。それでも夜には頭がジンジンと痺れていた。私が勤めている病院の病理診断科の部屋はすりガラスになっていて、なんとなく明るさが変化するだけで時間の経過がわからない。日はすこしだけ長くなったとはいえ、外はとっくに真っ暗。心身ともに消耗し尽くし、もうこれ以上はできないとなって、仕事を切り上げることにした。

病院を出たら、やっぱり寒かった。遅くなってしまったので、乗換駅にあるジムに寄るのは今日も諦めた。もう1週間以上行っていない。その代わりに乗換駅でおにぎりを1個食べた。シャケにぎりが食べたかったのだが高菜にぎりとしおにぎりしか残っていなかったので高菜にぎりにした。意外と美味しくてうれしかった。ここのスタンドそば屋ではおにぎりを店内で食べる人には温かいめんつゆをサービスで付けてくれる。それもネギ入り。夕食が遅くなる場合はあまり遅くならないうちにおにぎりを食べておくと血糖値の上昇が緩やかになって体に良いとかで、最近たまにやっている食習慣。

電車に乗る前に花屋で妻にチューリップの鉢植えを買って帰った。

バレンタインデーだからと妻が腕によりをかけて用意してくれていた夕食を、息子も入れて3人で楽しく食べた。

よろこんでくれてよかった

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AIによる病理診断

2019年02月14日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

「それって、医者じゃ無くてもできるんじゃね?」と私に言ったのは、IT系企業に勤めている友人だった。今なら「そんなのAIにやらせておけばいいんじゃね?」といわれるだろう。病理標本全部を写真で取り込む技術というのはもう何年も前からできているので、データそのものの蓄積はすでに膨大なものがなされている。

 

私が所属している小さな研究会がある。その研究会は臨床医が主体で病理医は参考にいるだけのような会だ。そこでの話題もAIによる病理診断の可能性、というもの。AIによる病理診断の目的というものがどこにあるのかわからないが、AIが私たち病理医の仕事を補完してくれるようになったら、診断精度はより上がっていくだろう。

AIは組織内のそれぞれの細胞の同定能力は高いと思うが、大きさに対応してくれるかが心配だ。あとは、染色による組織像の違いに対する対応。ピンク色に染色されるHE染色以外の染色もあって、それぞれの特性にあった判断をしてくれるか。さらにはこういう特別な染色が必要かどうかの選択など追加オプションの判断ができるかということ。免疫染色の選択ともなると、もっと大変だ。

 

生検でも手術でも、検体のサイズも大小様々。細胞の数も様々だ。この辺のことにも十分対応してくれるようになるにはどのぐらい時間がかかるだろうか。結局、経験を積んだ人間が診断のチェックを行って確認する必要が出てくる。そこで問題となってくるのは、AIに適当に仕事を任せているうちに人間が研鑽する機会が奪われていくということ。全ての希少疾患までの記録をAIに教え込むまでにどのぐらいの時間がかかるかわからないが、AIに仕事を任せてばかりにしていたら、AIの方が多く経験しているという状態になってしまうことが怖い。実は人間の判断の方が正しいのに、AIの判断が客観的だ絶対だというような臨床医が現れるようになったら、収集がつかなくなるように思う。ただ、その頃には病理診断どころか、診断、治療も大部分をAIがやってくれているだろうから、AI同士で解決してくれるようになっているのかも知れない。

私が死ぬ時は

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