こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

大丈夫かな?日本

2011年10月31日 | 日々思うこと、考えること

先週の韓国での学会がおわれば、少しゆったりできるかと思っていたのだが・・・
全くそんなことはなかった。
今週はあれこれ忙しく、困ったものだ。
スローに生きていきたいのだけど、日本では、それはやっぱり無理か。

昨日まで、韓国をみてきて、日本のおかれている状況が相当きついということがわかった。中国はもちろん、韓国にも負けている。

「今、認知症になっている人達が、今日の日本を築いてくれた。だから、その人達に恩返しを」とかいう発言があった。確かにそう。大正、昭和ヒトケタの人たちが頑張った。どれほどの人が、それを引き継ぐことができただろう。残念ながら私もできなかった。
団塊が遺産をあらかた食い尽くし引退し、下の若年層には幻影しか残っていない。そして、その幻影は捨てなくてはならない。NHKスペシャルは現実だ。

日本人はみなが、そこそこに生活できればいい。所詮は島国、見栄を張っても仕方あるまい。仲良く、力を合わせていかなくてはならない。
一緒に頑張ればなんとかなるだろう。

韓国(ソウル、明洞)にて

2011年10月30日 | 日々思うこと、考えること
発表もまずまずでホッとしたということもあったのだろう、昨晩は、焼き肉、ユッケ、マッコリをたっぷり食べることができた。

一昨日は、緊張して悪酔いしたが、昨晩は無事にホテルに帰り、熟睡できた。
今朝は寝覚めもスッキリ。

だけど今日はもう、帰国。
午前中、ソウル、明洞(ミョンドン)を少し観光。

昨日の百済の歴史エクスカーションツアーも感じたが、日本からみていた韓国感というものが、韓国にいるとずいぶん変わってしまう。なんともいえない気まずさのようなものを感じてしまう。
日韓の関係が゛不幸な歴史゛としか表現できないのもわかる。
韓国人から見れば、韓国は日本に攻め込んだことはないが、日本は三度も攻め込んできた国わけで、どうも日本人の立場のほうが悪い。

さて、ソウルいちの繁華街、明洞に行けばたくさんの日本人がいて、日本語もある。
ロッテ百貨店の入り口には、韓流スターの看板があり、多くの日本人女性が、記念撮影。

いくつかの問題もあるが、少なくとも今は、昔のことにいつまでも拘らずに、お互い協力していく関係を構築していくしかあるまい。

百済ない・・・くだらない

2011年10月29日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

発表は、とりあえずうまくいったように思われる。
ディスカッションは4,5人から質問をもらいずいぶんと盛り上がったが、いずれも想定の範囲内だったので無難に終わることができた。
ヨカッタ。
難を言えば、最初原稿を持っていってしまったのが失敗だった。結局、原稿を読む暇はなく、どんどんスライドを示していったので、最初からハンドフリーで行っておくべきだった。


さて、昼食の後、会場近郊の百済の歴史エクスカーションツアーへ。
百済と大和朝廷の浅からぬ仲について勉強した。
文化的なつながりをあらわすものに「くだらない」、百済にもないばかばかしモノ、というのがもともとらしい。
これを半島から来た人が作ったにせよ、日本人全員が知っている言葉で、興味深い語源だ。


歴史的に残存するものが少ないものの、少数の遺産から多くの事が明らかになったらしい。
いずれにせよ真実は一つしかないはずだ。


夜は、待望の焼き肉店へ。
日本で食べるのの、半分くらいのお金でずいぶんいただくことができた。
満足、満足。
明日、日本に帰る。

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The 12th KOREAN-JAPANESE conjoint slide conference of IAP @大田(Daejeon)-韓国(Korea)

2011年10月28日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

韓国に初めて来た。

全日空で隣に座っていたおばさん二人(といっても私と同い年くらい)は何度も来ているらしく、今回は韓流スターのコンサート&買い物に来たらしい。
子供と旦那さんは放ってあるらしい。どうして、夫婦とか家族で来ないのか、意味がわからなかったが、しごく当然のことのようだ。毎日忙しい主婦の、たまの骨休めか。

それはさておき、この日韓合同スライドカンファレンス、もう、12回目とのこと。2年に1度なので、もう25年近くやっていることになる。四半世紀。参加者はそうそうたる先生方で、日本側からの参加者の半分は教授。
かたや私は、今回がデビュー戦。明日の発表は今から緊張する。

ところで、韓国。

駅はわりあいときれいで、ソウル駅などは東京駅に勝るとも劣らず、驚いた。
KTX(韓国新幹線)に乗ったが、一部では300キロを超えての営業運転。結構すごい。
さすが三星(サムソン)電子と、現代(ヒュンダイ)自動車の国。
円高で、日本輸出産業が苦しんでいるのもよくわかる。産業の好敵手ぶりがわかった。

さあ、明日は発表。原稿読みをあと、3回…やれるかな?
懇親会でマッコリを飲みすぎたようでちょっと頭が痛い。
ただ、出かける前に、「じゃ、がんばってくるね」と妻に言ったら、
「スポーツ選手みたいに、発表は楽しんでいらっしゃい。リラックスが大事よ」とくぎを刺された。
そう、明日は楽しく発表をしよう。

それにしても、料理に入っているニンニクと唐辛子。半端ではない。
店屋の先の川端に、魚が干してあった。

初めての韓国。思っていたよりも、ずっといい国だった。

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姪が生まれました

2011年10月27日 | 家族のこと

昨日、都心の大学病院で、私とは少し年の離れている妹が二人目の女の子を産んだ。
無痛分娩の予定だったのだが、入院したらそのまま生まれたとのこと。
わずか3時間の安産だったようだ。

明日から、韓国行きの私としては、生まれたばかりの顔を見ることのできるのは今しかないと、今日、面会時間に合わせて早めに仕事を切り上げて、会いに行った(といっても、定時過ぎなのは言うまでもない)。

親族が増えるというのは、やはりうれしいもので、顔を見に行ってよかった。

うちの子供が高二と中二。
この年の頃までに、この子はどんな子に育つのだろう。

とても楽しみだ。

とにかく今は、元気に育ってくれさえすればいいと思う。

今日、ちょっと寝坊した

2011年10月26日 | 通勤・交通・旅行



ここのところ、通勤の話しかしていないが、仕事のこととか、社会のこととかをゆっくり考えている暇がなく、今日もあっという間に夜だ。
ここのところ、今週末の第12回日本-韓国合同スライドカンファレンスの準備でしんどい思いをしているが、昨晩も、目がさえてしまい、やっと眠れたのは2時過ぎ。病院の近くに住んでいればいいが、私は5時半起き。さすがに、3時間睡眠のあと、2時間通勤は、47歳の私にはきつい。 今日は車で行かせてもらうことにした。そうすると、1時間余計に眠れる。(それでも)6時半には起きだして、ナイトと散歩した。


昨晩の風は木枯らしではなかったようで、今夜のが関東地方の木枯らし一号とか。
ラジオによれば、今日は強風で寒かったが、明日は足先から寒くなるとのこと。 冬がどんどん近づいてきた。
今日は夜もナイトと散歩に行くことができた。
やっぱり犬の散歩はのんびりできてうれしい。


これは木枯らし?

2011年10月25日 | 通勤・交通・旅行
病院を出たら、冷たい風がびゅうびゅう吹いて、枯れ葉を舞上げている。
寒い!

今朝はあんなに暖かかったのに。

これって、木枯らし?
冷たい風が吹くと、景色もとたんに寒々しくなる。

まだまだ、暖かい日が続くと思っていたが、冬は、もうすぐそこまで来ていた。

明日から、本当に寒くなりそうだ。


どうしても必要な朝の30分

2011年10月24日 | 通勤・交通・旅行
週末の発表の準備をすればいいのに、と、思いつつ、帰宅途中に考えたことをひとつ。

ウィークデイは朝5時半に起きる。したがって、あと6時間ほどで起きることになる。
せめて6時起きにすればいいのだが、いったん習慣になるとなかなか変えることができない。
目覚ましで起き、5分ほどぼんやりしてから、やおら起き出す。洗顔、ひげ剃りをすれば、頭もスッキリする。家中の窓を開けると裏山からの風が吹き抜け、気持ちが良い。
夜だけ家の中に入れているナイトも目を覚ますが、クレートの扉を開けてもすぐには出てこないので、今一度扉を閉める。

コーヒーメーカーをセットするのも忘れない。

もちろん、この間、新聞を取りに行き、用を足し、時計がわりにNHKのおはよう日本をつける。部屋のラジオのFM横浜もつけておく。

部屋に戻って、服を出して、やっと一安心。

ここまでが、およそ22、3分、いったん寝床に倒れこみ、5分ほどまどろむ。
ここまでの30分、毎日のことだがどうしても必要だ。

FM横浜が6時を告げるともう一度起きて、身仕度して、居間に行き、シリアルといれたてのコーヒーを飲んだら、いざ出勤。


まあ、出勤前、みなさん同じようなものだろう。こんな良い工夫があるというようなら、教えていただきたい。


と、延々とこんなこと書いているが、なぜかというと、西大井の近くで横須賀線にタクシーが落ちてきたとか。幸い、大惨事にはならなかったようだ。

でも、大船までたどり着いたものの、(折り返し運転の電車が)なかなか動かない。今夜も午前様か。
トホホ。

臨床細胞学会@京王プラザホテル

2011年10月23日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

この土日、秋の臨床細胞学会が開かれた。会場は京王プラザホテル。
この立て込んでいるときに学会と言われてもしんどい話だが、学会員としてはせざろう得ない。
学会の規模の大小にかかわらず、学会の運営は学会員の会費によって成り立っているわけで、これはもう仕方ない。

今日など、朝から娘の試合の応援(第一試合で助かった)。終わったら、今週末の学会発表の打ち合わせに、都内某大学病理学教室へ(相談相手の先生が解剖当番で助かった)。昼すぎから細胞診専門医部会(やっぱり、新宿は交通のアクセスが良くて助かる・・・特に京王プラザは都庁前)。

と、目が回るように駆け巡り、のんびり専門医部会でのお話を聞いていたが、少し早めに終わったので、共同演者に入れてもらっている技師さんのポスターセッションに行った。
ところが、ポスター会場の入り口で「コロ健先生」と呼び止められた。タッチの差で、終わってしまったとのこと。手には折りたたまれたポスターが。
専門医部会と、ポスターセッション、一緒にしないでほしい。発表が見れなくて、とても残念。

さて、専門医資格を取ったのが、40歳の頃。出身教室はもともと細胞診資格はあまり重視していなかったのだが、後輩がぽつぽつとるようになって、いつの間にか若手はみんな取ってしまっていた。どうしようと、浮足立っているときに上司からすすめられ、一念発起で資格を取った。40の手習いで、我ながらよくやったものだ、と思う。

医者というのは資格があってこその職業で、それに上積みされるのも資格しかない。
博士号に、病理専門医(私の頃は認定医だった)に細胞診。病理医はせいぜいこんなもので、上級資格が少なくて比較的楽なほうだと思う。
資格を取りあぐねている病理の先生がおられたら、ぜひ取得することをお勧めする。ちゃんと勉強すれば思ったよりは試験は楽だと思う。

それにしても、学会。自分の勉強のためとはいえ、お金がどんどん飛んでいく。
どうにかならないかな。経費扱いにしてくれると、とても助かるのだが・・・。

ちなみに、私が試験勉強に使った本は以下の2冊。組織病理アトラスでの勉強とはまた趣が違って、楽しめた。

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細胞診を学ぶ人のために 第5版
坂本 穆彦
医学書院


細胞診セルフアセスメント
坂本 穆彦,都竹 正文
医学書院

人の死によってしか歴史は変わらないのか

2011年10月22日 | 日々思うこと、考えること

リビアのカダフィ大佐が殺された。
一つの、歴史が終わった。
確実に死んでいるところを確認せねば安心できない。という、不安の声が聞こえてくる。
結局のところ、人の死によってしか歴史は変わらないのか。

民主主義、というか選挙によって政治家を選んでいれば、多少はそのおそれは軽くなろう。
だが、独裁主義者はいつ、どこで再び出現してくるか、わからない。

人間はどこかで思考を停止して、人任せにしたい、そのためには盲目的に従うことのできる独裁者を求めてしまうのかもしれない。

独裁者を英雄として祭り上げれば、それを祭り上げている民衆も、正しいことをしていることになる。

なるほどこれが商売なんだ

2011年10月21日 | 日々思うこと、考えること

ユニクロが海外に進出攻勢をかけている。

日本で売れなくなり(ユニクロ4年ぶり減益 8月期決算 国内事業が不振)、今度は外国人に売る。誰よりも先に、もちろん、いいものを作って売る、当たり前だが、ユニクロの凄いのは、世界中の人に売ろうというところ。

これこそが日本モデルだということがやっとわかった。
シロモノ家電を世界中の家庭に送り届け、次はテレビを世界へ。いずれもユーザーフレンドリーな高品質商品。日本の財産は、ほぼこの時期に作られたのだろう。
その後、後発国の攻勢もあり、市場が飽和状態になりつつあったところで、ソニーがやった。
家庭、家族という単位を解体し゛パーソナルユース゛、すなわち、個人レベルに売りつけるようになった。ウォークマンを世に出し、世界中の人にヘッドホンステレオをつけさせた。

これが、私が高校生の頃だ。
日本が、技術先進国であったと同時に、商売も上手であったことが証明された。
この、圧倒的なビジネスモデルによる下地があったからこそiPhoneがあるわけで、格が違う。

さて、ユニクロだが、高機能下着を開発し、わが家も各自数枚ずつ購入した。でも、いったん、行き渡ってしまえば、それで十分。簡単には傷まないので、買い替えもない。
そうすると・・・やっぱり世界中の人に売りつくすまで、売るのだろう。

一部の人にだけが持っている、という差別化では意味が無い。

これが、商売なんだ。


残った紅葉

2011年10月20日 | 鎌倉暮らし
玄関の紅葉。
一番上の2枚だけが赤くなった。

なんだか、奇妙だ。

だが、先日の台風による塩害のせいだと思い出すと、自然の奥深さに驚く。

木々の葉はほとんどが赤茶けてしまったが、こうやって生き残っている葉もあった。
あちこちで、開花、開葉もみられる。

これはこれで、貴重な体験をわれわれはしているのだろう。
この”ずれてしまった”季節は、どうなっていくのか、興味深い。

それにしても、今日あたり、ぐっと寒くなってきた。
風邪をひかないよう、気をつけましょう。



相当きついが、頑張ってます。

2011年10月19日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

ここのところ、診断に苦慮する珍しい症例が続いている。
私の力不足ということを差し引いてもきつい。

こういう症例に対しては、一日、二日と何時間かずつかけて、じっくり熟成して診断をしていきたいのだが、続くとなかなかそういう時間が取れない。

幸い、良悪性に関わる種類のものではないのだが、患者さんやご家族のためには、(できるだけ)きっちりした診断をつけないといけない。

相当きつい。病理医も過労にならない程度には頑張っている。

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私たちが選んだ政権だから

2011年10月18日 | 日々思うこと、考えること
小泉構造改革、随分昔のことのような気がする。
小泉さんが総理大臣になったのが2001年。わずか10年か、まだ10年か。
今の職場に移って私も10年。ずいぶんといろいろあった。

さて、構造改革で失ったもの、守ったもの。天秤にかけて、どちらに傾くのかは判らないが、あの時から、世の中が悪くなり始めたという人が多いような気がするが、私の周りだけか。
ただ、一方で、みんながみんな、口を揃えてそう言う訳ではないので、小泉構造改革が良かったという人達も必ずいるのだろう。

いずれにしても私たちは皆でそれを支持した。それが、今の選挙制度だ。
そして、(自民党に)飽きて、別のチーム(民主党)に任せることにした。

今度はTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)。国民的議論がないままなし崩し的に参加しかねない勢いだが果たして大丈夫なのだろうか?

自分の代に一発デカイことを残せたら、と思うのかもしれないが、早計であってほしくはない。

いずれにせよ、これまた、私たちが選んだ政権だから、仕方ない。

選挙の時には一生懸命考えたつもりだったのだが。

開国、敗戦、そして第二の開国。すべてアメリカとの関係軸で動いているというのも、なんというか、興味深い。






病理学会理事長選と一般病理医

2011年10月17日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

日本病理学会の理事長選挙が行われている。被選挙人名簿にはお歴々が名を連ねている。
このうち所信表明をしている先生が、三人。どうやら、この三人が実質的な立候補者ということになるようだ。

所信表明を読むと、まずは病理医の地位向上ということが謳われている。
言い方を変えれば、病理医のモチベーションを上げるということだろう。
病理医の地位向上ということが言われて久しいが、少なくとも私自身は病理医の地位向上を目指して病理医になったつもりだった。
だけど現状はどうか。
20数年経ったところで病理医を知っている人が増えたとは思えない。知名度では法医学者に遠くおよぶまい。

外科病理がやりたくて病理医になったものの、一枚幾ら、の病理医になるとは思ってもみなかった。病理診断はあくまでも学問の延長上にあるもので、野戦病院のようなところでするものではない。
病理医の挨拶の一つが、「おたくは何件?」
診断件数の多寡など、聞くようなものではあるまい。臓器の種類も、症例の質も違う。そもそも、患者のほとんどは臨床医が連れてくるのであって、その質的な部分をいくらカバーしていようと、病理医は決してフロントに立つことは無い。

では、何が病理医のモチベーションになるか。
それは、あくまでも医師としての病気への探求心だ。私が最初に病理医になろうと思った瞬間は迅速診断に外科のポリクリとして立ち会っていた時であり、剖検の立会だ。
さらには、飽きもせず顕微鏡を覗いていられる形態学への探求心。

外科病理学の失敗は病理医のサラリーをあげれば病理医は集まると思い込んでいた人たちの失敗だろう。
病理医は、金だけのために病理をやっているのない。
金だけのためなら、ほかの科に進んでいただろう。

被選挙人のほとんどすべてが大学教授。
日本の学会なんて、どこも似たり寄ったりだろうが。現場の声を理解してくれる人は、この中にどれだけいることやら。
それでも、棄権は逃避なので、人物本位で投票した。

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