marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

異邦人ー3ー〔長いお別れ〕

2017-10-07 07:00:00 | 日記
 葬儀社の一室には僕が先についた。昨日、といっても今朝近くになるがこの部屋を出るときは、火のついた蝋燭と部屋の電気だけは消されて退室されてくださいと言われた。エアコンはつけたままである。親父がドライアイスのようなものを数個からだに置かれたのを目にしていたが、それにエアコンとは遺体の維持のためである。僕は祭壇に飾られる百合や菊の花、そして線香のニオイが好きではない。昔は死臭を消すためだったのだろうが、よほどのことが無い限り、死亡が確認されれば速やかに火葬へ行くのが段取りとなっているものと思われる。昨夜、葬儀屋から渡された寺の儀式の次第と火葬、葬儀、納骨までの段取りを書いた紙、そして準備するものなどを見ていると宗派によって死者を送るための段取りが異なるということが分かった。親父にとってはどうでもいいようなものに思われた。
 ご出棺に必要なものとして、無論、僕はそのような意味は心情的推測から出てきた言い伝えのしきたりであろうと思われるから形式だけなのであろうけれど、浄土真宗を除き頭陀袋をお棺の中に納めるものとして書かれている。お米、あずき、お塩、小銭、お別れ花(体全体を埋めるようにすることが通常なのだろうがそれは頭の周辺だけでいいことにした)、その他、斎場に持参するもの、これは葬儀社に委託、留守番の方から準備していただく物として、白木膳(ご飯・味噌汁・精進3品、割り箸。浄土真宗(一向宗)は仏飯・六合(おげそく)と書かれていた。しかし、そもそも、これらについて僕らは殆ど人がその意味を理解してはいないのであるが、これも曰く始めてしきたりとした心情の残りであろうと思う。当時の人々には、当然、死後の世界の事が分からないのであるから、あの世の専門家つまり仏事に詳しい坊さんの言うとおりにしたものなのだろう。これほど神秘的な儀式はなかったであろう。人の体験で知らない次の世界への旅支度を取り仕切り、理解する人への崇敬の念は相当なものだっただろうと思う。
 それにしても長い別れで、そちらの岐路に旅立つにしては、グルメ(美食家)の親父にしては、随分気の毒にも思うし、親父はこのような物は口にしないであろうと思う。第一、肉体を離れたのだから、供物を死者へ献げるということ自体、この地上に死者をつなぎ止めようとする行為ではないのか。しかし、考えて見るとこれはただならない事ではあるが、仏事の昔からのしきたりにとやかく言うことは無いではないかとこの国の人々の声が聞こえる。
 僕の家は、代々、真言宗である。僕は開祖の仏教のジャンルでダントツ飛び抜けているような空海が好きではある。この国の仏教と言われる宗教の開祖では世の組織的ヒエラルキーを構築し永平寺を開いた最澄もおそらく、この国の宗教に影響を与えた坊さんは殆どこの寺で修行を積んでいる訳だから多大な影響を与えた始祖ということが出来だろう。
 この国の日本独自の仏教について詳細なことは分からぬまでも、自分の家の仏教の宗派の始祖はお好きであろうと思うが、殆どが興味はもたれていないと言わざるを得ないのが実情かと思う。他の宗派の死者への葬りのしきたりは僕は知らないが、今一度、きちんと次の世界への儀式の意味と第一、次の世界を理解しておくべきである。臨済宗は大層な講義を信者にするらしいが・・・。キリスト者である僕は、もし、仏事で自分の死後の行き先を儀式で行うとするならばという意味での後ろむきの薦めである。〔僕は真摯にお勧めする、今やキリストが示されたのであるから、彼を信ずることである、と結論を書くと身も蓋もないが。一つの世代の終わりとして、これからの人々に対してこれを書いているのである。〕
 納棺の前に僕の生まれた村の住職が来られて、葬儀の段取りをメモされて、お墓への納骨までをメモされた。空海のお弟子になる儀式を行うという。死後、弟子となり師と共に旅をするというのである。そのための儀式(つまりお経を上げる)。強いアルコール臭のする清浄綿で体を拭いて納棺は、姉と僕が行った。旅支度で、白装束がもろもろ、手甲、脚絆、簡素な杖と草鞋まで履かせ、ダンデーな親父にはとてもこれは似合わない。遺体は堅く冷たいシリコンゴムだったと言えば、その感触は理解されるだろう。頭陀袋に三途の川を渡る船賃としての六文銭のコピーを入れて・・・。僕はご苦労さんでした、ゆっくり休んでくださいと親父に言った。キリスト教では、これは正しい。再びイエスが迎えに来るまでに眠りにつくのであるから。しかし、親父はこれから空海さんと長い旅に出るんだったな。
 彼は僕がキリストを信じていることは了知であった。毎週、礼拝に出ていたし・・・。彼は風のように生きた(僕にはそう思われる、形容詞はつかないが、あえて言えば薄い銀色・・・)何ら宗教には関心は持たなかった、少なくとも口にすることはなかった。僕が学生時代に持っていた聖書と真言宗開祖の空海とキリスト教(当時、中国に流行ったネストリウス派のキリスト教)の関わりとの本は机の上にあったけれど・・・。墓には本来、別家となる兄が先に希望により葬られているのである。生前、二人の夫婦は車ではあったが、四国八十八カ所をすべて巡っているのである。
 次の日、午前に火葬し、午後から田舎の寺で葬儀、お墓で納骨が行われた。まもなく忌明けとなる。いまごろ、どの辺を旅しているのだろう。・・・