marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(433回目)異邦人は切れた!〔Albert Camus :アルバート・カミュ〕・・・Ⅴ

2017-10-12 07:00:00 | 日記
 ある一つの宗教画について以前書いた。それはキリスト・イエスがランタンを持って扉をたたいている絵である。その扉の外には開ける取っ手が付いていない、内側についているのである。つまり、内なる人がその取っ手を手で開けなければ、イエスは、家の中には入れないのである。この絵は象徴的である。護教的にこれを書いているのではなく、無理繰り扉を開けよう、明けて迎えてくれといっても所詮、内側から扉を開けないと開けるのは無理という話である。これは理屈で分かる。しかし、聖書はトリックのある玉手箱のようなもの、そのきっかけをつかむと手の内が明けようとする人には示される。かなり、忍耐と時間が掛かる人はいるだろうが、一瞬にしてひらめきのように信じる人がいることを僕は多く知っている。
◆ところで、いきなり冒頭のような文言の内容から始めるとこの国の多くの人々はうさん臭さを感じるのではないだろうか。このような感じで・・・つまり、私はイエスを知っている、あなたは知らないだろう、教えてあげよう、こういう方だ・・・。いい加減にしてくれ、俺はおれだ・・・と。(ここには、歴史の中で一般化された知識としての常識のイエスが、実はそれは不完全な人の言葉なのであるが、叱責のように脅迫してくるのが感じられているのだろうから、所詮、外なる人の宗教知識については自己肯定して行くにつれ腐臭を誰でもが感じるものだ。)
◆それでは、「異邦人」の第二部最後の方である。御用祭司との会話で、まさに「異邦人」のクライマックスである。ムルソーが神(僕にとってはいわゆるしがらみのあると理解される神)を拒絶する会話の部分を抜粋する。(カミュ『異邦人』窪田啓作訳 新潮文庫 p125~)
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 祭司は「なぜ、私の面会を拒否するのですか?」といった。神を信じていないのだと答えた。その点確信があるのか、と彼が尋ねたので、私は、それをくよくよ考えるようなことはしない、そんなことはつまらぬ問題だと思う、といった。〔・・・・〕すると彼は、自分では確信があるような気がしても、実際はそうでないことがあるものだと、つぶやいた。司祭は私をながめて、「どう思いますか?」と尋ねた。私はそうかもしれない、と答えた。とにかく、私は現実に何に興味があるかという点には、確信がないようだったが、何に興味がないかという点には、十分確信があったのだ。そして、まさに彼が話しかけてきた事がらには興味がなかったのだ。〔・・・・〕「・・・私の知る限り、あなたのような場合には、どんなひとでも、神の方へ行きました。」と司祭がいった。〔・・・・〕私といえば、助けてもらいたくなかったし、また私に興味のないことには興味をもつというような時間がなかったのだ。〔・・・・〕
 「それでは、あなたは何の希望ももたず、完全に死んでいくと考えながら、生きているのですか?」と彼は尋ねたが〔・・・・〕「そうです」と私は答えた。
 司祭は、あなたの上訴は受理されるだろうが、しかし、あなたはおろさねばならなぬ罪の重荷を負うている、という彼の信念を、語った。人間の裁きには何でもない、神の裁きがいっさいだ、と彼はいった。私に死刑を与えたのは、人間の裁きだ、と私がいうと、それはそれだけのものであって私の罪を洗い清めることはない、と彼は答えた。罪というものは何だか私には分からない、と私はいった。ただ私が罪人だということを人から教えられただけだ。私は罪人であり、私は償いをしている。誰も私にはこれ以上要求することはできないのだ。〔・・・・〕彼の姿が私には重荷になり、いらいらさせた。〔・・・・〕私は神のことで時間を無駄にしたくなかったのだ。
 司祭は言った「私はあなたと共にいます。しかし、あなたの心は盲いでいるから、それが分からないのです。私はあなたのために祈りましょう。」
 そのとき、何故か知らないが、私の内部で何かが裂けた。私は大口あけてどなり出し、彼を罵り、祈りなどするなといい、消えてなくならなければ焼き殺すぞ、といった。私は法衣の襟首をつかんだ。喜びと怒りの入り交じったおののきとともに、彼に向かって、こころの底をぶちまけた。〔・・・・この後、3ページほどムルソーが司祭(君と呼んでいる)に対して思いをぶちまける・・・。司祭は眼に涙し部屋から消え去る・・・。(出来れば書店で立ち読みされて)〕 彼が出て行くと、私は平静を取り戻し少し眠った。〔・・・・〕
 あの大きな憤怒が、私の罪を洗い清め、希望をすべてからにしてしまったかのように、このしるしと星々とに満ちた夜を前にして、私ははじめて、世界の優しい無関心に、心を開いた。これほど世界を自分に近いものと感じ、自分の兄弟のように感じとると、私は、自分が幸福だったし、今もなお幸福であることを悟った。一切がはたされ、私がより孤独でないことを感じるために、この私に残された望みといっては、私の処刑の日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びをあげて、私を迎えることだけだった。
                             ・・・ カミュの『異邦人』はここで終わる。