marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(430回目)異邦人 〔Albert Camus :アルバート・カミュ〕・・・Ⅱ

2017-10-09 07:00:00 | 日記
 この国の人々は、異邦人なのだろうか。異邦人とは、世界のベストセラー「聖書」の学びにより簡単に書けば一般に、非ユダヤ人をいうことになっている。しかし、少しかじったところの神学の学びでは、正確には「ユダヤ人」とは高校世界史でも学ぶところのバビロン捕囚以降の人々をいうのであると。先にこの国の人々の信仰していると言われる仏教によれば、深く学んでいないのであれこれ言えないが、僕は決して天地を創造したと言われる神、キリスト教との対決しようなどとは思っていない。むしろ逆なのだ。しかし、この僕の主旨から言えば、まさに焦点は「様々なしがらみ」なのである。いずれの宗教(他の宗教もあるだろうが僕は関わったことがないのでなんとも言えない)も煎じ詰めるところ、人は宇宙に於いてはゴミよりたわいなく、話せば消えていく機会音のような言葉では表現できないものであり奥深いものだというようなところまでは同じようだ・・・)。しかし、異なるところは、聖書の神は、地上の人に対して、人の一生は儚い夢、幻想のようなものだとは決して語っていないことなのである。
◆カミュは言う。「私の少年期を支配していた美しい太陽は、私からいっさいの怨恨を奪い取った。私は貧乏生活をおくっていたが、また同時に一種の享楽生活を送っていたのである。私は自ら無限の力を感じていた。・・・・この力の霜害となるのは貧困ではなかった。アフリカでは、海と太陽はただである。妨げになるのは、むしろ偏見とか愚行とかにあった。」(1959年「裏と表」序文)。
この国の人々に対しても、知られてきているキリスト教を人の言葉で語ることは、偏見とか愚行になるのであろうか。地に属するという意味での自然に属すと考える人であろうとすれば、あえて人の言葉で、その頭脳の前頭葉に訴える言葉にたいして、当然、誰でもが例え、そのことがその人に良いことだとしても拒絶するのではないだろうか。さらにそれに輪を掛けるのが、偏見なのであるとすれば、ますます、神の言葉を拒絶するだろう。この地上に於いては、その神の言葉も偏見のある人が語って行かねばならないのだから・・・。
◆その小説の主人公ムルソーが殺害するのはアラビア人とはっきり書かれている。カミュ自身アルジェリアで生まれているのである。サルトルも今では古典だが、ベルギー人などと小説(「壁」)にきちんと書いているから、昔は今と異なり異国人は未知なるものがあるという前提の元で出てくる人が書かれているのだが、今では国名でどうのこうのはネットがあるから、地球の裏も隣人のような感覚だから、むしろはっきり未知なるものように書くとむしろ苦情が飛んできそうだ。イスラム教の人が多いから過激命も危なくなりそうだ。
◆そろそろ言いたいことを書くと、・・・ 続く